神獣討伐 残された人々 後半
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古城アイビーの西館近くには作戦本部である建物があり、その司令室にデイラスがいた。司令室にはたくさんの紙や羊皮紙が机の上に置いてあった。どれも今回の作戦の報告書や許可書といった類のものでエリザ騎士団の数人の騎士たちがその書類を整理していた。
デイラスが服の内ポケットから懐中時計を出して時間を見た。時刻はちょうど正午になろうとしていた。
「時間だな、伝鳥をオウド砦と監視塔に送っておいてくれ、それと念のため南の警戒を強めておくようにと連絡を…」
デイラスが騎士たちに指示を出すと、部屋の中は少しあわただしくなった。
『始まったな…さてどうなるか…』
いまだかつてない大規模な今回の作戦は、長年騎士団の団長として指揮を執ってきたデイラスでさえ不安が残るものだった。
「デイラス団長、中央の補給部隊の隊長様がお目見えです」
「おお、帰って来たか通してくれ」
「ハッ!」
短い返事とともにエリザの騎士が扉の外に出ると入れ違う様に一人の黒髪の女性が入って来た。
「失礼します、デイラス団長」
「リーナ隊長、シフィアムまでご苦労だったな、長旅で疲れただろう?」
司令室に入って来たのはリーナ・シェーンハイトだった。彼女は王からの直接の任務でシフィアム王国に手紙を届けに行っていた。
「お気遣い感謝します、ですが大丈夫です黒王馬に乗っていたのであっという間でした」
「あの使役魔獣は特別だからね」
「はい、許可が下りてよかったです」
「ああ、そうだ、君のおかげで予定通りにシフィアムから竜が来たよ、竜型の使役魔獣もね」
デイラスはこの城にきた赤い巨大な翼竜のことを思い出していた。
「それは良かったです、あ…」
リーナが無事に自分の仕事が上手く言ったことに安堵したあと、何かを思い出したような顔をしてデイラスに質問した。その時の彼女の表情や声の調子は暗くなっていた。
「デイラス団長、ハルたちや作戦の方はどうなりましたか…?」
デイラスもリーナの表情から彼女がとても心配しているのが伝わって来た。この作戦では誰もが不安の中にいた。
「ふむ、作戦通りならば今ハル剣聖が霧の森の特別危険区域に入ったところだ」
「そうですか…ハルが…」
小さく呟くと彼女の表情はさらに沈んでしまった。彼女の見た目からはクールで冷徹そうに見えるが全くそのような性格ではないことがデイラスにはなんとなく伝わった。
「リーナ隊長はハル剣聖たちと親しい仲の様だね」
「ええ、彼らが王都にいる時はよく顔を合わせてました…」
「そうか…」
彼女が深刻な顔になるのも当然だとデイラスは思った。
『まだまだ若いからな、こういう状況は辛いだろうな、たとえ騎士だとしても…』
騎士はいかなる時でも仲間の別れを覚悟しておかなければやってはいけない、だから軍に入るとき覚悟はしているのだ。それでも何も感じないわけじゃない、騎士の前に人間であるため心はしっかりと痛いのだ。
「大丈夫かね、少し休んだらどうだね、リーナ隊長?」
デイラスが気遣って言った。
しかし、リーナはそれを丁寧に断った。
「ありがとうございます、ですが大丈夫です。すぐに王都に戻ってダリアス王に直接報告しなければならないので」
「そうか、無理はしないようにな…」
「はい、お邪魔しました」
リーナはそう言うとすぐに作戦本部を後にした。
建物の外にはリーナが乗って来た使役魔獣の黒王馬がおり、彼女はすぐにその使役魔獣にまたがると出発した。
「やっぱり、もう行ってしまったか…」
リーナが古城アイビーに寄った目的はハル達がいないか確かめるためだった。それ以外にここに寄る理由はなかった。
『どうか無事でいてくれ…』
城の手前の噴水がある広場にはリーナの補給部隊の仲間がおり、リーナは彼らと合流すると、レイドの王都に向けて使役魔獣を走らせた。
