解放祭 リングの上の獣人 前半
防具を身につけているからと言って、安心してはならない。精鋭騎士であるガルナの蹴りが直撃すれば、吸って吐いていた息も止まるというものだ。
「がはっ!」
リングにいるジェレドの眩しい笑顔が、腹部に走った鈍い痛みで、少しばかり歪んでいた。
「いい、いいよ!君は本当に俺の興味をそそるよ!」
ジェレドはガルナの重い一撃をもらっても何事もなかったかのようにすぐに体勢を立て直した。
そこらの騎士なら、ガルナの蹴りをもらえば一発で体の動きが鈍るか、動けなくなるのだが、彼はその蹴りを喰らっても平然としていた。
しかし、ダメージはしっかり残っているのは彼の一瞬苦痛に歪んだ表情からも、うかがえた。
「ねぇ?ガルナ、あ、そういえばガルナって呼び捨てで呼んじゃってるけどいいかな?もういいよね?俺たちはこうして拳を交える仲なんだからね!」
ガルナの振りかざされる打撃を受け流しながらジェレドは彼女に語りかける。それは彼のガルナに対する興味からなのか、軽い口は動き続ける。
「ねぇ、ガルナもう少しお喋りしないかい?俺と、余裕がないってわけじゃないだろ?実際に君もまだまだ余力がありそうだ、だって…」
「!?」
バキィ!
そこでガルナの頬に重い衝撃が走った。急な不意打ちのパンチで、攻めの流れに乗っていたガルナの動きは一瞬止まった。
『追撃が…』
ひるんで動きが止まった相手に追撃は容易だ。
そのためガルナはそこで追撃が来ると当然考える。
「くっ!」
一発もらい体勢も崩れたガルナは、それでもカウンターを入れる準備に入っていた。正直、ここでカウンターの態勢に入れる彼女の戦闘中の思考回路が、他人とずれているところであり、強みでもあった。
通常、不意をつかれた時などは後ろに下がり様子を見るものであり、とてもじゃないが反撃に移る場面ではなかった。
『あれ?こない?』
ガルナが警戒した追撃は拳ではなく言葉だった。
「悪いね、俺もガルナ、君に口を聞いて欲しくてね、少しばかり驚かせちゃったかな?」
ジェレドが笑顔で覗き込んできた。ガルナはすかさず構えていたカウンターの拳を振るうが、あっさりかわされてしまう。
追撃をしないジェレドにも避ける余地が十分にあった。
「どうしても口を聞いてくれないか…じゃあさ、ガルナが気になる話をしてあげるよ!」
にっこりと笑う彼の表情からは不気味な雰囲気が漂う。
構え直すガルナは、構わずジェレドに襲いかかる。ガルナは特に彼と話したくないのではなく、試合に集中したいだけだった。言葉よりも拳を交わし合いたかった。だがジェレドの独り言は止まらない。
「ガルナは、さっき心に決めた人がいるって言ってたよね?」
飛んでくる拳と蹴りを、いなしながらジェレドは彼女に語り聞かせるように続ける。
「それってさ、あそこにいるハル・シアード・レイのことでしょ?」
ジェレドが、ハルの方に目をやる、その隙をつけばガルナは彼の顔面を粉砕できたが、つい一緒にハルが座っている場所を意識してしまい、勢のなくなった拳は、ジェレドに首を傾けられるだけで避けられてしまった。
「やっぱり、図星かぁ?だよな、そうだよな、だってガルナ彼と一緒にいた時、ずっと女の顔してるんだもんなぁ。まあ、わかる相手はレイドの英雄、最強の元剣聖、さらには四大神獣の討伐まで、男の俺でさえ惚れちゃいそうになるから、ガルナの気持ち分からなくはないけどね」
彼は、自分の顔の横に繰り出されていた、ガルナの手をそっと下ろしてあげた。
「少しは戦闘に集中してくれないか?私もなんだか、そう話しかけ続けられると殴りづらいぞ…」
「やっと口を聞いてくれたね!でもということはやはりあのハルさんに好意を寄せているってことだね?」
「………」
自分でもこのタイミングで口を開いてしまったことは相手の問いに興味を示してしまったようなものだとガルナは気づいたが、時はすでに遅く、ジェレドの興味をお喋りに集中させてしまう。
「どうなんだい?教えてくれないかい?じゃなきゃ俺の心は生殺しのままだ。君を諦めることもできないよ」
相変わらず、彼の人を不安にさせる不気味で白々しい笑みは、ガルナに少しばかりの戸惑いを与えた。
「なあ、どうなんだい?」
「私は好きだよ、ハルのこと」
ジェレドを戦闘に集中させるには、彼の質問に答えた方が良いと判断したガルナは素直に答えた。
「そっか、やっぱりね、わかった俺は君から手を引こう、でも一つアドバイスをしたいことがあるんだけどいいかな?」
「なあ、私は戦いたいんだが…」
「これはガルナにも凄く重要なことだから必ず聞いて欲しいんだ」
遮るようにジェレドは言った。
ガルナは警戒したまま仕方なく、彼の言葉に耳を傾けることにした。
「なんだ?」
「ハル・シアード・レイはもうあの若さで大きすぎる偉業を成し遂げてる。簡単に言ってしまえば、英雄だ。そして、四大神獣を討伐したことで、今やレイドには収まらず各国の、いや、この大陸の英雄になろうとしているんだ。君はそんな彼を独り占めできると思ってるのかな?」
「……私はハルに良くしてもらってるから好きでいるだけだ。それだけだ」
「ガルナ、それじゃあ少し言い方を変えるが、君はハルという人間に何かをしてあげられているのかな?」
「………」
「君はいつも彼に助けられてばかりだったんじゃないかな?」
日々の暮らしではいつも笑顔で全てを許してくれる優しいハルがいて、ずっと助けられていた。
気を遣ってくれて、世話をしてくれて、ひとりのときは見つけてくれて、怖いときはそばにいてくれて、そして、霧の森では命まで助けてくれた。
しかし、逆はどうだろうか、自分は彼に何か与えられたのか…。
「…………」
的を得た彼の言っていることは正しかった。そう思えた。
『私はハルに何もしてあげられていない…』
ガルナは構えていた腕を下ろして戦闘態勢を解いてしまった。