第3章『接触』① 改訂版
起承転結で言うなら、ここからが“承”。
そろそろ物語が動きはじめます。
てなわけで読んでちょんまげ(死語)
【最終改訂日2022年9月21日】
御巫伶人が一人暮らしでなくなってから四日目の朝。
なにやら生温い圧迫を感じて目を覚ますと──
(……喰われてるし)
瑠姫が左腕にからみつき、おまけに肩先を食んでいた。
正直、この珍妙なモーニングコールに悪い気はしない伶人だったが、
(なんだかなぁ)
こうして一緒に寝るのは如何なものかと、あらためて思ったりしないでもない。
もっとも、かかる道義的問題については伶人にも言い分がある。
妹みたいなものと思ってはいても、相手はそれなりに発育している女の子。一つ床で枕を並べるのは、どうにも背徳の匂いが漂うのだけれど──ならばと瑠姫の寝床を作ってやろうとするたびに、彼女は拗ねた顔をして「薄情者」などと言うのである。
そのツンデレ攻撃にあえなく陥落したのは不徳の致すところとしても、不埒といわれるほどの醜態ではあるまい。
よしんば邪念があるとしても、この過剰なスキンシップを満更でもないと思ってしまう程度なのだから……
とはいえ、すっかり抱き枕にされているのはどうよ、とも思うわけで、
「おーい」
伶人は指先で軽く瑠姫の額をノックした。
反応が無かったので再度ノックすると、スイッチが入ったようにもぐもぐと甘咬みをはじめたものだから、すかさず「喰うな」とデコピンをくれてやる。
「……ん?」
「朝ですよ、姫様」
「──ん!」
「いてっ!?」
ようやく目を覚ました瑠姫は、くわえていた伶人の肩を思い切りかじった。
「お前なぁ、少しは加減しろよ。つーか咬むな」
「因果応報じゃ」
「はぁ? どういう因果だよ……」
歯型がついているであろう肩をさすりながら、伶人はベッドを降りた。
瑠姫は広くなったベッドの上で四つん這いになり、「んーっ」と背筋をそらす。
「猫か、お前。シーツで爪を研ぐなよ」
「うにゃー」
「やめれ」
ふざけてシーツをかきむしる瑠姫の頭を小突いて、伶人は寝室のカーテンを開けた。
続いて居間のカーテンも開け、テレビを点け、テーブルにトースターを用意する。
「この鉄の箱は、なんじゃ?」
起きてきた瑠姫がトースターをつつきながら言った。
「それはトースター。食パンを焼く機械だよ。そういやパンは食べたことないよな、お前」
伶人は、そのポップアップ式トースターに二枚の食パンをセットし、台所でベーコンエッグを作り始めた。
その間、瑠姫は食い入るようにトースターを観察する。
やがて、チン! という音とともにトーストが跳ねあがってくると、
「はうっ!?」
瑠姫も跳ねあがり、尻餅をついた。
その瞬間を伶人は見ていなかったが、音と悲鳴で状況を察し、肩を振るわせて笑いをこらえた。
「──今んとこ、七件目の神隠しは起こっていないみたいだな」
「さしもの狸殿も、ほとぼりが冷めるのを待っておられるのじゃろうよ」
朝食を済ませた伶人と瑠姫は、いつものように並んでソファーに座り、コーヒー牛乳を飲みながらワイドショーを観ていた。
同時に、伶人はスマホでニュースサイトをチェックしてもいる。
それらの報道をみるかぎり、件の連続少女失踪事件の捜査は難航しているようで、これといって新しい情報は無かった。
幸い、更なる神隠しは発生していないようだが、見方を変えれば犯人の動向が途絶えてしまったともいえる。
「さすがに、これ以上の犯行は無理だと思ってるんじゃないかな。お前という追っ手の登場は、予想外の脅威だろうし」
「怖気づいて遁げたと? それはあるまい」
瑠姫は伶人の分析を一蹴し、コーヒー牛乳をすすった。
何事も娯楽にしてしまう週刊誌やワイドショーなどは、こぞって〝鳥のような怪人〟の目撃談を取りざたし、ただでさえ奇怪な神隠し事件をより怪しげに報じている。
それに引っ張られて、というわけではあるまいが、捜査当局もまた怪人に注目し、そういう扮装をして神隠しを演じる愉快犯とみているらしい。
当地の民話『嫁盗りカラス』になぞらえた劇場型犯罪、との見立てだ。
それには伶人も納得していたが、犯人が捕まることはあるまい、と思ってもいた。
なにしろ怪人は式神の類で、それを操っている方士こそが主犯なのだ。
