わんこ
3人で朝食を食べた後、みんなで渋谷まで行く事になった。
電車で向かおうかとも考えたが、それではサキちゃんの体調が悪くなった時、次の駅に着くまでは降りられない。
なので、すぐに降車できるタクシーを呼んで渋谷へ行く事にした。
車内の後部座席ではユキさんの膝上にサキちゃんが座っていて、早朝から家に訪ねて来た黒ギャルは、ずっとウチの天使に話しかけている。
「サキちゃ〜ん、あれは何かな?」
「びりゅ」
「お、当たり〜。高いビルだね〜」
「たきゃい」
「お、犬を散歩させてる人がいるよ?」
「わんこー!」
「サキちゃんは犬と猫だと、どっちが好き?」
「わんにゃん!」
「どっちも好きなんだ〜。ワンコもニャンコもかわいいもんね!」
「あい!」
サキちゃんに車が怖い物とは考えさせず、次々に話題を提供するユキさんのテクニックが凄い。
思い返してみると、ウチの小さな天使がタクシーに乗った時は運転手が座っている席の後ろを、ずっと見つめていた気がする。
(もっと早く気付いてあげるべきだったな……)
今更後悔しても遅いが、あの時は小さなモニターで流れるCMを無言で見つめていたから、それに夢中なんだと思っていた。
でも、本当はサキちゃんはタクシーに乗っているのを怖がっていて、それを隠す為にモニターに集中していたという事なのだろう。
今、考えてみたら、窓から外の景色を見る余裕が無かっただけとしか思えないし、それに気付けなかった自分も情けない。
「はぁ……」
「ミカ、溜息なんて吐いて、どうしたの?」
「いや、ちょっと自分が情けないなと思って……」
「そう? 全くしなかった料理もする様になってたし、サキちゃんも懐いてるみたいだし、そんな事ないんじゃない?」
「そうかな?」
「うん。それにさっきからソワソワしながら心配そうな顔でサキちゃんを見てるし。でもママっていうか、パパみたいだけど」
「そ、そ、そんな事ないよ」
「なに焦ってるの? 冗談だよ」
ユキさんに、まるで男みたいと言われ、少し慌てながら否定してしまった。
それにどうせならママと呼ばれるよりはパパと言われたいが、色々と寛容な世の中になったとはいえ、そんな事になれば世間様の目は大変厳しくなるのではないのか? とも思う。
「てか、ミカさあ、なんでノーメイクな上にスウェットなの? それは女として、どうなの? お、サキちゃん、ニャンコいたよ〜」
「にゃんきょぉ〜。ちろい!」
「うん、真っ白だね〜。後、髪の根元も黒くなってるし、ついでに美容院も行っとこう?」
サキちゃんの相手をしながら、こっちにも飽きさせない様に話題を振るユキさんが、やっぱり凄い。
「それから服も買って、お洒落もして、そしていい旦那さんを捕まえないと!」
「……」
黒ギャルの持つコミュ能力の高さに驚いていると、なんかとんでもない事を言われた。
今は女性でも元は男なんだから、旦那を持つとか絶対にお断りであるが、確かに髪色は染め直した方がいいかもしれない。
もしミカさんが、この身体に戻ってきた時、色々と変っていて不満があったら、あの人の事だから天国とか地獄まで追ってきそうで怖いし。
「お姉さん達、着いたよ」
タクシーの運転手に言われて料金を支払い、渋谷駅近くに降りると、急にサキちゃんが駆け出したので慌てて追いかける。
「ちょっと、サキちゃん! どこ行くの?」
「わんきょぉ〜!」
「ああ、ハチ公か」
「ちょっと〜。ミカもサキちゃんも、急に走り出さないでよ〜」
渋谷駅近くにある忠犬ハチ公の銅像が車内から見えたから、ずっと気になっていて、つい走り出してしまったのかもしれない。
「ほらサキちゃん、危ないから手を繋ごう?」
「あい!」
衝動に駆られて走り出したサキちゃんに追い付いて手を繋ぎ、後ろにいたユキさんを少し待って、3人揃ったらハチ公前まで一緒に歩く。
「あちゃま」
銅像の前に立つと、サキちゃんがハチ公に触れようと手を伸ばすが、高い台座の上に、お座りしている犬には全く届いていない。
「撫でたいの? ほら、こっちおいで」
サキちゃんを抱っこしてみたが、それでも届きそうにないので、肩車してみると足元には触れたみたいだ。
「あちゃま……」
「ミカ、交代しよ」
どうにかハチ公の頭を撫でたいサキちゃんを、今度はユキさんが肩車する。
この黒ギャルは身長が165と女性にしては、まあまあ高い方な上に黒い厚底ブーツを履いて10センチ伸ばしているので、今は175センチある。
でも倒れたら危ないので、サキちゃんに注意しながらユキさんを後ろから支える事にした。
「いいちょぉ〜、いいちょぉ〜」
サキちゃんはハチ公の頭を「いい子、いい子」と言いながら撫でられて満足そうだが、わたしとユキさんは結構限界が来てて足がピクピクとしている。
渋谷に来てまで、一体、3人で何をしているのだろうか?
「いいちょぉ〜、いいちょぉ〜」
「もう肩車するの限界だよ〜」
「さ、支えてるのも辛いんだけど……」
わたし達3人を見る周りの視線が痛い感じもするが、きっと気のせいだ。
それにサキちゃんも満足そうだから、まあいいか。