起床と夢
「またね、ハル」
勢いよく飛び起きると、そこには毎日寝起きしている、自室のベットの中だった。
ここでの寝起きはもう三年続いている。ハル・シアード・レイにとっては、落ち着く場所のはずだ。
「………」
夢を見ると現れる女性の声。ハルはその声を聴くたびに、嫌な感じで目覚めていた。
ノックの音がして、入室の許可を与えると、メイドで友人のライキル・ストライクが入ってきた。
「おはようございます、ハル」
透き通る落ち着いた声が、心地よく耳に響いた。
ライキルはメイドだ、メイド服を着ていて、フリルが沢山ついていたが、それではごまかせない豊満な胸に、引き締まった太い腕、痩せすぎてもなく、太ってもいない絞られた体系は、通常のメイドとはどこか、違う点だった。
「起きていたのですね」
ハルに向けられる、微笑は、今日の穏やかな天気による、朝の陽光によく映えた。
「今、起きたとこだよ」
「ずいぶん汗をかいていますが、大丈夫ですか?」
ハルが自身の体に意識を向けると、頬の輪郭を汗がなぞった。
「うわ、ほんとだ」
「拭うものを持ってきますね」
「すまない」
ライキルが部屋を出ていくと、ハルも着替えを始めた。タオルで汗を拭くため、上半身を脱いでおいた。
ハルはあの夢を見ると、みぞおちを殴られた時のような息苦しさと全身から嫌な汗がでた。
前から起きていた現象だが、最近また見るようになって発作が発動していた。
前に回復を専門とする白魔導士に見てもらったが、回復魔法が反応しないから、体には問題はないといわれた。
ノックがして、入る許可をすると、ライキルがタオルを持って入ってきた。
「ありがとう」
礼を言ってタオルをライキルから受け取る。
ハルの体は深い無数の古傷と鍛えられた筋肉で、できていた。真面目で好青年そうな風体をした外見とは、ギャップのようなものがあった。ハルはその外見から細くみられるが、中身は引き締まっている。
ハルがライキルのほうを見ると、ライキルはまじまじと自分を見つめていた。
「どうした?ライキル」
「ああ、すみませんやはりよく鍛えられた体でしたのでつい、見惚れてしまいました」ライキルはわれに返り、答えた。
ハルは少しおかしそうに笑う。
「ライキルは筋肉が好きだからな」
「はい、筋肉は私の趣味ですから」
ハルはライキルが筋肉好きで、あることを前から知っていた。
ライキルの服の下が堅牢な筋肉に包まれているのも、ライキルを知る人なら当然知っていた。それはライキルがメイド以外の時は、短パンに、へそが見える、短く小さいシャツの服装を、好んで着るからだった。
「………」
ふと、ライキルの顔が少し不安そうに、曇っているように見えた。
「どうした?ライキル」
ハルが心配そうに尋ねる。
「ハルまた、あの夢ですか?」
心配されているのはハルの方だった。
「そうだな、これで何回目だか」
もう慣れたかのような言いぐさだが、あの夢を見るたび、ハルの体は辛い起床を迎えていた。
それを見透かすようにライキルがハルの顔をうかがう。
「それより、お腹が減ってしまった」
強引だが、夢の話をそらすように話題を変えた。
いつもこんな、話のそらしかたでもライキルは追求することはなく、暗黙に受け入れてくれる。
「はい、できています」
静謐な返事が返ってくる。
ライキルと三階の自室を出て、いつもの長廊下を歩き、一階の食堂に向かう。廊下の大きなガラス窓からは、王都の城下町が一望できた。高低差のある街並みは上から眺めるとそれは絶景だった。
「今夜、剣聖の譲位式ですね、ハル剣聖様」
いたずらめいた声色で言う。そのライキルの姿はメイドから友人に早変わりしていた。
そんな突然の変わりようが、ハルの顔色からも、疲れを纏う、雰囲気が抜け、笑顔がこぼれる。
「なんだよ、急にそんな呼び方して、今日が俺の最後の剣聖だからってバカにしてんのか」
後ろを振り向きもしないライキルは、笑っているきがして、横から顔を見ようとした。
しかし、ライキルが下を向いて、歩くスピードを上げたので、ハルも負けじとスピードを上げる。互いに競うようにスピードがあがり、二人は走り出す。
走り出す瞬間「フフッ」とライキルの口から、空気が漏れるような声がした。
「ライキル、笑っているな」
「あははは」
とライキルが笑う。
「だってハルはバカなんですもの、剣聖という称号にどれだけ価値があるものか、わかっているのかしら」
「ライキルは分かってないな、価値なんて自分で勝手に決めるものだ。俺にとって剣聖でいる価値がなくなっただけだよ」
ライキルはそこら辺の訓練された兵士よりも、圧倒的に素早い。どんどん加速していく。しかし、それでも長くはもたず、ハルはライキルの腕を捉え、捕まえる。
二人は、息すら上がっていなかった。
それほどこの二人は日ごろから訓練を積んでいた。
この屋敷は王城の敷地内に建てられている三階建ての屋敷である。たまに来る掃除のメイドさん以外、ハルとライキルを含めて三人しかいない。だから暴れても問題はなかった。
「やはり、剣聖だけあって、ハルからは逃げきれませんね」
「当たり前だ、俺はこれでも偉大な剣聖の称号の持ち主だからな」
剣聖を誇張するが、ここでは剣聖もただの友人に変わりはなかった。
ハルがライキルの掴んでいた腕を放す。ライキルは放された腕をそのまま、そこにとどめて、少し見つめて、ハルの方に向き直る。
「それも今日まで、ですけどね」
「そうだな」
ハルはあっさり答える。
「後悔はないのですか」
不思議そうにライキルが尋ねる。
「ないよ、自分で選んだことだから」
剣聖の称号は各国で最高の剣士に与えられる称号である。国に必ず一人だけ剣聖を置くのはこの世界では常識だった。みんなが剣聖に憧れ、騎士団のアピールになるからだ。
この称号を与えられる基準は国によって違うが、ひとたび剣聖になれば、世界中に名が知れ渡る。そして一年もたてば、誰もが知っているほど、各国でも有名人になる。そのため、剣聖の称号を持っている者は、所有している限り、栄華の限りを極めることが保障されていた。
「そうですか、ハルならそういうと思いましたよ、まだまだ小さいハルは、地位も名誉も興味ありませんからね」
「そうかもな、昔から強くなることしか頭になかった気がする、それより走ったら余計お腹減った。そうだ、エウスは、もう食べているのか」
「いえ、エウスはもう食べ終えて、王城に向かいました」
「本当か、ずいぶん早いな」
「今は、もうお昼ですよ」
「え?」
ハルはあの夢を見ると、調子が狂うのだった。
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