解放祭 二人っきりの馬車
ハルたちの祭りの三日目の朝はそれぞれ、バラバラに始まった。だが、早朝に起きたハルはみんながブルーブレスの館を出て行くまでの慌ただしい早朝の時間を眺めることができた。
一番初めに館を出て行ったのはエウスだった。彼はこの日キャミルと二人だけで祭りを回る約束をしていた。エウスが出て行くときハルの部屋を訪ねて「俺はもう行くよ」と知らせていた。そのときの彼は久しぶりのキャミルと二人だけのお出かけに、ご機嫌な様子だった。
二番目にこの館を出たのは、ビナ・アルファだった。彼女は両親と祭りを回る約束をしていた。出て行くとき「もしかしたら何日か館を空けるかもしれないです」と言っていた。その時のビナの嬉しそうな表情から家族と仲がよく大切にしていることがよく伝わってきた。
三番目に館を出て行ったのは、ライキルだった。館の前にリーナとニュアが迎えに来ていた。ハルも二人にはライキルを頼むと挨拶をするためにそのときは外に出ていた。
「ライキルのこと、お願いしますね、迷子にならないように、リーナさん、ニュア」
ハルが馬車の前に立っている二人に冗談交じりに言った。二人とも任せてくださいと意気揚々に返答していたが。「私、子供じゃないんですから、大丈夫ですよ!!」とライキルが腹を立てていた。
「それより、ガルナの方が心配ですよ、闘技場って危なくないんですか?」
「国が主催してるから安全に配慮してるって、それに俺が見てるから大丈夫」
「そうですか…ならいいんですけど、ガルナに無理させないでくださいね?」
「うん、分かってる、むしろ相手の心配をすることになりそうだけど…」
「それは、そうかもしれませんね…」
ライキル、リーナ、ニュアが馬車に乗り込むと、窓から三人が手を振っていた。ハルも手を振り返すと馬車は三等エリアに向かって駆けて行った。
「さてと、戻るか…」
ハルは館の中に戻って三階に上り、ガルナの部屋の扉をノックして呼びかけてみたが、まだ寝ているのか返事はなかった。
「まだ寝てるのか、でも、もうちょっとしたら起こさなきゃな、そん時は使用人さんに頼むか…」
支度を終えているハルは、一旦部屋に戻って時間を潰すために荷物の中にあった本を取り出して読み始めた。それはハルが一冊だけ持っているジョン・ゼルドの『七王国物語』だった。
それから、少し時間が経ち、早朝とは言えない時間帯になると、ハルは館の使用人に頼んでガルナを起こしてもらった。
ハルが、ガルナの部屋の前で待っていると、使用人に起こされて、眠そうな目をこすったガルナが寝巻姿で出てきた。
「ハルか…おはよう…」
「おはよう、ガルナ、眠そうだね?」
「うん…まだ少しだけ…眠い…だからあとちょっとだけ寝させ…」
しかし、そこでハルは彼女の眠気を覚ます一言をはなった。
「ガルナ、闘技場いかなくていいの?」
その言葉でガルナはすぐに覚醒した。
「あ、行く!行く!待っててすぐに準備してくるから!」
慌てて部屋に戻ったガルナの姿を見て、少し笑ったハルは馬車を呼んでくることにした。
館の外でハルが呼んだ馬車に寄りかかって待っていると、ガルナもすぐに支度を終えて外に飛び出してきた。
馬車の扉を開けるとガルナが飛び乗っていく、ハルは御者に行き先を告げると自分も乗り込んだ。そして二人を乗せた馬車は三等エリアにある闘技場を目指して出発した。
馬車の中のガルナは終始ご機嫌だった。戦闘好きの彼女にとって闘技場のような場所はこの上ない楽しみの一つだからだろうとハルは思っていた。ガルナが嬉しそうにしているのはそれだけが理由だと思っていたが。
「なあ、ハル、隣に座ってもいいか?」
向かいの正面に座っていたガルナが突然そんなことを言った。
