脳内パニック
「やばい。このままだと飲み会に遅刻しそうですから、すぐに向かいましょう」
「いや、スミレさん。これ寝巻……」
「いいんですよ、そんな事は!」
金曜日の夕方から撮影の仕事が入り、今は黒く柔らかい生地のキャミソールを上に着て、下はロングパンツを履き、寒くなった時の為に同色のカーディガンを羽織っているという格好だ。
こんなラフな服装の3点セットで、このまま飲み会に向かっていいのだろうか?
それに一応社長だし、仕事が忙しかったのを説明すれば、新入社員達だって多少は遅れても許してくれるんじゃないのかな?
なんて、わたしの甘い考えを見透す様に、スミレさんがキッと睨んできた。
「ミカさんは入社式にさえ来なかったんですから、このままじゃ新社長は時間を守らない人というイメージが付いてしまいますよ」
「あの時は、サキちゃんが熱だったんだから仕方ないじゃん」
「それはそうですが、前社長が1人の為に入社式をするなどと我儘言ったせいで、無理やり集められた社員達の身にもなってください」
「え? なにそれ? 初耳なんだけど……」
スミレさんに話を聞くと、どうやら今は会長であるダイキさんが、わたし1人の為に入社式を派手に開催しようとしていたらしい。
自分としては、その時に新入社員達も初めて会社に入って来るものだと考えていたのだが、どうやら違ったみたいだ。
(入社式が7月中旬とか、物凄く中途半端な時期にあるなあなんて、のんびり構えてたよ)
というか、ダイキさんも、わたし1人が会社に入ってくるだけで、そんな派手な会を開催しないでほしい。
当時は、まだスミレさんに色々と教わっている最中で、新社長に就任した訳でもなかったのだから。
しかし、そんな話を聞いてしまっては飲み会とはいえ、新入社員達を再び待たせるのも申し訳ない。
キャミソールの胸元が開いてるのが気になるが、最近はモデル仕事やプライベートの時は、いつも似た様な服装をしているので我慢しよう。
「じゃあ急ごうか」
「はい。既にタクシーを呼んでます」
(スミレさんって、撮影やサクラシバのことが絡むと人格変わるけど、仕事はできるんだよなあ)
心の中で、残念美人秘書に溜息を吐きつつ、わたし達は飲み会が開かれる居酒屋へと向かった。
「ここ?」
「そうです」
着いた場所は、余り聞いたことのない居酒屋だった。
店内は薄暗く、歩く道は石畳で作られていて、端っこには水が流れている。
予約していたみたいで、スミレさんが名前を告げると、店員さんが部屋へと案内してくれる。
グレイのパンツスーツ姿の横に、黒の寝巻を着たギャルが並んで歩くのには、少し違和感を感じるが、それには触れないでおこう。
「何人いるんだっけ?」
「10人ですね。男性3名の女性7名です」
「へえ、そこにスミレさんが、大好きなサクラシバもいると……」
「だからそんなんじゃありませんってば!」
「ごめん、ごめん」
「はぁ、まあいいです。そういえばミカさんって、お酒飲まないんですよね?」
「うん」
「じゃあ、先にウーロン茶でも頼んどきますね」
「ありがとう」
前を歩いていた店員さんに、スミレさんが飲み物を注文する。
多分、新入社員達が全員お酒を飲んでいるのに、1人だけジュースを頼んだら場の空気が盛り下がるかもしれないので、先に手を打ってくれたのだろう。
わたしとしては好きな物を飲食すればいいと思うが、わざわざ気を遣ってくれたスミレさんに、一々そんな事を言うのも野暮というものだ。
「あ、もうみんな先に来てるみたいですね」
案内された部屋の障子越しに、賑やかな声が聞こえてきた。
店員さんがドアを開くと、今までの騒ぎが静まり、室内にいる人物達の視線が一気に、こっちへと集中する。
そんな中、わたし達より少し前に着いたのか、部屋の中で1人だけ立っている男性がいた。
金髪のミディアムヘア、身長も高く、顔も小さい。
両耳には、大量のピアスが飾られている。
(後1つでも空けたら、耳たぶが千切れそうだな)
男性の服装は上下黒だが、着ているシャツには、大小の白い星が散りばめられている。
(なんかプラネタリウムに行きたくなる)
下は無地のブラックパンツを履いている。
ストレッチ素材なのか伸縮性もありそうだし、長さも七分丈で涼しそうだ。
(そういえば、ハーフだったっけ?)
白い肌、2重まぶたにヘーゼルの瞳に小さな輪郭と、恐ろしいくらい整った顔をした男性と、わたしの視線が合った時、世界が止まった。
1度静かになった周りが、また話を始めていたのはわかっていたが、何も聞こえてこない。
わたしも彼も目を合わせたまま、どちらからも視線を外さず、互いに見つめ合ったままだ。
急激に心臓の鼓動が高鳴る。
一体、なぜ、わたしはドキドキしているのだろうか?
それに、こういう現象にも覚えがある気がする。
どこで経験したのだったか? あれは確か……そうだ、顔は思い出せないけど、きっと前世で出会った女の子に抱いた感情と同じだ。
自分の心臓が鼓動を早めている原因を突き止める。
あ、これ恋だ。
いやいや、ちょっと待て! 元同性だぞ!? わたしにそんな趣味はない!
さっき思い出した初恋? だって、女の子だったじゃないか!
ならばなぜ、こんな風になっているのか?
(……もしかして、ミカさんの身体が勝手に反応してる?)
あれこれ考えを巡らせていると、隣に立っているスミレさんの一言だけが耳に届いた。
「ミカさん、惚れましたよね?」
うるさい! こっちは今、脳内パニックなんだよ!