第2章『神隠し』② 改訂版
【最新改訂2022年9月9日】
伶人の愛車は軽トラックなので、定員は二名である。
三人乗るのは違法だし、そもそも物理的に難しい。
だが、その三人のうちの一人が瑠姫なら心配無用。
小春を助手席に座らせ、その膝に瑠姫を乗せればいいのだ。
もちろん〝狐モード〟になってもらって、である。
そうして、伶人たちはまず小春の家へと向かう。
二十歳の青年が軽トラを自家用車にしているのは珍しいだろうが、特にこだわりがあるわけではない。
一人暮らしをはじめるのを機に車を買おうと思いたち、いくつかの中古車販売店を物色したところ、この軽トラが一番安かった。
それだけの理由である。
「買ってからわかったんだけど、この車、元々は御巫家が消防団に寄贈したものなんだよな」
「へぇ。それを伶ちゃんが買うなんて、なんだか運命的だね」
「軽トラに巡り会う運命って、ショボくない?」
そんな他愛のない雑談をしているうちに、一行は日向家の店舗兼自宅に到着する。
「じゃあね、瑠姫ちゃん」
「おう」
名残惜しげに瑠姫の背中をひと撫でし、小春は帰っていった。
その姿を見届けてから、瑠姫は車内で〝少女モード〟に変化する。
「瑠姫、変身するときは他人に見られないように注意しろよ」
「わかっておる。紫苑にも、さんざん言われたでな」
一応、彼女も自分の正体を隠す必要性は理解しているようだが、
(……さんざん言われたってことは、さんざんドジったってことだよな)
なにやら先が思いやられる伶人であった。
小春の家から目的地まで、車なら三分もかからない。
伶人たちがその風見公園に到着すると、ちょうど現場検証が終わったところだった。
思ったほどには多くない報道陣と野次馬が見守るなか、警官たちが公園を封鎖していた黄色いテープを剥がそうとしている。
「なにやら物々しい雰囲気じゃが……奴ら、何者じゃ?」
「警察だよ。昔風に言うと、奉行所の同心ってところかな」
「ふうん。十手持ちか」
「警察がいなくなるまで、ちょっと待つぞ」
「うむ」
伶人たちは、人だかりから少し離れた場所で待つことに。
ふらりと現れた〝白い髪の少女〟に好奇の目を向けてくる者もいたが、当の瑠姫はまったく意に介さず、伶人もつとめて気にしないようにした。
その風貌ゆえ、瑠姫はどうしても人目をひいてしまう。
ならば慣れるしかないし、もとより他人の視線に神経質な伶人でもない。
「──よし。終わったな。マスコミも撤収しはじめたみたいだし、行くか」
「ああ」
走り去る警察車両を見送って、伶人と瑠姫は公園に入った。
風見公園は、水遊びができる施設やテニスコートなどを備えた大きな広場で、外縁の緑地には遊歩道が設けられている。
伶人たちは、まずその遊歩道から探索をはじめた。
ほどなく、石畳にチョークで書かれた丸印が見つかる。
「──たぶん、ここに消えた女の子の持ち物が落ちてたんだろうな」
「つまり、ここで拐かされたわけじゃな」
瑠姫は屈んで丸印に触れ、しきりに辺りの石畳を探りはじめた。
「どうした? 何か見つけたのか?」
「うむ……微かにじゃが、地面に点々と瘴気が染み着いておる。足跡じゃな」
「足跡? 俺には何も見えないけど……?」
伶人の問いには応えず、瑠姫は〝臭気〟として感じられる瘴気の痕跡を追う。
瘴気とは、いわば〝負〟の霊的エネルギーだ。
自然界の精気の澱みに生じる澱のようなそれは、しばしば反転した生命力として具象化し、総じて〝魔〟と呼ばれる不自然な──反生物とでもいうべきモノを産む。
それらは必ずしも邪悪なわけではないが、存在自体が害悪と言わざるをえない。
瘴気は生きとし生ける者の生命活動を阻害し、ときに死に至らしめることもあるからだ。
そんな力を好んで駆使する方士は、少なくとも善良ではあるまい。
「──瘴気をまとった式神とはな。思った通り、この誘拐事件は邪な方士の仕業のようじゃの。足跡がここで途切れているということは、〝獲物〟を抱えて飛んだか」
瑠姫は立ち上がり、東の方角を見やった。
「追ってみるか。解八門禁──」
呪文を唱えると、右手から青い炎が吹きあがり、一枚の霊符が出現する。
「──いざや、出ませい」
瑠姫は霊符を投げ放った。
霊符は一瞬のうちに小鳥の姿となり、瑠姫の指に留まる。
