割りばし封じ
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
つぶらやくんには、愛用している道具があるかしら?
――ずっと小さい時から、使っているホチキス。
ああ、あれね。ときどき筆箱の中から取り出すやつ。ね、ね、ちょっと見せてよ。
ふふ、名前シール貼ってるんだ。「つぶらやこーら」に服着たコアラさんの絵、本当に子供のころから使っているって感じね。まあ、さすがにシールが傷んで「つぶ」と「こー」くらいしか見えないけど。
「愛用」って「愛をもって用いる」と書くけれど、ここでの「愛」ってどれくらいのものを指すか、考えたことある?
お手入れを欠かさない。箱などに入れて、暇さえあれば手元に引き寄せて監視する……こんなレベルなら、文句つけようがないとは思う。けれど中には腐れ縁みたいに、ただ捨てずに手元へ置いてある……なんてものも、他人から見たら「愛用している」認定を受けるかもしれないわ。
そして「愛」がつく以上、そこにはときに理解しがたいものが、入り込んでくる恐れもある。私もむかしに、長く使っていたあるものに対して、不思議な体験をしてね。
そのときの話、聞いてみない?
私の子供のころの愛用品は、箸だった。
けれど私は、普段の食事で使うプラスチックのものより、竹でできた割りばしの方をよく使っていたわ。間食するときにね。
ご多分にもれず、子供のころの私は大のお菓子好き。毎日、何度でも口にしたかったし、それで朝昼晩の三食に影響が出てしまうこともなかった。
ところが、私の母親にとってはその様子が心配に映ったんでしょうね。自分の見ている前以外では、お菓子を食べるのを禁止する、なんてむちゃくちゃなことを言い始める始末。もし違反したら、一ヵ月間お菓子をおあずけにする、とも。
親の見ている前でお菓子を食べるのは、なんとも居心地の悪いもの。一緒に食べてくれるなら、気持ちの持ち方すらだいぶ変わってくるのに、母はあの宣言をしてから、お菓子を食べる私を、テーブル越しのずっとにらみつけてくるんだから。これまで以上に家を巡視するようにもなったわ。
お菓子は、自分の好きに食べられるから、楽しいもの。かといって、禁を破ってお菓子断ちさせられるのは、もってのほか。
それに私は、お菓子を食べる上での新しい難点にも気が付く。各種、おやつをつまむ、自分の指だ。
いうまでもなく、ポテトチップスなどに触れば、そのカスや油分が手にこびりつく。お菓子を食べ始めた当初は、寝転びながらお菓子をかじりつつ、漫画をめくることなんか日常茶飯事。思わぬタイミングでページを汚してしまって、とっても不愉快。
これが、お菓子の割りばし食べを、私に開眼させたきっかけだったのよ。
ただ、これだけではまだ不十分。
娘の私から見ても、母はなかなかの几帳面な人。家の中のお菓子の数はもちろん、私の約束破りをとがめるべく、割りばしやフォーク、スプーンの数すらも把握。漫画にできる新しい油シミなども、警戒しているかもしれない。
ならば外で。かつ一度使ったものを、何度でも使うよりなかった。私は家族でインスタントの焼きそばを食べた時、使った割りばしを捨てずに確保。自分の部屋の適当な空き箱を使って、その中へ箸を封じたの。お菓子を自分で調達するために、小銭入れも一緒に中へ入れてね。
それを、家の裏。およそ三軒分ほど離れたところにある、土の駐車場の地面に埋めたの。裏庭に転がしてある小さなスコップで、簡単に掘り起こせるくらいの浅いところに。そうして私は、学校の帰りなんかで、ちょっとだけ道草ならぬお菓子を食べて、帰るのを楽しみにするようになったわ。
母親の目ざとさは知っている。私は普段から薄く、薄く香水を使うことを覚え、服や指の汚れに細心の注意を払うようになった。あの箸がばれることはないとは思うけど、何が崩壊を呼ぶ「アリの一穴」になるか分からなかったから。
子供の限られたお小遣いでのこと。豪遊はままならず、しだいしだいに首は回らなくなっていき、やむなく母親のいう通りに、家でお菓子を食べるだけで我慢することもあった。
そして私もじきに、ダイエットに興味が湧き出す年頃になり、間食を意識して控えるようになったのよ。
このときばかりは、母親の監視をありがたく思ったわ。誘惑に負けそうになっても、向こうから抑止してくれるものだから。そこまで劇的とはいかなくとも、ちまちまと減量しているのは確かだったわ。
お菓子から遠のいたのにも加え、受験生にもなる頃にはもろもろのストレスで、すっかりあの箱の中の箸は、意識からうっちゃっていた。思い出したのは、志望校の合格通知を受け取ってからのこと。
春には一人暮らしを始める予定になっていた。もう、こそこそと外でお菓子を食べる必要はなくなる。
これも家を離れる前の儀式とばかりに、私は実に数年ぶりに駐車場へ向かった。でも、そこで目を丸くすることになったわ。
駐車場はすっかり舗装されてしまっていたの。そばを通る道路と同じ、アスファルトの地面に、それぞれの車の駐車スペースを示す、白線が引かれている。もちろん、スコップなんて歯が立たない。
地面には、新たに番号も振られている。私の割りばしを封じた箱は、ちょうど3番の駐車スペースのど真ん中に埋まっていたわ。
工事をする人が、土を改めないなんて考えづらい。きっと掘り起こされて処分されちゃったに違いないと、私は意図せぬお別れを心の中で告げたのね。
やがて一人暮らしを始めて8ヶ月。年末に実家へ帰ってきたときのこと。
お互いの近況を話したのだけど、その中であの駐車場の話が出てきたの。なんでも、あそこの駐車場のうち、3番を使う人はよく、車のトラブルに見舞われるのだとか。
なんでも、駐車している車のタイヤが、よく無くなってしまうのだとか。初めは泥棒の仕業かと思われたけど、タイヤが外れて地面に接してしまったフレーム部分も、溶けている箇所が散見されたみたいでね。
なんだか、食いしん坊が車を食べているように思えて、3番を借りようという人は、ほとんど現れなくなっちゃった、とのことよ。