解放祭 またどこかで
意外な試合の決着にハルは目を丸くしていた。
ガルナとジェレド、二人の実力は、魔法などを除いた純粋な肉弾戦だけで言えば、ほぼ互角といえた。そのため、どちらが最後にリングの上に立っていてもおかしくはなかった。
『もっと、長引くと思ったけど…』
当たらない大技より手数。実力者同士の体術勝負なら相手が繰り出す技はだいたい予測がつき、防ぐすべを身につけていた。
旋風脚の予備動作などその典型的なものであった。たとえ体術が得意なガルナでも、実力が同等のものに実戦中に当てるのは至難の技であった。使うならば牽制や様子見など、実力者同士の間では、とても勝負を決めるような技ではなかった。
しかし、結果は旋風脚での早々の決着。牽制のつもりで放った技が、まさか試合を決めることになるとはハルもガルナ自身も思ってもいなかった。
「決着つきましたね。私はジェレドの様子を見に行きます、彼を宿にも連れてかなければいけないのでね」
試合の決着を見て、ゆっくりギルが腰を上げた。
「…え?ああ!そうですね、俺もガルナの様子を見に行かなきゃ、一緒に行きますか」
今までの試合はガルナは無傷で終わっていたが、今回はガルナも何発も蹴りやパンチをもらっているため、ハルが心配するのも無理はなかった。
「ハルさん、ガルナさんはこっちに来るみたいですよ?」
ハルが腰を上げたとき、先にリングの方を見ていたギルが言った。
「あ、ほんとですね、走って来てる」
リングを飛び下りたガルナは、観客たちの賞賛を見向きもせずにまっすぐ、ハルのいる観客席に走って来ていた。
「それではここでお別れですね。ハルさんお会いできて良かったです」
ギルが手を差し出してハルに握手を求めた。
「こちらこそ、親切にしてもらってありがとうございました。またどこかで会う機会があれば」
ハルはすぐにギルの手をとって握手した。
「ええ、いずれどこかで…」
ギルが不器用な笑顔を見せると、ハルも笑顔を返した。
思えばギルとはこの闘技場で偶然出会っただけの仲、早々の別れとなるのは必定のようなものだった。しかし、親切にしてもらったこともあり、ハルはすっかりギルに心を許していた。
人懐っこいと言われれば、それはハルの魅力でもあったが、信用しすぎるという点で見れば危うい性格ともいえた。
階段を降りて行くギルを見ていると、途中でガルナとすれ違っていた。そして、入れ替わる様にガルナがハルのもとにたどり着いた。
ガルナの様子を見るに何やら不満が溜まっているようで、尻尾も耳も下がり、表情にも元気がなかった。
「ハルゥ…」
「お疲れ様、試合はもういいの?って顔が血だらけじゃんちょっと待ってて」
ハルは腰のポーチから布を取り出して、鼻と口から血を出しているガルナの顔を拭いてあげた。
顔を拭いてもらっている間、ガルナは尻尾を振っていたが、それも終わるとすぐに先ほどと同じようにしんなりと尻尾を下げていた。
「それでどうしたの?」
「気が乗らなくなった、ハル、今日は帰ろう…」
先ほどの試合がよほど納得がいかなかったのか、ガルナは不満いっぱいといった感じの怒りとどこか寂しさを兼ね備えた曖昧な表情をしていた。何かに八つ当たりしたい気分を抑えているといった感じにも見えた。
「よし、分かった、今日はもう帰ろうか」
今日はガルナのための時間だった。やめるも続けるも彼女の自由で、付き添うハルはただ彼女に合わせてあげるだけだった。
「それでは俺たちもこれで失礼しますね。闘技場、楽しんでください」
ハルが振り返り、隣にいた二人の女性に声をかけた。彼女たちとも偶然めぐり合わせた中で、正体を知られるわけにはいかなかったが、少しだけ仲良くなったため、挨拶をしないわけにはいかなかった。
「あ、は、はい、そ、その…さ、最後にお名前を聞いてもよろしいですか?」
黒髪の女性がハルに向けて目を輝かせて言った。
『名前か…』
「ええ、いいですよ。俺はハル・シアードって言います」
ハルはもう会うこともないと思い本名を告げた。さすがに特名までは見ず知らずの人間に名乗るわけにはいかなかった。
「私はルナって言います」
「そっかルナさんですね、またどこかで縁があればいずれ」
黒髪の彼女は名前しか言わなかったが、ハルは深く追及はしなかった。それは当然彼女には今後一生会うことは無いだろうと心のどこかで決めつけていた。