それはツバメのような形をしていた。全身ほぼ真っ白で、喉元と額に朱色の斑がある。
「この瘴気をたどり、出所を探るのじゃ。よいな? 行け」
白いツバメは「お任せを」とでも応えるように短くさえずり、飛び去っていった。
「……すごいな。あれ、式神なのか?」
「ああ、わらわが打てる唯一の式じゃ。さて、あとは『白羽』に任せるとして──ただ待っておるのも、つまらんな。伶人、どこか賑やかな場所にでも案内してたも」
「賑やかな場所?」
「うん。紫苑と旅していたころは、行く先々で市場や縁日を見て歩いたものじゃ。この街にもあるじゃろ? そういう場所」
「ふーん。いつの時代も、女の子はウインドーショッピングが好きなんだな」
そういうことなら、駅前の商店街がいいだろう。
伶人は、とりあえずそこに連れて行ってやることにした。
その様子を遠巻きに注視している者がいることに、二人ともまったく気付いていなかった。
◆ ◆ ◆
駅前の円形交差点から東に向かって、中央分離帯のある四車線の市道が伸びている。
通称、駅前通り。月乃宮市のメインストリートだ。
その横手には三町小路と呼ばれる商店街があり、約三百メートルにわたって様々な店が軒を連ねている。
シャッターを閉ざしたままの空き店舗もあるが、寂れた雰囲気ではない。
「この街で賑やかな場所といえば、ここだな。どうだ?」
「確かに賑やかじゃの。いささかケバケバしいが、活気があってよい」
どこにでもある、どちらかといえば地味な商店街が、瑠姫には華美に思えるようだった。
江戸時代の町並みしか知らない彼女にしてみれば、様々な色彩があふれる現代の都市空間は、さながら〝お祭り〟のように見えることだろう。
それが楽しくて、小鳥のようにキョロキョロしていた瑠姫は、
「──お? あれはももんじ屋か?」
近くにペットショップを見つけるや、駆け寄ってショーウインドーに張り付いた。
子犬や子猫には目もくれず、なぜかウサギにばかり注目している。
「ふふっ。こやつら、よく肥えておるのう」
「好きなのか? ウサギ」
「ああ。一番の好物は鶏じゃがの」
「……好物?」
一瞬、伶人には意味がわからなかった。が、すぐに悟る。
瑠姫は狐──食肉目イヌ科の獣なのだ。
野生であったころの彼女にとって、ウサギは滅多に獲れないごちそうだったに違いない。
それはいいのだが、もし少女に化けても野生動物としての食性がそのまま残っているのだとしたら──
なかなか怖いことにもなりかねないのではないか。
「……ウサギって、美味いの?」
「美味いぞ。味噌仕立ての鍋にしてもいいし、醤油を馴染ませて焼くのもまた捨てがたい」
「へぇ。そう聞くと、なんか美味そうだな」
瑠姫が生きたウサギを喰い殺しているホラーな光景を想像してしまい、思わず苦い顔をする伶人だったが、ちゃんと調理して食べていたらしいとわかり、ほっとした。
「一応、言っておくけど、その辺の小学校のウサギとか盗って食うなよ」
「盗み食いなどせんよ。ウサギなど、そこらの野山でいくらでも獲れるじゃろ」
「野生動物を勝手に狩るのは、まずいんじゃないかな……」
「狩りは禁じられておるのか? それは残念。美味いのに」
なにげに不穏なことを言い、瑠姫はまたウサギを見つめた。
まごまごしていると「買ってくれ」と言われそうな気がして、伶人は「行くぞ」と歩き出す。
すると瑠姫は跳ねるように追いすがり、伶人の左腕に絡みついた。
「……なんだよ。いきなり」
「男と女が連れだって歩くときは、こうするのじゃろ? 絵草紙に描いてあったぞ」
「絵草紙って、マンガのことか?」
「お前たちが出かけている間に読ませてもらった。おかげで当世の文化を知ることができたし、面白かったぞ。……えらく助平なのもあったがの」
瑠姫は意味ありげに目を細めた。
どうやら成年コミックまで読みあさったようだ。
「女子がそんなもん読むなよ」
失笑と苦笑を織り交ぜつつ、伶人は小柄な瑠姫に歩調を合わせてやる。
そうして密着すると、肘のあたりに水風船のような弾力感が──
男子としてはそれが非常に気になるのだが、女子は概して気にしないものらしい。
ともあれ、小生意気な少女が不意に懐いてくると、やけに可愛げがあったりするもので、
(これが世に言うクーデレってやつか?)
