イヤイヤ期
ハルと軽く額を当てあって互いに笑顔になった後、彼が家から出て行くのを見送り、再び朝食の席へと戻る。
「ママ、かおあきゃいよ?(顔赤いよ?)」
「あらあら、一体なにがあったのかしら?」
首を傾げながら如何にも『どうしたの?』という風に聞いてくるサキちゃんの疑問は純粋な気持ちからきていると理解できるが、後者の方はニマニマとしながら、かうかうような笑みを浮かべていたので悪意しかないと思う。
「別に、なんでもないよ」
「よく言うわよ。手なんか繋いじゃってさ。もしヴィオレータがいたら『ケッ!』とか言われて、そのまま勢いよくドアを閉められてたわよ?」
ソーちゃんって、なんでも視えるんだろうか? 勝手に人様のプライベートを覗かないでもらいたいものだ。
それこそトイレやら、お風呂やらの場面を見られ放題とか嫌すぎる。
あれ? もしかしてソーちゃんって変態なんじゃ……。
「そんなところまで覗かないわよ!」
あ、考えを読まれてた。
でも、これはこれで変質者っぽいな。
「人間って難しいわね……」
わたしの考えに多少のショックを受けたのか、ソーちゃんは猫背になり、テーブルの上に顎を付けながら項垂れてしまった。
なんか、ごめんね。
「ごちちょうしゃまでしゅた(ごちそうさまでした)」
「お、サキちゃん。残さず食べれて偉いね」
「あい」
「今日は保育園休みだけど、なにしたい? ママと遊ぶ?」
「やりゃ(嫌だ)」
「アニメ見る?」
「やりゃ」
「じゃあ、お絵描きかな〜?」
「やりゃ、やりゃ(嫌だ、嫌だ)」
わたしの提案をサキちゃんが尽く断ってくるが、これには意味がある。
普通、何にでも子供が「やだ!」と言ってしまうイヤイヤ気というのは1歳から始まり、2歳ごろまで続くらしい(長い子で3歳)
だけど今までのサキちゃんには、そんな状態になれる余裕がなく、ただひたすらに大人の前ではいい子を演じ続けてきた。
最近のワガママやイタズラは、その反動だ。
そしてママと呼べる母親ができて甘えられる存在だと理解した為、一緒に過ごしているうちに自我が芽生え始めたのである。
急に態度が変わった、同居人(転生した、わたし)
新しくできたハルというパパ。
要は、どれだけ自分のワガママを両親は許してくれるのか? と、わたし達はサキちゃんに試されていたのだ。
(そういえばアパートで暮らしてた時とかも、何時の間にか壁に落描きしてたこともあったなあ)
もしかしたら、わたしは今までもサキちゃんに色々と試されていたのかもしれないが、娘の態度が元に戻らないことから、子育てを上手くやってこれたと考えてもいいのではないだろうか?
ちょっと遅い我が子のイヤイヤ期。
大人達に言われるままだったサキちゃんが成長への一歩を踏み出し、自立しようとする姿が目に入り、涙が出そうになる。
「じゃあ、ほっぺにチューしちゃおうかな?」
「やりゃー!(嫌だー!)」
「んー」
「きゃあ〜!」
サキちゃん、嫌って言ってる割には顔がニマニマしてるよ? きっと言葉にはできなくても、わたし達に愛されてるって感覚でわかってるんだよね?
「ママ、だめー!」
「ちゅー」
「やりゃ〜」
口では嫌がりながらも喜びを隠しきれない笑顔になっている我が子を優しく抱きしめ、わたしはサキちゃんの頬に唇を押し付けた。