溶ける呪い
しつこいようですが、ハル(元ミカさん)視点です。
公立高校に入学して学校生活にも慣れてきた頃、一時期は駅から消え去っていたストリートピアノも、新しく開催された芸術祭と共に戻ってきていた。
今はカナメさんの演奏が終わった直後で、椅子から立ち上がった彼は拍手している人々に軽く頭を下げている。
ふと目が合うと、わたしの方に向かって来た。
「あんた、またいるの?」
「やあミカちゃん。よく会うね」
「学校あるし」
高校が渋谷にあるので、ここにピアノを弾きに来ているカナメさんとは、何度も会っている。
「そっか。学校帰り?」
「うん。今日は午前中しか授業なかったから」
初めてカナメさんと会話した時は関西弁だったけど、普段は標準語を使っているらしい。
焦ったり不安になったり、いっぱいいっぱいになると、つい昔の言葉が出てしまうとかで、わたしと最初に出会った日は凄く心配されていたということを、後で知った。
申し訳ない。
不動産でアパートを紹介してもらった後は会っていなかったけど、ストリートピアノが復活してから、何度か彼の演奏を聴いてるうちに、イツキお兄ちゃんが居なくてもカナメさんとは話す仲になった。
「そろそろ昼休憩終わるから、俺は会社に戻るよ」
「うん。じゃあね」
「ミカちゃんも、ピアノ聴きに来てばかりいないで、たまには彼氏とでも遊びなよ」
「いないよ、そんなもん」
「そうなん? じゃあずっとおらんからったら、俺がもらったるわ」
「バカ」
「あはは。ほなな〜」
彼氏がいないという話題に焦ったのか、カナメさんは関西弁になると、別れの言葉を告げ慌てながら走り去っていった。
ただの冗談だとはわかっていたけど、心臓の動きが早くなり、顔も赤くっているのが自分でも理解できた。
(すぐ背中を向けてくれてよかった……)
そして、この日から、わたしは急激にカナメさんを異性として意識しだすようになった。
渋谷に行くと彼がピアノを弾いていて、わたしは演奏を聴く。
一通り終わると、2人で会話を始める。
そんな関係が凄く心地良かった。
だけど、芸術祭の期間が終わる共に、カナメさんとは会わなくる日が続いた。
(次は、いつストリートピアノが置かれるのかな?)
次の芸術祭が始まれば、また会えると思ってたけど、まさか死んでいたなんて、誰が考えるだろうか?
イツキお兄ちゃんも先に亡くなってたし、彼とは連絡先も交換してなかったから、わたしはカナメさんが、この世を去ったことを、ずっと知らずにいた。
◇
──スーパーの店内──
今や元ミカとなった、俺の身体に入っているカナメさんが叫ぶ。
「わたし、その日は、お見合いがありますから!」
(はっ!? なんだそれ、どういうこと!?)
昔の自分に恋愛感情を抱くなど、相変わらず変な感じだなとか考えていると、よくわからない話がカナメさんの口から飛び出した。
「おみ……」
「え〜、ミカお見合いするんだ〜。まあサキちゃんにも父親が必要だろうし、いいかもね〜」
俺が何かを言う前に、一緒にいたユキが、その話に賛成の意を示す。
「うん。じゃあ、そういうことだから、またね!」
「ばいばい〜」
「……」
呆気に取られていると、カナメさんは手早くレジを済ませ、スーパーから出て行った。
「……お見合い」
「そうだよ〜。うちとチナツさんの、お父さん達が相手を紹介したんだよ〜」
「なんでそんなことした!?」
「そんなに睨まいでよ、怖いなあ。ハルが悪いんだよ? いつまでたっても動かないから」
「……それはタイミングを伺おうと……」
「だから天界の話をミカにして、周りから固めていこうと思った? 確実に上手くいくように? それって自分の素直な気持ちを伝えるのを怖がってるだけでしょ」
「ユキに何がわかる!?」
「わかるよ。わたしとハルの仲じゃん。ねえ、もうミカは諦めたら?」
「……」
俺が黙っていると、ユキが物凄く冷たい目になる。
長い付き合いだからわかるが、こういう時の彼女は嫌悪している相手を思い浮かべていることが多い。
「ミカのお見合い相手ってね。女遊びが激しくて金遣いの荒いクズだよ。会社も倒産まっしぐら」
「なんだよ、それ……」
「この見合い話って、わたしとチナツさんにも来てたんだよ。財産目当てだね」
「なんだよ、それ!?」
「でも今のミカは相手のことを知らないから、もしかしたら了承しちゃうかもね?」
そこまで話を聞いて、俺はスーパーの外へと駆け出した。
ユキが「そうなったらなったで潰すけど……」という呟いてることなど、知りもせずに。
カナメさんがサキと住んでいる家へと向かって走り続けていると、レジ袋を持った見知った背中が目に入る。
「おい!」
「え? ハル?」
何を言おうかなんて考えてない。
ただ感情のままに叫ぶ。
「カナメさん!」
「かなめ?」
「ずっと好きだったよ!」
「ちょっと、誰に言ってるの?」
「もらってくれるって言ったじゃん!」
「え? え?」
訳がわからないという顔をしてるカナメさんの腕を引っ張り、抱き寄せる。
「ちょ、ハル? むぐっ!」
そして、そのままキスをした。
──
瞬間、呪いが溶けたように俺はハルになった。
たぶん、それは目を見開いて驚いた顔をしているミカも同じだったのだろう。
今まで、どこかで他人の身体だと思っていたのが、なんでそんな風に考えていたのか謎ですらある。
俺は男で、ミカは女。
これが当たり前だ。
「な、な、な、なにすんねん!? アホー!」
茹で上がったように真っ赤な顔をしたミカに、俺の頬は勢いよく叩かれた。