こっちにおいで
スーパーでの買い物を終え、再びタクシーを拾ってアパートまで戻る。
1つ計算違いだったのは、男だった時なら軽かった荷物も、今は女性である為に重く感じ、持ち帰るまでに結構苦労したことだろう。
タクシーで帰宅する時に運転手さんが気を利かせてトランクまでは移送してくれたが、その時に彼が胸元を見ていたのは気のせいだと思いたい。
「買いすぎたかな? まあ使わない肉や魚なんかは冷凍しておけばいいか。住んでるのが1階でよかったな。こんな重いのを2階まで持っていくとか、考えただけで嫌すぎる」
アパートは上下共に4部屋ずつあり、俺達が住んでいるのは下階の1番右隅だ。
「ただいまー」
「たらいま」
俺と女の子は玄関で靴を脱ぎ、部屋の中へと上がる。
「手、洗ってうがいしてね」
「あい」
半日で大分喋ってくれるようになったかな? と思ったが、考えたら女の子が自ら言葉を発したのは朝の「お弁当をください」くらいだ。
まだまだ、この女を警戒している感は否めないだろう。
俺も手洗いとうがいを済ませた後、洗面所から戻って玄関口の近くにある台所へと移る。
そしてレジ袋の中から購入してきた食品を取り出し、冷蔵庫の中へと詰め込む。
一通り終わって部屋に戻ると、オモチャの箱を開けた女の子がピンク色のパクトを嬉しそうに、何度もパカパカと開け閉めしていた。
(いや、喜んでくれている顔を見ると買ってよかったなとか思うけど、なんでこの子は部屋の隅にいるんだろう? よし、少しは仲良くなる為に声でもかけてみるか)
「こっちおいで」
あれ? 固まった。
身体に傷もないから、別に暴力を振るわれたりとかされていた訳じゃないっぽいんだけど、なんでこんなにも、この女に対してビクビクしているんだろう? 一応、母親なんだよね?
「ん?」
スマホが光っていたので画面を触ってアプリを開き、書かれていた文章を診てみると『今日の朝、家に行くって言ったのに何でいないの!? 来て欲しいって言ったのミカの方じゃん! てかサキちゃん元気?』とあった。
(あ、あかん、既読になってもうたやん)
どんな友人関係なのか全くもって知識が無いから、何をどう返していいのかわからない。
会話の内容から察するに、たぶんミカってのが今の俺で、サキちゃんって呼ばれてるのは部屋の隅にいる女の子のことだよな?
暫く悩んだ末に、一言だけ「元気だよ」と返すと、すぐに返信があった。
『そっか。サキちゃんのお母さんとお父さんが亡くなって、ミカが引き取るってなった時はどうなるかと思ったけど、元気ならよかった。ミカ、上手く話せないってショック受けてたもんね〜。てか聞いてよ、サトシが他の女といたの! ひどくない!?』
うん、情報量が多すぎて付いていけないし、君もサトシも誰やねん。
(つまりなんだ? サキちゃんの両親は亡くなっていて、この女(今の俺)が引き取ったということか? 一体、どういう関係なんだろう?)
というか、そんな過去があるのなら、いつか本当の親じゃないと知った時の為にも、余計優しくしてあげとかなければダメだと思う。
今はわかっていないのかもしれないけれど、いつかは真実を突き付けられる日がやって来る。
そんな時に愛情を沢山注いでもらったという事実があれば、そう簡単には非行にも走ったりしないのではないだろうか?
そう感じた俺は未だに部屋の隅で固まっている小さな身体へと向かって笑いかけ、座ったまま両手を広げてみる。
「サキちゃん、こっちにおいで」
その声に反応して、部屋の隅にいた女の子はトテトテと小さな歩幅で歩いてきてくれた。
(もしかして、最初に呼んだ時は笑顔を浮かべていなかったから、俺に怒られるとでも思ったのかも知れないな)
近付いて来た小さな身体を優しく抱っこすると、今まで張り詰めていた緊張が切れたのか、急にサキちゃんが泣きだした。
「ママ……パパ……うわーん!」
(ああ、この子は、もう自分の両親がこの世にいないってことを理解しているんだ)
泣いて悲しんでいるサキちゃんを安心させる為、小さな背中を何度も優しくポンポンと叩く。
そのとても小さな身体から血が通った温もりが伝わってきて、気付けば俺も自然と涙を流していた。