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元剣聖ハル・シアード・レイの神獣討伐記  作者: 夜て
神獣白虎編
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神獣討伐 赤い森で

 濃霧が消えた巨大な木がそびえ立つ特別危険区域の森の中、エウスとライキルは自らの脚でその森を駆け抜けていた。

 二人はペースを落とすことなくずっと全速力で走っていた。鍛え抜かれた脚をもつ二人だったがさすがにずっとフルスピードで走っていると全身から汗が流れ、息が上がってくる、それでも決してスピードを落とさない二人にはどうしても今すぐ会いたい人がいた。


 ライキルはエウスの背中をただ信じて追っていた。なぜエウスがハルの危険を知れたのかは分からなかったが、彼の表情と行動から本気でハルの身に危険が迫っているのは理解できた。だから、今は理由なんてどうでもよかった。


「ハア…ハア…ハア…」


 ライキルが息を切らして前に進む。彼女はただ走ることに集中していた。きっとそうじゃないとすぐにまた頭の中に不安が広がり、悲しみの沼に足を取られて歩みを止めてしまう可能性があった。ただでさえ大切な人が危険な場所にいて常にライキルは不安だったのだから。


「………!」


 そうしてライキルがエウスの背を追って走っていると、視界に何か赤いものが目に入って来るようになった。


『これは血…?』


 巨木の周りの地面に大量の血が溜まっていた。その血は森の奥から流れてきており、先に進むほどその血だまりの数が増えていった。

 そしてしばらく二人が走って行くと、強烈な死臭が二人の鼻を刺激した。


「なんですか、この匂い…」


「死臭だ…」


 エウスが顔を歪めて言った。


 今までに嗅いだことの無い死の匂いにエウスはこれから行く先がどのようになっているのか想像がまるでつかなかった。

 匂いが強くなっても二人は前を目指して走った。足元には段々地面の土よりも真っ赤な血がじわじわと広がっていた。いつしか、足元は全て真っ赤に染まり、まるで血の海の上に森がある様な光景が広がっていた。


「全部血か…」


 多くの魔獣を相手にすることも騎士ならばあった。そこで大量の血を見ることももちろんあった。しかし、どこまでも血で埋め尽くされているのにも関わらず、その原因となる死体が無いこの状況は異常だった。これらの血は森の奥から流れてきていることを示唆していたが、いったいどれほどの数の魔獣を狩れば見渡す限りの地面を真っ赤に染めるほどの血を流すことができるのだろうか、エウスには想像もつかなかったが、その答えは目の前に広がり始めることになった。


「エウスあれを見てください…」


 ライキルが立ち止まって、顔面蒼白で横を指さしていた。

 エウスも立ち止まって、ライキルの方を見ると遠くの方に中型の神獣白虎の姿があった。


「!?」


 早朝の薄暗い森の中、こちらをジッと見つめていた。

 エウスの全身が強張り、震えはじめて、走った汗のほかに、嫌な汗が流れだしたのを感じた。


「神獣!!ライキル逃げ…」


 エウスがライキルを逃がそうとしたが、どうやらその白虎の様子がおかしかったというより、頭の後ろに本来あるはずの胴体がどこにも見当たらなかった。


「胴体が無い…死んでる…?」


「え、ええ…首だけのようですね…」


 二人は危機的状況から抜けたことで一気に身体の力が抜けそうになったが、すぐに安全と分かると再び走り出した。

 しかし、その先に待っていたのは地獄だった。


「…………」


 二人の前には首の無い白虎の死体と、頭だけになった白虎の死体が無数にありどこまでも広がっていた。その大きさは全て神獣クラスの白虎であり、綺麗な切り口から何かで切断されたあとだった。


「全部死んでるんですよね、これ…」


 通り過ぎる白虎の死体を見ながらライキルが言った。


「そうだろな、全部ハルがやってくれたんだ…」


「そうですよね…」


「………」


 二人は黙り込んでしまった。

 霧の中は白虎の巣で多くの魔獣や神獣がいるのはなんとなく想像はしていた、それを全て討伐して安全を確保する、その作戦内容は誰もが知っていた。だが実際に目の前に広がり続ける血の海と死体の山を見ると二人は言葉を失ってしまった。


 それでも二人は決して走るのだけはやめなかった。途中から首の無い白虎の魔獣たちの死体で足の踏み場がなくなって走りずらく何度か二人は転んで死体の海に沈んで血まみれになってしまった。しかし、それでも前へ、前へ、身体を運んで先に進み続けた。


 エウスとライキルが走っているとある異変に気付いた。それは先ほどまで頭と胴体が綺麗に切り離された白虎の死体が転がっていたが、次第に、損傷の激しい死体が増えていった。そしてついには原形の無いほどグチャグチャになった肉塊だけになって肉の海が広がっており、常人が見たら吐かずにはいられない惨たらしい光景だった。


