憂鬱と不安と疲れ
レースをあしらった膝丈下まで長さのある青いサマーブルードレスに包まれ、部屋の中にある姿見の前で格好をチェックする。
今日はお見合い当日なので、相手方に失礼のないよう身嗜みに気を遣っているところだ。
「ハァ、なんでこんなことになったんやろ?」
ハルに口付けられた日、全ての記憶を思い出した訳ではないが、カナメとしてミカさんに接した時のことは走馬灯のように頭の中で映像として駆け巡った。
確かに、わたしは彼氏がいなかったらミカさんをもらうと言っていた。
今では性別が逆転してしまったけど、それは余り関係がない。
カナメとしての記憶はあるが、ハルにキスされた時、自らの性別は女性だったと自覚したのである。
まるで呪いが解けていくような感覚だったが、それは向こうの表情を見る限りハルも同じだったと思う。
それよりも問題は……。
「言うた……確かに嫁に貰ったるみたいなこと言うてたわ。せやけど、今となっては逆ちゃうん? うちが旦那もらうんか? ハルちゃん、婿養子にようこそ〜……って、なんでやねん!」
なんでも何も、わたしが原因なのはわかってるのだが、男性の時から慌てると関西弁が顔を出してしまう通り、現在も絶賛大慌ての最中なのである。
焦って頭を手で掻き毟ると、後ろにいたスミレさんから激が飛ぶ。
「ちょっとミカさん、せっかくセットしたのにぐちゃぐちゃにしないでくださいよ!」
夏休みという名の謹慎が終わり、何故かぐったりと疲れた顔をして戻ってきたスミレさん。
どうせどこかで遊び倒していたのが原因だろう。
入れ代わりでハルが夏休みに入り、わたしの秘書は優秀から残念へと戻った。
今日はお見合い前に美容院へ行こうとしてたのだけど「美しくすることなら、任せてください!」とかスミレさんが言ったので、お試しに髪型や化粧を頼んでみたのである。
ダメそうならお店に行けばいいと考えていたのだけど、この残念秘書は意外と人を飾ることに関しては上手かった。
人間、誰にでも1つや2つは特技があるものだ。
「よし、できましたよ!」
「ありがとう」
再び髪をセットしてもらい、スミレさんにお礼を言ったところで、ずっと側で見ていたサキちゃんが声を上げる。
「ママ、きゃわいい!(かわいい!)」
「ふふ、ありがとうサキちゃん」
女性としての自覚が出てから、男性としての自我? が残っていた時よりも可愛いや美人など言われると、より嬉しく感じるようになった。
今では違和感を抱いていたときのことは、懐かしい思い出だ。
まあ、そんなに時は経っていないんだけど……。
「サキちゃんも可愛いよ〜」
「ありあと!(ありがと!)」
サキちゃんの頭には白く大きなリボンが付いているカチューシャがされていて、服はピンクのワンピース。
膝下まであるスカートは、お姫様が着ているドレスの様にふんわりとした形をしていて、とても愛らしい。
もしかしたら、お見合いする当人である、わたしよりも気合いが入っているんじゃないだろうか?
(サキちゃんが相手なら、即OKの返事出すのになあ)
そんなアホなことを考えつつ、準備を終えたら家の前に待機させている車へと向かう。
用意されていたのは6人乗りの白いハイヤーで、運転はスミレさんが行い、後部座席にはダイキさんとヒナタさんが座っている。
中部にはチャイルドシートに腰かけているサキちゃん。
そして、その隣にはわたしがいる。
走行中、みんなと話ながら、わたしはハルの頬を叩いてしまった時のことを思い出す。
──
「な、な、な、なにすんねん!? アホー!」
パシン! という音が響き、ハルの頬には赤い、わたしの手形が残った。
「いてえな。なにすんだ?」
「こっちのセリフや!」
この日のことを思えば、キスという行為で互いに本来の性別を自覚していたけど、平手打ちしたり叩かれたりで正気に戻り、普通に話すことができたのかもしれない。
それでも暫くは言い合いみたいになったが、傍から見れば恋人同士の痴話喧嘩みたいなものだったろう。
内容だって「ユキと付き合ってるんでしょ?」とか「チナツって奴とは現在どういう関係だ?」みたいなのことを2人で感情のままに口に出した。
「「ハァハァ……」」
お互いに疲れたところで冷静な話し合いになり、情報の擦り合わせをした。
「……って訳だから、ミカは見合いに行くなよ」
「……」
そうハルに言われたけど、スーパーでユキと仲良くしている2人の姿を見て、怒りのままに帰り道でお見合いOKの返事をしてしまっていた。
最早、後の祭りである。
そして、そのことをハルに話したら「このバカ!」と怒鳴られ、わたしは泣きそうになった。
元関西人というのを思い出したので、アホは許せるけど、バカは冷たく感じるのだ。
だけど、そこからハルの行動は早かった。
お見合い相手の情報を集め、証拠資料を見せてダイキさんとヒナタさんの顔を青褪めさせ、この話は断る方向で2人を納得させてしまったのだ。
しかも何をどうやったのか、この件を利用してチナツさんとユキの父親に貸しを作ってきたらしい。
ハルの頬を叩いた日、わたしと話し終わった後、とても邪悪な笑みを浮かべていたけど、きっとそれが理由なのだろう。
夏休みの最中に何をやってるんだと思ったのは、記憶に新しいところである。
──
「……ふぅ」
車内にいるみんなに気付かれないよう、溜息を1つ吐く。
どうやら、今日お見合いする相手は、とんでもないクズらしい。
なるべく揚げ足を取られたくないので、外見上は完璧に仕上げてきたが、今からそんな人と話さなくてはならないと考えると憂鬱である。
それにハルにも「俺達のことを、よく考えとけよ?」と言われている。
それは、わたし達の寿命の件だろう。
車に揺られて眠くなったのか、少しウトウトしだしたサキちゃんを見る。
今まで大変な苦労をしてきた女の子。
できれば幸せにしてあげたい。
(やっぱり置いていく訳にはいかないよね)
でも、そうなると、あの邪悪な笑みを浮かべるハルと結婚する訳で……それはそれで大丈夫だろうか? という不安に駆られてしまう。
車中で将来のことをひたすらに考えていたせいで、お見合い場所であるホテルに着いた時、わたしは物凄く疲れていたのだった。
エタッたと思った人は素直に手をあげなさい。