待ちきれない
──わたしとハルが出会ったのは、いつだっただろう? そうだ、アレは──
「えっ? 会食?」
社内の撮影所でグリーンシートに立ちながら、衣装である黒のノースリーブを上半身に着て、ふくらはぎが隠れる長さのミモレ丈であるフロントスリットが入ったタイトスカートを履きながらモデルになっていると、目の前でカメラを構えているスミレさんに、金曜日の夜は予定を空けていくように言われた。
「いい……いいですよー! はぁはぁ……」
「いや、スミレさん。息遣いが荒すぎて怖いから」
「お姉ちゃん、次は少しおへそ出してみようか? ふぅふぅ……」
「誰が、お姉ちゃんだ!」
この茶髪ショートカットにグレイのパンツスーツ姿がトレードマークであるスミレさんは、わたしの秘書になってから、どんどんと本性が出始めている。
初めて会った時は仕事ができる大人の女性という感じで格好良かったのに、今ではとんだ残念美人になってしまった。
「スミレさん、会食の話は!?」
「そんなのどうだっていいんですよ! ほら早く上を捲りなさいよ!」
ねえ、今や会長になったダイキさんの元で仕事をしていたとはいえ、わたし社長だよ? そんな態度でいいの? 専属秘書なんだからスケジュール管理をしてくださいよ。
「ええい、焦れったい!」とか言いながら、突進して来たスミレさんの頭を慌てて手で抑える。
おい、そのカメラを何故胸元に向けた? もう撮影しようとしてるの服じゃないじゃん。
「は、離せ〜!」
「おい、わたしの顔はこっちだ」
「くっ、む……無念」
スミレさんの顎を掴んで顔を持ち上げ、無理やり目線を合わさせると、茶髪スーツは拳を天に掲げた後、そのままその場に倒れ込んだ。
「いや、何やってんの?」
「はっ! 余りにもミカさんの色気が凄すぎて、つい我を忘れました」
「ヨダレ垂れてるよ?」
腰ポケットからハンカチを出し、口元を拭くスミレさん。
本当にいつから、こんな残念秘書になってしまったのか?
「話、戻していいかな?」
「はい。なんでしたっけ?」
「いや、会食のやつ」
「ああ、新入社員の歓迎会ですね」
「それって、わたしが行かないとダメなの?」
「今年は優秀な子等が多いんですよ。なので美人社長と言われるミカさんにも来てもらって、更にやる気を出させていただけたらなと」
「ふーん、普通の大卒なら22歳か。わたし年下だけど大丈夫かな?」
ミカさんになる前は30代だった気がするが、今となっては20歳だし、そんな若い女社長に来られたら、新入社員達だって、どう接していいかわからないのではないだろうか?
そう考えると、わたしが参加する方が迷惑になってしまう気がする。
「いや、ミカさんって入社式の時、サキちゃんが熱出たから看病してて来れなかったじゃないですか? だから新入社員達は社長の顔を知らないんですよ」
「そういえばそうだったね……」
「家で仕事をする人達が多くなったとはいえ、会社内では新入社員達とも会う事だってあるでしょうし、その時にバイトと勘違されて仕事を任かされない様に、少しだけでもいいから顔見せしてください」
「いや、でもサキちゃんが……」
「会長達が面倒を見てくれる様、手配してあります」
残念秘書さん、仕事してたよ。
いや、なんでそこだけ優秀なの? スケジュール管理ミスってくれてもいいんだよ?
だって新入社員と会食をするより、サキちゃんと過ごしたいからね。
「それにミカさんは年齢を気にしているみたいですけど、18歳の子もいますよ」
「えっ? 高卒で入社したの? やる気が凄いね」
「イギリス人と日本人のハーフで顔もスタイルよくて、男性なのにレディース服にも詳しいから、相当ファッションについて勉強してるんでしょうね。この前、先輩に仕事を教えてましたよ」
「それはどっちが後輩なのか……頼もしいやら情けないやら」
「女子達の人気も高いですし、営業を任せてみたら契約もバンバン取ってくるので、ウチとしては手放したくない人材ですね」
「へ〜」
そんなに優秀なら確かに会社としては逃したくないかもしれないが、前世で彼女も結婚もできなかったわたしからしたら、顔がよくて女性人気が高いというだけで敵だ。
どうせなら神様も記憶を消してくれればいいのに、何故こんな嫌な思い出だけ残してくれているのか謎である。
かといって新入社員達を無視してしまえば、社内で社長に嫌われてるとか悪い噂が出回るかもしれないので、会食には出席した方がいいだろう。
「わかった。行くよ」
「はい。よろしくおねがいします。今日の撮影は終了ですけど、着ている衣装は購入します?」
「そうだね。このまま帰るよ」
「ミカさん、前までは嫌がってたのに、最近はスカート履く様になりましたよね」
「サキちゃんが褒めてくれるからね」
「子供の意見で格好も変えるとか、本当に親バカですね〜」
「あはは」
未だに慣れないし歩き辛いが、スカート姿を見せるとサキちゃんが喜んでくれる為、たまに履いている。
ただ服を選ぶのが面倒なので、モデルをした時に着た服装を、そのまま購入しているだけだ。
「じゃあスミレさん、先に帰るね」
「はい。お疲れ様でした」
タクシーに乗り、ダイキさんが建ててくれた新しい家へと帰宅する。
今日もサキちゃんの面倒を見てくれているお義父さんとお義母さんは、最近、よく遊びに来る様になった。
新しい家に不便はないか? と聞かれるが、2階建てで5部屋も有るのだから、そんな心配は不要だ。
一体、今まで住んでいたアパートは何だったのだろうか? いや、アレはアレで楽しかったけど。
まあ最初に3階建ての15部屋を建てるとダイキさんに言われた時は、2人で住むには広すぎると慌てて止めたけど。
ドアを開けて家の中に入ると、トテトテと歩いて来たサキちゃんが笑顔で出迎えてくれた。
「ママ、おかえりゅ!(お帰り!)」
「サキちゃん、ただいま〜」
「だっこ!」
「手洗うから、ちょっと待ってね」
「だっこ!」
「待っててば」
「だっこ!」
いや、犬じゃないんだから。
なんでそんなに待ちきれないかな?
「え〜い!」
「きゃー!」
うん、抱っこした。
どうやら、わたしも待ちきれなかったみたいだ。