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パースの街にある【図書館トロン】にたったひとりエルフのフルミーナ・タンザナ―トがいた
彼女はエルフ特有の高い背でその身長は軽く二メートルを超えていた。緑色の綺麗な瞳に、透き通った少し灰色の混じった金髪が窓から差し込む光で輝いていた。そしてかなりの美形であり、落ち着いた佇まいやしぐさからは気品を感じた。表情は常に穏やかで優しさが溢れ出ていた。
そんな彼女はここの図書館の館長であった。
フルミーナは霧の森に向かったハルたちの見送りから帰ってきたところだった。彼女は帰って来ると館内の中を歩き回って本をかき集めた。それは不安を紛らわすために彼女がいつもやってきたことだった。それは癖のようになっていて、どうにもできない不安なことがあるとよく本に意識を集中させて気をそらしていた。
フルミーナがたくさん本を持ってカウンターの奥にある扉を開けた。そこには長くて大きな通路があり、多くの扉がずらっと並んでいた。基本的に館内に入ってきた本の整理や記録を行う部屋であった。
カウンターから入って通路の左手を見るとひときわ大きい扉があり、そこは禁書庫となっていた。
フルミーナはその禁書庫とは反対の方向に歩いて行く、通り過ぎるほとんどの扉は彼女にとっては小さい設計になっていた。
フルミーナが通路の突き当りを曲がりさらにまっすぐ進んでいくとある扉の前で立ち止まった。その扉は彼女でもすんなり通れるほどのサイズの大きな扉だった。
フルミーナが鍵を開けてその部屋の中に入ると、そこには生活感漂う落ち着いた広々とした部屋が広がっていた。大きな窓からは日が差し込み陽だまりができていた。小さなキッチンやトイレに浴室、さらには二階まであり、完全に個人の家だった。
フルミーナは抱えて持ってきた本を読まずにテーブルに置くと、近くにあった大きなベットに倒れ込んだ。
「はああ…」
フルミーナは大きなため息を一つつくと仰向けになり、天井をボーっと眺めた。
「どうしてみんな行ってしまうのかしら…」
フルミーナからはすこしだけ子供っぽさが出ていた。それは無垢な子供が駄々をこねるようにフルミーナはベットの上で小さく言葉をこぼした。
「ビナちゃん…」
フルミーナがふと小さな友人の名前を呟いた。
「ダメね…やっぱり、重ねてしまうわ…」
『ミーナ!一緒に本を読もうよ!』
懐かしい声がフルミーナの頭の中で再生されて少しだけ彼女は涙ぐんだ。
「………」
フルミーナは無言でベットから降りて二階に向かった。二階には部屋がなくただ広い空間が広がっていた。その一角には多くのガラスのショーケースがあった。
そのショーケースに保管されていたものは魔法使いの杖やローブなどの衣服だった。
衣服に関してはどれもフルミーナ自身が着るにはあまりにも小さすぎるものばかりだったし、古くなったものばかりだった。
フルミーナはそのショーケースの一つを開けると中から杖とローブを取り出した。
「………」
それを愛おしそうに眺めるとぎゅっと胸にあてて瞳を閉じた。すると彼女の不安だった気持ちはスーッとどこかに消えてなくなっていった。
『ありがとう…』
フルミーナは心の中で感謝の言葉をつぶやくとその杖とローブをもとの場所にそっと戻した。
「よし、くよくよしていてもだめね!」
元気を取り戻したフルミーナは持って来た本を読むために一階に下りていった。
『フフ、どういたしまして…』
二階の窓の外で誰かが言った。その声や思いは決して誰にも伝わらなかった。それは気のせいだったのかもしれない、そこには誰の姿もなく、ただ穏やかな日差しの中、気持ちのいい風だけが吹いているだけだったのだ。それだけだったのだから…。
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