がんばろう
「許さないぞ、サクラシバー!!」
「いや、何を中目黒公園で叫んでるんですか?」
芝生の上にシートを敷き、近場のデパートで購入したアップルパイと紅茶を食べて叫ぶと、それを聞いていたスミレさんにツッコまれた。
しかし、この公園は緑が豊かで良い場所だ。
草花も多くて平和な雰囲気だし、今度サキちゃんも連れて来てピクニックをしよう。
わたしが怒りに震えている理由は、サクラシバハルという人物が、数多の契約を取ってきたせいである。
(い、忙しすぎる……)
いくら新入社員が契約を取ってこようとも、対外的に物事を進めるのは代表取締役の権限を持つ、わたしや会長のダイキさんになるのだ。
だからサクラシバが仕事をすればする程、社長の仕事も増えて、家に帰るのが遅れる。
いや、新入社員は働いただけなので、何も悪くないが、少しくらいは八つ当たりしたいのだ。
なるべく、サキちゃんの生活を豊かにしようと考えて働いている訳だが、会長はのんびり孫と過ごし、わたしだけが忙しくなるとは、これ如何に?
しかもダイキさんは、ヒナタさん、サキちゃんと過ごすのに夢中なので、中々表に出てきてくれない。
本当に大変になれば手伝ってくれるだろうが、現状で忙しくなっているのは1人だけである。
そう、先程も言ったが、その人物とは……わたしだ。
こういう時、どうすれば問題が解決できるのか?……うん、忙しくなっている原因をとり除く事だな。
そうなれば、方法は1つだ。
「よし、サクラシバをクビにしよう」
「バカを言わないでください」
「ダメ?」
「当たり前でしょう。自ら優秀な人材を手放してどうするんですか」
「わかってる。冗談だよ」
「いえ、8割は本気でした」
「……」
わたしが社長業を引き継ぐとなった時、急いで詰め込み教育をする事になり、その面倒を見てくれたのがスミレさんだ。
なので先生である彼女がそう言うのなら、自分でも知らないうちに、割と本気で解雇してしまおうという考えになってしまっていたのかもしれない。
これはいけない。
忙しすぎると心の余裕が減る。
このままじゃ仕事だって、余り良い結果を生まなくなってしまうのではないだろうか?
だから少しは、ゆっくりする時間が必要だ。
ならばどうすればいいのか?……うん、結論が出た。
「よし、サクラシバをクビにしよう」
「だからアホですか!? それじゃさっきと言ってる事が同じですよ!?」
うん、これじゃ確かに堂々巡りだ。
「でも、疲れたんだよ……」
「仕事なんだから我慢してくださいよ。それに少しのんびりしたいとミカさんが言うから、緑が多い場所で昼食をとっているんですよ? 行く予定だったフレンチレストランのランチ楽しみにしてたのに」
「そうだったの? ごめんね」
お偉いさんとの付き合いでもない限り、昼から豪華な食事とかしたくないけど、フレンチをスミレさんが楽しみにしてたのなら悪い事をしてしまった。
お詫びに午後から仕事は、がんばって早めに終わらせて、自由時間を多めにしてあげよう。
よし、やるぞ!
「スミレさん、この後の予定は?」
「えっとですね、まずは通販番組の出演と……」
「それは広報の仕事じゃないの?」
「若い美人社長の方が話題性ありますから。それが終わればハル君が取ってきた渋谷の百貨店と豊洲にあるショッピングモールでの出店契約、次に新店舗に関する内装や人材配置に関してをリモートで会議して……」
「……」
「あ、まだハル君が取ってきた案件がありますね。えーと、場所が原宿、銀座、船橋、越谷ですが、今日中には回れないので千葉と埼玉は明日に回しています。それからですね……」
(もう、帰りたくなってきた)
いや、負けるな。
ついさっき、がんばると言ったばかりじゃないか。
ほら、瞼を閉じればサキちゃんが応援してくれているよ。
『ママ、がんばっちぇ!(がんばって!)』
『サキ、おうえんちてりゅ!(応援してる!)』
『ママの、かえりゅおちょいのさびち(帰り遅いの淋しい)』
『いっちょにあちょびちゃい(一緒に遊びたい)』
「サキちゃん、今すぐ帰るからね!」
「現実逃避しないでください。ほら、行きますよ」
「よし、サクラシバを代表取締役にしよう。そうすれば、わたしが仕事をする必要はない」
「何を言ってるんですか? 確かにウチの会社は能力主義ですが、入社したばかりのハル君を役員なんかにしたら、他の社員達から不満が続出しますよ」
「わたしも早く社長になったし、平気なんじゃない?」
「ミカさんは会長の娘さんですから、まだ理解できますが、何の後ろ盾もないハル君には荷が重すぎます」
「スミレさん、さっきからサクラシバの事を庇いすぎじゃない? 惚れたの?」
「そんなんじゃありません!」
あれ? 顔真っ赤じゃない? これはもしかすると、もしかするのかも?
「ミカさん、ニヤついてますけど、本当に違いますよ。ハル君は女子社員達にアイドル的人気があるだけです。眺められれば幸せなんです……変な女が近付いて来ないようにしなきゃ……」
なんか喋ってる途中で親指の爪を齧りながら、ブツブツと呟きだして、スミレさんが少し怖い。
小さな声で「守んなきゃ……わたし達、ファンがハル君を守んなきゃ……」とか聞こえてくるし。
まだ会った事もないが、ここまで本気で人を変えてしまうサクラシバに恐れを抱く。
一体、どんな人物なんだろう?
今日が水曜だからサクラシバと会うのは明後日になるが、新入社員には女性達もいるので、変なトラブルにならず平和に終わってくれればいいけど。
考えてしまうと気が重くなる為、わたしは瞼を閉じて、ウチの小さな天使の顔を浮かべる。
『ママ、がんばっちぇ!』
いつも聞いているサキちゃんの声が、ハッキリと思い出せる。
うん、午後の仕事もがんばろう!