解放祭 知らない人
リングの上ではガルナの十一戦目の試合が始まっていた。ハルは観客席からその行く末を見守った。
対戦相手は、先ほどハルたちが不良たちに絡まれた際に割って入ってきた、ジェレドと呼ばれる獣人族だった。
ハルの見立てでは彼の風体を見るとだいたいガルナといい勝負をしてくれるのではないかと予測した。
人族より身体能力が高い獣人族は肉弾戦だけならかなり優位に立つ。実際、なんでもありの戦場ではそうも簡単に種族の違いだけで勝敗は決まらないが、厳格にルールが敷かれたリングの上では種族のハンデは十分にあると言えた。されど肉弾戦とはいえ勝負とはそんなに簡単にいかないものなのだが。
「あ、試合、始まりましたね!」
いつの間にか隣にいた黒髪の女性の興味も試合に移っていた。
自分の正体を詮索されずに済んだハルはひとまず安堵して自分もガルナの試合を眺めた。
『やっぱり、見たところ彼はなかなかできる人そうだな』
ガルナとジェレドは、お互いに序盤はやはり様子見なのか動きは少ない。この時点でジェレドという男がある程度実力のある戦士であることが、ハルには分かった。
彼の前にいた戦士たちの中には、ガルナが女というだけでなめてかかり、初手から自分の得意技を仕掛けては、ガルナに見切られ粉砕されている者もいた。
何事も相手の力量が分からない時は慎重に動くべきであり、自分の実力を過信してはいけない。ましては序盤で相手の実力を見切り切ったと思ってもいけない、勝利とは最後に立っている者だけが掴めるのだ。
「さっきまでの試合とはなんか雰囲気が違いますね?」
「そ、そうね、二人とも慎重ね!」
ハルの隣にいる二人の女性の会話が耳に入ってきた。
『二人は闘技場に来るの初めてって言ってたけど、そこに気づくとは二人ともセンスがいいな、まさかどこかの騎士とかだったりしてな…んなわけないか』
ハルが自分のくだらない妄想に浸っていると、試合がゆっくりとだが勢いをつけ始めていた。
先に仕掛けたのはジェレドの方で、ガルナが彼の攻めを凌いでいるといった展開になった。
『へえ、ガルナに反撃の隙を与えないとはあのジェレドって人やるなぁ、それに攻撃のつなげ方も鮮やかだ、どこかの名の知れた騎士なのかな?』
ジェレドに関しては、本気で彼が六大国のどこかの精鋭騎士なのではないかとハルは予想していた。
『ありえなくはないんだよな、じゃなきゃガルナとあんなにいい勝負できるはずがないんだよな…』
ガルナに騎士の中でも屈指の戦闘の実力があることをハルは知っている。彼女のセンスは、魔法なしの肉弾戦だけなら、大国の剣聖フォルテと善戦するほどの実力があった。
観客たちはガルナとジェレドの拮抗する戦いに目を奪われていた。数発で終わる冗談みたいな試合展開ではなく、骨のある濃厚な闘技が繰り広げられていたからだ。
その試合に、もちろん、ハルも隣にいる二人の女性も夢中だった。が、その最中ひとりの男が声をかけてきた。
「どうも、ハルさん」
ハルが声のする方を向くと、そこにはくすんだ金髪の冴えない三十代ぐらいのおっさんがいた。
「あ!あなたは先ほど助けてくれた…えっと、すみません、お名前を聞いていませんでした…」
不良に絡まれたとき、急いで逃がしてくれたため、名前を聞きそびれていたハルだったが、彼の顔はしっかり覚えていた。
「そう言えばそうでした、私はギルと申します。ギル・オーソンです」
「ギルさんですね、俺は…って知ってるんでしたね?」
「はい、存じております、少し隣よろしいですか?」
「もちろん」
ギル・オーソンは、ハルの隣に腰を下ろし、試合中のリングを見下ろした。
「先ほどはありがとうございました。その…あの後どうなりましたか?ケガとかありませんでした?」
ハルは心配そうにギルに尋ねた。見たところジェレドはリングに上がっているし、ギルもケガはしていなかった。
