腹立つ
「惚れましたよね?」というスミレさんの1言で意識を取り戻し、わたしは何もなかったという体を装い、和室の畳に腰を下ろす。
目の前には木製の長く平たいテーブルがあり、その周りを12人で取り囲んでいる形だ。
軽く自己紹介をした後、各々頼んでいた飲み物を手に持ち、乾杯する。
わたしが社長という事に、みんなが驚いていたけど、特に何かを言われるということもなかった。
「ハル君、少しだけ仕事の話をしたいから、こっちにおいで」
スミレさんが声を掛けて、対面に腰を下ろしていた人物を呼ぶ。
こっちに恐ろしく整った顔立ちが、ゆっくりと近付いてくる度、わたしの胸の中で爆音が鳴っている。
脳内で自分に(落ち着け〜)と、言い聞かせていたら、わたしの耳元に口を近付けてきたスミレさんが、そっと囁く。
「……ミカさんの隣に座らせるんで、がんばってくださいね」
「……は?」
「……大丈夫です。新社長の評判はいいので、ミカさんとハル君がくっ付くなら、女子社員達は認めてくれますよ」
親指を立てながら、自分に任せろというジェスチャーをしているが、全くもって話にならない。
わたしは心臓が高鳴ってしまう原因を突き止めたいのであって、彼氏を作りたい訳じゃない。
というか、男と付き合うなんて、お断りだ。
だから、そのニヤニヤした顔をやめろ、残念秘書よ。
今までサクラシバ関連でスミレさんを散々からかってきたからか、その仕返しが多分に含まれている様な気がするのは考えすぎだろうか?
「……てか、わたしの評判っていいの? 入社式行かなかったのに?」
「……今回、遅刻していればマイナスイメージだったかもしれませんが、飲み会の予定時間には間に合ってますし、その辺は大丈夫ですよ」
「そんなもんなんだね」
「……ええ、それにミカさんって、社長に就任してから、必要の無い時は会社に来なくていいとか言って、大幅な社内改革したじゃないですか?」
「うん、したね」
「……アレでセクハラやパワハラじみたことをされていた社員達は、男女共に大分救われたみたいですよ?」
「……どういうこと?」
「……嫌な上司と必要最低限しか会わなくていいから、人間関係が楽になって助かると、感謝している社員達が多いんです」
「へぇ〜」
そんな嫌われてる上司が社内にいる事自体、情けないが、がんばって働いてくてれている社員達の為になっているのなら、改革をしてよかった。
わたしがサキちゃんと過ごしたかったのが理由だとは、とても言えないけど……。
(しかしパワハラやセクハラは許せんな。その上司は調査してみて、行動が酷かったら減給なり何なりと処分しないと)
「アキカワさん、仕事の話って?」
「いやん、ハル君、わたしの事はスミレって呼んで〜」
(残念秘書が猫なで声だしてる……)
しかし、それもしょうがないかもしれない。
サクラシバの声は男性特有の低さはあるが、聞いた相手の脳に直接響かせるようなセクシーさも持ち合わせているのだから。
こんな魅力的なボイスで、愛の言葉を耳元で囁やかれでもした時には、殆どの女性は恋に落ちてしまうのではないだろうか?
その証拠に、ほら、嫉妬の声が、あちこちから聞こえてくる。
『なに、あの女?』
『わたし達のハル君に、色目使うんじゃないわよ』
『社長秘書の権力使うとか、情けなくないのかしらね?』
スミレさんの猫なで声に、女子社員達が拒絶反応を締めしている。
しかもヒソヒソと喋るのではなく、こちらにキチンと聞こえるように仲間達と話していた。
女子達って、怖い。
さっき、スミレさんは新社長の評判は高いと言ってくれたが、もし、このままサクラシバと仲良くなったら、わたしもタダじゃ済まないかもしれない。
なるべく関わらないでおきたいが、もうサクラシバが側に来てしまったので手遅れだ。
「とりあえずハル君は、ここに座って」
「はい」
わたしとスミレさんの間に挟まれる形で、サクラシバが床に腰を降ろす。
一瞬、こちらを見てきて視線が合った時、自分の顔が紅潮していくのがわかったので、それを冷ます為に慌ててウーロン茶を飲んだ。
「で、ハル君が取ってきた契約の、これなんだけど……」
「ああ、それは……」
本当に自分は、どうしてしまったのだろう? やたらと心臓の音はうるさいし、隣に座っているサクラシバの顔も見れずに反対側を向いてしまう。
どこか負けた気がするのが嫌で、一瞬だけ話し合いをしている2人の方へと視線をやってみる。
だけど目に入ってきたのは、わたしの態度を見て、ニヤついているスミレさんの顔だった。
腹立つ。
「よし、これで仕事の話は終わり。せっかくだからハル君とミカさんで、少し喋ったら?」
いや、残念秘書さん? そういう余計なお世話とか要らないんだよ?
あ、サクラシバが振り向いた。
やばい、緊張する……どうしよう?
サクラシバも酔っているのか、少し顔が赤い。
また最初の時の様に見つめ合ってしまい、どちらからも話すことなく、2人の間に沈黙が流れた。
(なにか言わないと……)
相手は新入社員だし、喋りかけられるのを待っているのかもしれない。
なので、ここは社長自らが、なにか話題を提供するべきだろう。
とりあえず喉を潤す為、ウーロン茶の入っているグラスを持ち、一気に飲み干す。
『あ、それ、わたしのお酒……』
あれ? なんか目の前がぐるぐるする。
そういえば、さっき女子社員が何か言ってたような?
「ああ! ミカさん、大丈夫ですか!?」
うーん、スミレさんが叫んでる? なんか目の前が暗いような?
そして、わたしは意識を失った。