「死体の骨に気をつけろ…ここで転んだら刺さるぞ」


 肉塊の中にはとがった骨や先の鋭い骨も混じっていた。

 そして地面には何かに削り取られたようなあとや、めくれ上がった地面が増えて走りずらくなっていた。

 空は巨木の重なり合う葉で覆い隠され屋根の様になっていたがその中のいくつか巨木が倒木していた。そのためエウスとライキルは迂回しなければ通れない道などもあった。


「エウス…この先にハルがいるんですよね…」


 ライキルが肉の海の上を走りながらエウス背中に声をかけた。


「いる、必ずこの先でハルが待ってる」


「神獣にはやられてないですよね…」


 ライキルは弱々しい声で言った。


「ああ、それだけは絶対にない、それにここらを見ればわかるだろ、神獣の屍もある、それにこの量の肉塊だ、ハルは白虎を狩り終わってるんだ…」


 エウスは積み上がる肉や遠くに落ちてる巨大な骨の破片をみながら言った。


「じゃあ、何がハルを…」


 そこでライキルは考えた、白虎も狩り終わっているのに何がハルを死に至らしめようとしているのか考えて、考えた。死ぬつもりのハルは何に殺されようとしているのか、強大な何かに挑んで死ぬつもりなのか、それとも。


「違う…」


『違う…他の何かがハルを殺すんじゃない…』


 ライキルはそこでひとつ自分の勘違いに気づいた。霧の森の白虎の巣に白虎がいないなら最後に残っているのはハルだけだ。

 そんな彼が死ぬつもりなら手段はひとつだけだった。


「自殺…ですか…」


 ライキルの足がそこで止まってしまった。

 エウスはライキルのその言葉を背中で聞くと、彼の足も止まってしまった。


「………」


 エウスは黙ったまま何も言わずにすぐに走りだした、時間が惜しいのだ。そしてライキルもエウスが一瞬止まったことで理解してすぐに彼の後を追った。


『私、ハルのこと何も知らなかったんだ…何にも…こんなにずっと一緒にいたのに……ハルの苦しみに気づいてあげられなかったんだ…!』


「ウウッ…」


 もうライキルは自分の黄色い瞳から涙を抑えておくことはできなかった。彼女は嗚咽を漏らしながら走った。それで余計に息が上がって身体が重くなったが、もう体の内に悲しい感情を閉じ込めておくことはできなかった。


『ライキル…』


 エウスは後ろで泣いているライキルに声を掛けようとしたが、何も言葉が出てこなかった。いつもなら気の利いた言葉のひとつやふたつ簡単に出てくるのにこの時は何も言えなかった。エウス自身にもすでに余裕がなくなっていた。


『クソッ、俺は…』


 エウスが自分を責めようとしたとき、遠くに何か大きな白い塊を見つけた。


『なんだあの白い塊は…?』


 エウスは最初それが何か全く分からなかった。しかし、近づいて行くに連れてその正体があらわになっていった。

 その白い塊は横に長く、二人が走る横に白い壁のように横たわっていた。


『白い壁…?なんだ、なんでこんなところに………違う、まてこれ!?』


 エウスは近づいて初めて分かった。そこにある物が何か。


『これは足か!?しかも大型神獣のものだ…』


 二人の横にはねじ切れた大型神獣の足が一本だけ横たわっていた。

 そして二人がその巨大な神獣の足を一本通りすぎると、森の中の開けた場所に出た。


「…………!?」


 そこには辺り一面に何十メートルもある肉の塊が、その開けた場所の四方八方に散らばっていた。全て大型の神獣のものと見えたが、どれも原形がなく徹底的に解体されたあとだった。

 エウスとライキルはその中を躊躇なく走った。神獣の死骸の大きな骨と肉のトンネルをくぐり、何度も真っ赤な水たまりを超えた。

 そして目の前に大きな肉の山が現れてエウスはその山を登り始めた。足元はかなり滑り、途中で魔獣用の短剣を取り出して何とか登ることができた。


『ハル…いるんだろここに、頼むから姿を見せてくれ、ライキルが泣いてるんだ、お願いだ…死なないでくれ…』


 エウスが積み重なる肉の山を登り終わったときだった。


「…………ッ!!」


 エウスは肉の山の頂上から下を見ると目を見開いて固まった。

 ライキルもその肉の山を登り終えると、呆然としているエウスを見て、彼の見つめる先を見た。


「……………!!」


 ライキルもエウスと一緒に凍り付いたように固まってしまった。

 二人の見つめる先には彼がいた。肉の山の下の血と肉の海の中で彼が座っていた。


「…ハ………ル……」


 ライキルがかすれた声でうめいた。彼の名前を呼ぼうとしたが全く声が出なかった。それは彼が今まさにその手に刃を持って自分の首に当て死のうとしていたからだった。その彼の姿は二人には衝撃的過ぎて、言葉を失いそうになった。

 しかし、ライキルは叫ぶ、彼の名前を心のそこから叫ぶ、この世にとどめておくように、どこかにいってしまわないように、失わないように、大切で大好きな彼の名前を叫ばなきゃいけなかった。


「ハル!!!」


 かすれた言葉を吐いた次の瞬間には全身に力がみなぎり、ライキルは彼の名前を叫んでいた。


 そしてライキルはハルの元に走り出す。


 肉の山を滑り下りて一歩二歩とその距離を縮める。


 近づいて、近づいて、近づいて。


 ライキルはハルの胸の中に飛び込んだ。










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