捜査員たちがどれほど靴底をすり減らそうと、そんな真実にたどり着けるとは思えないし、そもそも方術を駆使した犯行を科学的に立証するのは困難だろう。
立証できなければ、訴追はできない。
ある意味、完全犯罪なのである。
それでも瑠姫なら犯人を断罪できるかも、と伶人は期待していたのだが──
白羽による強行偵察作戦は失敗に終わってしまった。
敵もさるもの、おのれの影すら見せずに白羽たちを始末してのけたのだ。
以後、新たな神隠しが起こっていないところをみると、牽制にはなったのだろうが、狸の素性は杳として謎。
だからこそ瑠姫は、
「──今は鳴りをひそめておるだけじゃ。いずれ、やらかすぞ」
そう推理するのである。
「まだ事件は続くと?」
「ああ。狸めは、気配を悟らせもせずに白羽たちをしとめたのじゃぞ? それほどの方士なら、密かに逃げることもできたはず。なのに何故、わざわざ白羽を返り討ちにした?」
「……? 言われてみると、確かに妙だな。こっそり逃げれるなら、危険をおかして追手の相手をする必要は無い──」
「逃げるつもりなら、な」
「──次の犯行のために、邪魔者を片づけたってことか」
伶人は眉間にシワを寄せ、コーヒー牛乳を飲み干した。
瑠姫も顰めっつらでマグカップをあおり、溜息をつく。
「さて、どうしたものかの。白羽たちに夜回りさせておけば、狸とて迂闊には動けんじゃろうが……さりとて動いてもらわねば尻尾を掴めん。痛し痒しじゃ」
「闇雲に動いたって埒があかないし、しばらくは様子をみるしかないんじゃないか?」
「……うむ。後手に回るのは癪じゃが、ひとまず泳がせておくか」
そうと決めるや、瑠姫はうってかわって笑顔になり、パチンと手を打ち鳴らした。
「ところで、今日はバーベキューの日じゃったの」
「朝飯を食ったばかりなのに、もう昼飯の話かよ」
「食い意地が張ってる、とでも言いたいのか?」
「いいんじゃない? 食いしん坊な女の子ってのは可愛いと思うぞ」
条件反射的にからかう伶人だったが、言っていることに嘘は無い。
「……そうか。なら、許す」
鷹揚な台詞とは裏腹に、瑠姫は明らかに照れていた。
(褒め殺しに弱いんだな)
そんな新発見に苦笑しつつ、伶人は寝室へ行き、出かける支度をはじめる。
「ん? もう行くのか?」
「いや、ご馳走になるのに手ぶらってのもアレだから、ちょっと買い出しに行こうと思ってさ」
伶人は寝間着から黒いシャツとベージュのカーゴパンツに着替え、ウエストポーチを着けながら居間に戻った。
「お前も来るか?」
「行く!」
即答して寝室に駆けこみ、無造作にパジャマを脱ぎ捨てる瑠姫。
一応、伶人に背を向けてはいるが、それでよしとしてパンツ一丁になってしまうガードの甘さを微笑ましいと評するには、彼女は少々大人すぎるわけで……
伶人は台所に移動し、まだ不慣れなブラのホックに手こずる少女の後ろ姿を視界の外に置く。
そうして数分、車のキーをもてあそびながら待っていると、
「──待たせたな。どうじゃ? この服は」
身支度を終えた瑠姫が走ってきて、得意顔で胸を張った。
小春の指南であろう本日の瑠姫のコーデは、水色のベルトがついた淡いピンクのシャツワンピースに、黒いレギンス。いつも胸元に垂らしている側部の髪は後ろに送り、毛玉付きのヘアゴムで結わえている。
「いいんじゃない?」
「むー。こういうときは世辞でも似合うと言うものぞ」
「そう言ったつもりなんだけどな。実際、可愛いと思うぞ。黙ってれば」
「一言、余計じゃ」
文句を言いながらも、瑠姫は嬉しそうだった。
伶人たちは近所の大型スーパーで食材などを買いこみ、店内のゲームコーナーで適当に時間を潰してから蛍の家に向かった。
はじめのうちはドライブ気分で街並みを眺めていた瑠姫だったが、やがて代わり映えのしない景色に飽きてしまい、なんとはなしに訊ねる。
「蛍の家は遠いのか?」
「車なら十五分もかからないよ。カーナビ、見てみな」
言われて、瑠姫はカーナビをのぞきこんだ。
「子守山の北東に貫木神社ってのがあるだろ。蛍さん家は、その隣。ちなみに、そこが御巫家の本家だ。蛍さんは十三代目の当主なんだよ」
「ほう、女子が当主か。先代は男児に恵まれなかったのか?」
「いや、そういうわけじゃないんだけど──」
雑談がてら、伶人は御巫家の習慣を説明しはじめた。