「ええ、何の問題もありませんでしたよ、ジェレドの奴があのごろつきどもと仲良くなって終わりでした」
「え?争いごとにはならなかったんですか?」
意外な真相にハルは驚いた。
「そうですね、あいつ結構口が達者な方で、人を言いくるめるの得意なんですよ、それにあいつと喧嘩したい奴なんてそうそういませんよ」
確かにジェレドのような鍛え抜かれた獣人族相手に、喧嘩を仕掛けるのは、誰もが嫌がると思い、争いが起こらなかったことにハルも納得できた。
「あのごろつきも、そこそこできる奴らみたいでしたから、ジェレドが格上だということには気づいてたんでしょうね…」
ギルは続けて述べていた。
リングの周りのいる観客たちから大きな歓声が上がった。リングの上ではガルナの重い蹴りの一撃がジェレドをリングの端まで吹き飛ばしていた。
「それより、ガルナさんの試合いくつか見ましたが、彼女、相当強いですね、ハルさんのお弟子さんですか?」
ガルナが勝つたびにリングで何度も名前を呼ばれていたため、この会場にいたなら彼女の名前を知っていてもおかしなことではなかった。さらにギルは、ハルとガルナが一緒にいることも、数時間前に不良から逃がしてくれた時に確認していた。
「弟子ではないです。俺は弟子を取ってこなかったので…」
「そうだったんですね、でも、それはもったいない気がしますね、みんな最強の剣聖からの指導を享受したかったのでは?」
ギルが何気なく剣聖という言葉を持ち出したが、ハルは少し焦っていた。
「どうしました?」
ギルは慌てているハルに尋ねた。
「その、一応、俺ばれないようにはしてるんです。これでもレイドの人たちにはよく知られている方なんで…自惚れではないんですけど…」
ハルは隣にいる二人の女性にも、自分の正体をばらしたくはなかった。あいにく二人はリングで繰り広げられている白熱した試合に夢中らしく、女性二人で盛り上がっていた。こちらの会話はまるで聞こえていない様子でハルはホッとした。
「ああ、そうか、そうでしたね、配慮が足りなかったようで…これは失礼しました」
ギルも、ハルが人目を避けて祭りに来ていることを理解していた。
「あ、いえいえ、いいんです、なんかすみません」
ハルとギルが親し気に世間話をしている隣では、ルナが突然現れた人物が誰なのか会話の中から推測していた。
もちろん彼らに怪しまれないように試合に夢中になっている振りをしながらのことだった。
ハルの身近な人に、ギル、ジェレドという人物の情報は一切なかった。そのため彼らはハルとこの祭りの中で知り合ったことになり、ハルに近づく怪しい人物はルナたちの捜査対象になる。
『誰?、ハルさんといつ知り合った?ずっと見てたのに…』
そこでルナは自分たちが一度だけハルたちを監視していなかったタイミングを思い出す。
『いや、待ってあの時だ、ハルさんたちが試合の受付テントに行った時、私たちそのときだけちょうど見てなかったじゃない…』
ルナは、ギルと呼ばれた男の顔を見たかったが、怪しい行動はとれないため機会が来るのをうかがった。
ドミナスの人間は、ハルを暗殺を企んでいる暗殺組織イルシーの暗殺者を探している可能性がある。それは事前にルナたちが把握してるイルシーの暗殺者がいまだ殺されていないことがひとつの根拠となっていた。
なぜ先手を打ってこちらがイルシーの暗殺者を把握できたかというと、それはリベルスという反ドミナス組織が根回しをしてくれたおかげであった。
そのため、幾分かルナたちが優位な立場でドミナスの人間を捉える手がかりを探れている状況だった。
『ギルとかいう男、リングにいるジェレドと仲間らしいな…もし追うならジェレドの方でよさそうだな…』
ルナはリングで戦っているジェレドをジッと観察しながら、ハルとギルの楽しそうな会話に耳を傾けていた。
『それより、ハルさんとあんなに親し気に…羨ましいな、おい!!』
ルナの頬が少しだけ膨らんでいた。