「ああ、もちろん、いいよ、どうぞ」
特に断る理由もないハルはニッコリ笑って、空いている隣に彼女を招いてあげた。
ガルナがハルの隣に来るとその身をぴったりくっつけるように隣に座った。六人乗りの馬車の中は、二人で密着して座ると、がらんと余計に広く感じた。
「どうしたの?」
隣とは言ったが、ぴったりとくっつくまでとはハルも思ってはいなかった。
「何がだ?」
「えっと、こんなにぴったりくっついて」
「嫌か?」
燃えるような真っ赤な真剣な瞳で見つめられた。
「嫌じゃないよ」
だからハルも真面目な口調で返した。
するとガルナはパッと笑うと、次はハルの空いてる手を取ってぎゅっと握ってきた。
「これは嫌?」
「フフッ、いいけど…どうしたの?」
ハルはなんだかいつものガルナっぽくなくて笑ってしまった。
いつもなら戦闘前の彼女と言えば、どんな戦いをするか語り、どんな人と戦えるのか楽しみにし、新しい技を戦略をと、戦いのことしか頭になさそうなのだが。
「二人だけだから…」
そんな甘えた声が馬車の中に響き、とろんとした目がハルに向けられていた。
「そっか…」
ハルは彼女にそう言ってもらえると素直に嬉しかった。彼女の行動や言動に自分が優しく甘いのはきっとどこかで彼女に嫌われたくなかったからなのだと、今、二人っきりの馬車の中ではっきりと自覚した。
しかし、そう思えば、思うほど、あとの二人のことをどうしても考えてしまった。
ライキルとアザリアのことを。
「………」
「どうした?暗い顔して…」
どうやらいつの間にか暗い顔になっていたことに気づいたハルは表情をもとに戻した。
隣にいるガルナは心配そうにハルをのぞき込んでいた。
『ああ、そうだ、今は楽しんでもらわなくちゃダメだ』
ハルにはこの祭りで大切にしたかったことがひとつだけあった。それは心行くまでみんなに楽しんでもらうことだった。なぜなら。
『祭りが終ればまた…』
ハルは祭りが終ったあとのことを考える。すると当然そこには四大神獣の一角の黒龍がいることを忘れていなかった。そう、次の標的をハルはすでに見据えていた。だから、せめてこの祭りの間だけはみんなになるべく次の戦場のことを忘れて幸せでいて欲しかった。
ハルはガルナの方を向いた。そして握ってくれていた手を握り返して、彼女の獣人族特有のふわふわの耳元まで顔を寄せると。
「なんでもないよ、ありがと…」
と優しく囁いた。
「!?」
あまりの不意打ちと彼からの初めてそのような仕打ちにガルナは顔を真っ赤にして固まってしまった。
ハルはその表情を見て、少しは大人の色気というものをくらわせてやれたと思い満足した。そういうところがハルがまだまだガキだということは本人は全く気付かなかったのが残念なところであった。
「ふ、ふええ…え……え…」
が、しかし、ガルナにはどうやら効果てきめんだったらしく、闘技場に着く間ずっと、顔を真っ赤にして緊張していた。
「フフッ」
いい時間が過ごせたと思いハルは微笑んだ。
二人を乗せた馬車が、三等エリアにある闘技場に着いた。場所はだいたい三等エリアと二等エリアの境目の北側にあった。つまり、昨日ハルたちが歩いた大通りの後半の道を出た辺りだった。
闘技場と呼ばれる場所には、外に大きな正方形のリングが一つあり、それを取り囲むように段々の座席がいくつもあった。
すでにリングの上では屈強な男たちが戦闘を繰り広げており、観客席は大いに盛り上がっているらしく歓声が聞こえてきていた。
ハルとガルナは闘技場の入り口の前で馬車を下りた。
「行こうか!」
楽しそうなハルが闘技場へ歩き出す。
「う、うん…」
後に少しおとなしくなったガルナが続いた。
二人の手は以前として繋がれていた。