一般的に家督は長男が継ぐものとされるが、御巫家では当主の一存で跡目が指名される。
直系血族でありさえすれば生まれ順や性別は問われず、歴代の当主の半分は女性だったという。
それにならってか、先代当主であった伶人の祖父──御巫慶太郎は、孫娘の蛍を後継者に指名したのだった。
息子と娘が二人ずついるのに、である。
かなりの資産家だけに、この曖昧な家督相続システムは跡目争いの火種になりそうなものだが、慶太郎の意志に意義をとなえる者はいなかった。
御巫家の当主となれば、必然的に子守山と貫木神社を受け継ぐことになるからだ。
稀少な原生林を含む子守山は天然記念物に指定され、貫木神社もまた市の有形文化財となっている。
どちらも売るに売れないし、郷土の名士という立場上からも、しっかり維持管理する必要があろう。
そんなものを相続しても、面倒なだけである。
「──だから、好んで当主になろうって人はいないのさ。ぶっちゃけ貧乏くじだからな」
「ふーん。当主の座が貧乏くじとは、妙な家風じゃな。何か理由でもあるのか?」
「さぁ……。無駄なお家騒動を避けるため、じゃないのかな」
伶人が曖昧に答えたところで、車は貫木神社に着いた。
鳥居が立っている参道の入口の横手に駐車場があり、隣接する敷地には大きな邸宅が。
神社との調和を考えてか純和風の造りだが、見た目ほど古いものではない。
その母屋のインターホンを鳴らすと、すぐに蛍が出てきた。
彼女にしては珍しくジーンズ姿で、トップスはオレンジ色のカットソー。セミロングの髪を後ろで束ね、ペーズリー型のバンダナを巻いている。
「こんにちは。準備を手伝おうと思って早めに来たんだけど、早すぎたかな」
「んーん。そろそろ用意しようと思ってたところよ」
「あ、これ、差し入れ。食材と飲み物」
「ありがとう。助かるわ」
蛍は手土産を受け取ると、伶人たちを中庭に案内した。
広い中庭には芝生が敷かれ、中央に大きな庭石が。
その近くにバーベキューの器具とベンチが置かれ、傍らに炭の束が積まれていた。
伶人はさっそく炭を熾し、瑠姫は蛍と一緒に食材の下拵えにとりかかる。
二十分ほどで支度が整ったところで、
「──先生!」
女の子の元気な声が聞こえてきた。
やってきたのは、五人の少女たち。
いずれも瑠姫よりやや幼いくらいの背格好なので、小五か小六だろう。
「こんにちは」
駆け寄ってきた少女たちは、まず蛍に挨拶をし、伶人にも会釈をした。
「こんにちは。俺は蛍さんの従弟で、伶人っていうんだ。よろしく」
「はい。蛍先生から聞いてます。はじめまして」
「わらわは瑠姫じゃ。よろしくな」
「あ……うん。よろしく」
初対面の伶人に対しても屈託のない少女たちだったが、瑠姫の日本人離れした風貌と時代がかった口調には戸惑いを隠せず、いくらか引いているようでもあった。
とはいえ、やはり興味をそそられるらしく、バーベキューがはじまるや少女の一人がおずおずと話しかけてくる。
「えーっと……瑠姫ちゃんって、どこから来たの?」
「こいつの家からじゃ」
瑠姫はタンドリーチキン風味の串焼きを咀嚼しながら、伶人を指さした。
少女は唖然とし、伶人は苦笑する。
「どこからって、そういう意味じゃないよ。どこの国から来たのかってことさ。その子、お前を外人だと思ってるんだよ」
「がいじん?」
「異人とか、南蛮人とかのこと」
「わらわは南蛮人ではないぞ」
「つまり外人じゃないってことね」
伶人が翻訳してやると、別の少女が不思議そうに首をかしげる。
「けど、話し方とか、なんか変じゃなくない?」
「そうか? まぁ、今の世にそぐわぬらしいことは自覚しておるが」
「てゆーか、その髪、染めてるの?」
「いや、元からこの色じゃよ」
「ふーん。すごいね。目も紫色だし。やっぱり外人さんみたい」
「それよかさ、気になるんだけど──瑠姫ちゃんと、お兄さんって、どういう関係なの?」
「関係? 間柄ということか? そうじゃな……」
恋に恋する年頃の女の子らしいおませな質問に、瑠姫は真顔で考え込んだ。
そして、得意げに胸を張って宣言する。
「わらわは、この男のペットじゃよ」
「──ぶっ!」
隣で聞いていた伶人は、口から盛大にウーロン茶を散布した。