ギルにもルナにも、再び会う機会がある様に言ったが、よほどのことが無い限り、偶然会った人に再び会うということはまず無かった。だからそれは偶然出会ったもう会わない人へ送る、別れの定型の挨拶のようなものだった。
「は、はい!またどこかで!ハルさん!」
ルナは嬉しそうな表情をしていた。今後一生会わないかもしれない相手にも丁寧な態度のルナを見た。
「………」
正体がばれたくないとハルは知らない人には少し素っ気なく接していたが、それは失礼だとルナの顔を見ていたら思った。
だから、ハルも最後にせめて笑顔で別れようと一言。
「うん、さよなら、ルナさん、会えてよかった」
と言い残し、笑顔を向けたあとガルナと一緒に、二人とは別れていった。
ハルとガルナは、宿に戻るために、馬車を呼んで帰路についた。馬車に乗るころには、日が傾きこれから綺麗な夕暮れが祭りを染めようとしていた。
二人っきりの馬車の中で、ハルは少し戸惑っていた。それは隣にいるガルナの距離の近さだった。馬車に乗ると同時にハルの隣に、彼女がぴったりとくっついて座ってきていたからだった。
「どうしたのガルナ?」
これだけべったりとされれば彼女に何かあったとしか思えない。
「何か嫌なことでもあった?」
「………」
ガルナは何も言わずにハルの肩に頭を寄せた。
ハルも嫌がるわけもなく、ただ、黙って肩を貸してあげた。
「ハル…私はハルと一緒にいてもいいのか…?」
「もちろん、どうして?」
優しい口調のハルの声がガルナの耳に響いた。
「私は、ハルやみんなに迷惑しかかけてない…私はハルに助けてもらってばかりで何もしてあげれてない…私は…迷惑しか…」
どんどん声が弱々しくなる。試合中は戦闘による興奮から全て前向きにとらえることができたが、実際にハルを前にして冷静になればどんどん不安が彼女の心を蝕んでいた。
「………」
ハルは空いているガルナの手をとって握った。今離れて行こうとしている彼女の心を繋ぎとめるかのように、ハルの左手にはガルナの右手の温かさを感じていた。
「いいんだよ、それで、迷惑で…」
その言葉を聞いてガルナはバッとハルの肩から身を起こした。
「俺、好きだよ迷惑かけてくれる人、ハハッ、なんでかな?俺が世話好きだからかな?」
ガルナはどこかで自分を肯定して欲しかった。迷惑でもそばにいてもいいと。そして、求めて欲しかった。自分も好きになったのだから相手にも。
「あ、でも、もちろん誰でもってわけじゃないけどね。ガルナみたいに信頼してる人からの迷惑は俺ずっとかまってあげたくなっちゃうんだ…変かな?」
ハルの青い瞳が、ガルナの真っ赤な瞳に映り込む。それと同時に彼女の顔は真っ赤に染まっていた。
「………」
ガルナは何も言えなかった。人を好きになるということがここまで自身を熱狂させるとも思ってなかった。今、目の前で自分だけに微笑んでくれている彼を誰にも渡したくはなかった。
『独占したい』そんな思いがガルナを包もうとした。
だけど、ガルナはライキルの言った言葉を忘れてはいなかった。
『私もハルのことが好きなんです』
ライキルは、ガルナにとってハルと同じくらい大切な人だった。そして彼女のことを思うときっと自分よりも先にそれにずっと前から彼に好意を寄せていたと思えた。
「へ、変だ。ハルは変だ。だが、しょうがないな、私、ハルのそばでずっと迷惑かけ続けてやるからな後悔するなよ!!」
何も考えずただ想いを伝えたかった。そうやってまた優しいハルに肯定されて愛されたかった。けれどそれはできなかった。ここで伝えてしまえば後でどうなるか怖かった。叶わないことではなく、叶ってしまったときにいったいライキルと、どのような顔で会えばいいのか、ガルナには分からなかった。
「絶対、ハルは後悔するからな、私が迷惑をかけてもいいと言われたからにはなんでもするぞ、いくら世話好きでもうんざりするほどにな!」
だから、今は、ただ、彼とのこの時間を夢中で楽しむことにした。
「いいよ、任せて、でもガルナも覚悟して…」
「へッ…!?」
ハルの顔がそっと近づいて、彼の口がガルナのふさふさの耳元に近づいた。
「俺も手加減しないから…」
その囁き声で、ガルナの心臓は跳ね上がり、いつにもまして顔が赤くなり、固まっていた。
ガルナが真っ赤な顔でハルを見つめると、彼は悪戯に笑った。
「アハハハハハハハハ、ガルナ、どうしたの?顔が真っ赤だよ?」
「むうう!ハルのバカァ!!!」
ハルの笑う顔が憎たらしかったが、それと同時に愛おしくもあった。
この時間がずっと続けばいいガルナは隣で笑う彼を見てそう思った。