楽しければいい
「ううん……」
夏の暑さで目が覚める。
「うわっ、びっくりした……」
ダイキさんが建ててくれた家の2階にある一部屋に、内装の壁がピンクになっている室内があるが、起きたばかりの視界に飛び込んでくる色としては、少しばかり目に痛い。
「まだ、この部屋には慣れないな」
1階には和室、洋室と眠れる場所が2箇所あるが、ダイキさんやヒナタさんが泊まる事もある為、わたし達は2階で寝る様になった。
わざわざ年配の方に階段を使わせて2階に上がってもらうのは申し訳ないし、この部屋に居るのを、サキちゃんは大層気に入っているからね。
「う〜ん!」
身体を伸ばしながら、スマホで時刻を確認してみると、まだ早朝の5時だった。
起きるには少し早いが、寝汗をかいているので、シャワーでも浴びてサッパリしたい。
「いや、せっかくだから、お風呂を沸かそう」
「うみゅ〜、おあよ……」
お風呂場がある1階に降りようと、部屋のドアノブを掴んだところで、背中越しに声を掛けられる。
振り向くと、まだ眠そうな顔をしたサキちゃんが目を擦りながら、床に敷かれた布団の上に座っていた。
「起こしちゃった? まだ寝てていいよ」
「どきょいきゅの?(どこ行くの?)」
「お風呂入ろうと思ったから、下に降りるところだよ」
「サキもはいりゅ」
「え? 一緒に入るの?」
「おんにゃのこでしゅから」
女の子ですから? それはつまり、保育園に好きな男の子がいるということか? いやダメだ、考えるな。存在の影を感じるんだ。そして排除しよう。
もしその子に会った時、どんな質問を親としてするべきか? 両親の年収は? 将来は何になるつもり? わたしより、あなたの方がサキちゃんを幸せにできるとでも?
お前に娘はやらん!
「ママ、きゃおこわいよ?」
「え、顔が怖い? いや、うん、何でもないよ……お風呂沸いたら起こすから、それまで寝てていいよ」
「ふぁい」
口に手を当てながら、小さなアクビをするサキちゃん。
まだ眠かったみたいで、いつもみたいに「あい!」とは言わず、布団の上で横になると、すぐに眠ってしまった。
静かに室内から出て、ドアを閉める。
隣には自分の部屋もあるが、あまり使用はしていない。
サキちゃんは、わたしの隣で寝たがるし、なるべく仕事以外の時間は遊んであげたいので、家の中では殆ど一緒に過ごしている。
ご飯とお風呂以外は、ほぼピンク部屋にいるので、あまりアパートにいた時と変わらない生活をしているかもしれない。
この部屋の広さだって6畳だし。
せっかく広い家に引っ越したのに、元の生活と同じでいいのだろうか?
「いや、まあリビングキッチンになったし、お風呂だって檜で作られてて温泉みたいだ。足だって伸ばせる。というか多少は泳げる。変わってるところもあるか」
それにあまり急激な変化はストレスを生むし、豪華になったところはあってもアパートみたいに過ごせるのなら、それはそれでいいのかもしれない。
「そろそろかな?」
下に降りたついでに朝食の準備を軽くして、お湯が溜まったところで上に戻る。
「サキちゃん、お風呂沸いたよ」
「おふりょ!」
おお、一言だけで起きた。
もしかして、朝からシャンプーの匂いを身に纏わせたいくらいに、気になる異性でもできたのだろうか? 母として心配だ。
なんて思っていたんだけど、サキちゃんが、こんなにお風呂に入りたがっていた理由は、髪の毛を洗ってる時にわかった。
「楽しい?」
木製の椅子に座りながら、わたしはシャンプーハットをしてるサキちゃんの髪を洗っている。
「……」
「集中しすぎて聞こえてないな、これ」
目の前で髪を洗われているサキちゃんは、虹と同じ色の種類があるプリン容器みたいな物を積んでいる。
(ヒナタさんに買ってもらった、お風呂で遊ぶオモチャがあるから、それを使いたかったのか)
変な心配をする必要がなくてよかったが、あの女の子ですから発言はなんだったのだろうか?
(きっと、どこかで覚えてきたんだろうな)
カラフルなオモチャを積んだり、横に並べたりしているサキちゃんを見て、わたしは心からホッとする。
そう、この子に異性は、まだ早いのだから。
「あ、くじゅれた」
「積んでたの崩れちゃったね〜。ほら、お湯に浸かるよ」
「あひりゅ、うちゃべていい?」
「アヒルを浮かべるの? それもヒナタさんに買ってもらったオモチャ?」
「ちょう!(そう!)」
「そっか、いいよ」
どんな仕組みになっているのか、お湯に黄色いアヒルを浮かべると動きだした。
「にんぎょもありゅ!」
「人魚もあるの? いっぱいオモチャ買ってもらったんだね」
「あい!」
お湯に人魚のオモチャを浮かべると、先に動いているアヒルを追うように泳ぎだした。
(これ、なにが楽しいんだろう?)
人魚がアヒルを追いかけているというのも不思議だが、お風呂で遊ぶオモチャというのは、どこが面白いのか謎だ。
だけどサキちゃんは楽しい! という顔をしているし、これで満足なのだろう。
きっと、わたしが純粋な心を失ってしまったのだ。
「大人になんてなるもんじゃないな……」
「サキも、およぎゅ!(およぐ!)」
「それはダメ!」
「にゃんで?」
「それは……わたしが泳ぐからだ!」
「ママ、ずりゅい!(ずるい!)」
マナーが悪い? そうだね。
でも、今のわたしには行儀作法を守るより大切な事がある。
「子供の心を取り戻すのだ!」
後で温泉や銭湯なんかでは泳いじゃダメと、サキちゃんに教えとかないとな。
説得力はないけどね。
「サキも〜」
「おいで!」
あれ? そういえばサキちゃんって泳げるの? あ、アレは沈んで歩いてるだけだね。
まあ、今は楽しければいいか。
誤字報告ありがとうございます。
久々に言っとこうかな。
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