瑠姫の問題発言に特段の意図はなく、テレビかマンガで仕入れた言葉を使ってみただけなのだろう。が、よりにもよってペットとは、人聞きが悪すぎる。
「違うだろ、バカ」
「あう! バカとは何じゃ。人に養われておる獣をペットと言うのじゃろ?」
側頭部に最大出力の懲罰を食らった瑠姫は、涙目で抗議した。
「そうだけどさ……お前、どう見たって人間だろうが。言ってる意味、わかる?」
「──? ああ、そうか。そうじゃったな」
人間に化けてるんだから、ちゃんとそういうふうに振る舞え──そう諭されていることに気づいて、瑠姫は「すまん」と肩をすくめた。
そんな奇妙なやりとりに蛍は笑いをこらえ、少女たちは呆然としている。
「あー、ごめんね。なんか変なこと言っちゃって。別に深い意味はないんだよ。ほら、こいつ、ちょっと言葉遣いが妙だろ? だから、たまに意味不明なこと口走るんだ」
伶人は適当にお茶を濁して、やりすごそうとした。
けれど、
「……ペットってさぁ、なんか、ヤバくない?」
少女の一人がニヤニヤして言い、他の子たちも次々と冷やかしはじめる。
「うん。ヤバすぎ」
「てゆーか、ちょー怪しいんですけど」
「だよね。お兄さんってさぁ、もしかして危ない人?」
「だから、違うんだって……」
どうにか濡れ衣をはらそうとする伶人だったが、かえって逆効果で、完全に面白がっている少女たちの集中砲火を浴びるはめになるのだった。
西の空が茜色に染まりはじめたところで、楽しいBBQパーティーは終了となった。
名残惜しそうに手を振って家路につく少女たちを見送り、伶人らも駐車場に向かう。
その途中、瑠姫はふと鳥居を見上げた。
くれなずむ空という背景が、その居住まいをより厳かに見せている。
「何を奉っておるのか知らんが、挨拶しておくか。伶人、小銭をくれ」
「小銭? ああ、ほら」
伶人が十円玉を渡してやると、瑠姫は小走りで境内に向かった。
その背中をながめ、蛍は目を細める。
「両手に花なんて、伶くんも隅に置けないわね」
「はい?」
伶人は戸惑った。が、言われた意味は解っている。
「蛍さんも、俺と小春が付き合ってると思ってるわけ?」
「違うの?」
「ただの幼馴染みだよ。なんか、みんな誤解してるみたいだけど」
「それだけ仲がいいってことでしょ? いっそ付き合っちゃえばいいのに。お似合いだと思うわよ」
「そう言われてもね……なんていうか、兄妹みたいなもんだし。向こうも、そう思ってるんじゃないのかな」
「うーん。仲が良すぎることが障害だなんて、ジレンマね」
蛍は腕を組み、うんうんと頷いた。
そして、いくらか声のトーンを落として言う。
「詮索するつもりは無いんだけど、ひとつ訊いてもいい?」
「なに?」
「春ちゃんは知ってるの? あの子のこと」
「知ってるよ。すっかりお姉さん気分で可愛がってる」
「そうなんだ。ふふっ、春ちゃんらしいわね」
瑠姫が狐仙であることも、小春は知っているのだろうか? 気になる蛍だったが、下手をすると藪蛇になりかねないので訊くに訊けない。
それで会話が途切れたところに、瑠姫が戻ってきた。
「すまん。待たせたの」
「おう。そんじゃ、帰りますか。蛍さん、今日はどうも、ごちそうさま」
「どういたしまして。また誘ってもいい?」
「もちろんじゃよ。いつでも馳走になるぞ」
「……お前、遠慮って言葉、知ってる?」
「はて、どこかで聞いたような気もするが。遠い旅路のことか?」
「──? そりゃ“遠路”だろ。わかりにくいボケするなよ」
そんな漫才で蛍を吹き出させると、伶人と瑠姫は軽く手をあげて別れの挨拶とし、駐車場に向かった。
(月華の瑠姫──狐仙といっても、普通の女の子と変わらないわね)
微笑んで、蛍も踵を返す。
だが、その直後、
(──!?)
ぞくり、と背筋に悪寒が走り、蛍は片足を踏み出した姿勢のまま凍りついた。
電車のブレーキが軋る音を聞いたときのような、嫌な感覚──
強い霊験を持つ何者かの気配が、彼女の繊細な霊感をなぶっているのだ。
「……来たわね」
それは、密かに待ち望んでいたことではあった。しかし、
「でも、この気配……どういうこと?」
この、全身の神経を逆撫でするような不快感は、明らかに期待とは異なる。
「どうして、彼の神気に瘴気が混じっているの……?」
不安と戸惑いをおぼえつつ、蛍は子守山の雑木林に向かった。
※つづく※