そんな秋葉系の発想をする伶人なのだった。
(──あらあら。仲良しなのね。見たところ、彼女のほうが積極的みたいだけど)
商店街を歩く青年と少女を密かに尾けていた女は、腕を組む二人の様子に微笑んだ。
その身を包む藤色のサマーセーターは見事な膨らみをみせ、フェミニンなベージュのロングスカートとあいまって、二十四歳という年齢に見合った瑞々しい色香をまとわせている。
彼女の名は、御巫蛍。伶人の従姉である。
(それにしても、この巡り合わせ……偶然とは思えないわね)
今朝のワイドショーで神隠し事件の報道を観たとき、蛍は愕然としたものだった。
報じられた〝怪人〟に、心当たりがあったからだ。
場合によっては、それにまつわる秘密を伶人に明かすべきかも──と考えていた蛍にとって、先ほど風見公園で彼を見つけたことは、運命に思えてならなかった。
もし、伶人が一人だったなら、あるいは一緒にいるのが小春だったなら、そんな感慨をもよおすことはなかったろう。
蛍に運命を感じさせたのは、伶人が〝白い髪の少女〟を連れていたこと、なのだ。
その正体を探るべく、こうして観察していたのである
(この気配……確かに狐仙ね。やっぱり、あの子は瑠姫? お爺ちゃんですら解けなかった籠もり社の封印を、伶くんが解いたの?)
にわかには信じがたいが、状況からみて、そう判断すべきだろう。
してみれば、ついに伶人の霊験が目覚めたのか?
気になるが、その前にどうしても確かめておきたいことがある。
(私の推理が正しければ、〝彼〟は瑠姫を警戒しているはず。うまくすれば誘い出せるかもしれないわね。伶くんを利用するのは気が引けるけど──)
クレープ屋の前で立ち止まる伶人と瑠姫を見つめ、蛍は密かに思案をめぐらせはじめた。
「美味いな、これ」
初めて味わうクレープに、瑠姫は御満悦だった。
「あそこに座るか」
三種類のべリーと生クリームがたっぷり入ったクレープを頬張る少女の背中を押して、伶人は近くのベンチに向かう。
そこに並んで腰をおろす二人をみて、蛍は声をかけることにした。
「──伶くん」
「あ、蛍さん」
不意に呼ばれた伶人は、やや驚いた様子で応えた。
そんな彼と現れた女性とを交互に見て、「知り合いか?」と瑠姫。
「ああ。この人は蛍さん。俺の従姉だよ。で、こいつは──」
「瑠姫と申す。縁あって、伶人の世話になっておる」
瑠姫は小春と対面したときと同じような自己紹介をした。
(こんなとこで蛍さんに会っちゃうなんて、まいったな。瑠姫のこと、どう説明すれば──)
困ってしまう伶人だったが、すでに瑠姫の正体を悟っていた蛍は、あえてそのあたりには触れず、
「つい声かけちゃったけど、野暮だったわね。デートの邪魔して、ごめんなさい」
言外に偶然の出会いを演出しつつ、あたりさわりのない冗談を言った。
「いや、全然。そもそもデートじゃないし」と、伶人。
「そうなの? じゃ、そういうことにしておいてあげる。──あ、ところで伶くん、今度の土曜は暇?」
唐突かとも思ったが、蛍はさも思い出したような素振りで即興の芝居をはじめた。
「土曜? まぁ、無職も同然だから、いつでも暇は作れるけど──なんで?」
「辻神楽保存会の子たちとバーベキューするんだけど、よかったら一緒にどうかなと思って」
辻神楽というのは月乃宮市の郷土芸能で、鈴振り巫女に扮した少女たちが踊りながら街をねり歩く祭事である。
御巫家はその最大の後援者で、蛍は少女たちに演舞と篠笛を教える先生でもある。
「もちろん、こちらの可愛いガールフレンドも大歓迎よ」
「バーベキューか。行きたいけど、知らない奴が混ざるのは迷惑じゃない?」
「それなら大丈夫。子供たちには、親戚の男の子を誘うかもって言ってあるから」
これは嘘。バーベキュー云々《うんぬん》という話自体、いま思いついた方便で、これから事実化しなければならない。
だが、そんなこととは露知らず、伶人は御相伴に預かることにするのだった。
「そういうことなら、お邪魔しようかな」
「じゃあ、土曜の十二時ごろ、うちに来てくれる?」
「土曜の十二時ね。了解」
「……人の恋路をどうこう言うつもりはないけど、女の子を泣かせちゃだめよ?」
最後にそんな耳打ちをして、蛍は去っていった。
(恋路ねぇ。なんか、誤解されてるみたいだな)
とほほ、という感じの微苦笑を作って、伶人は隣を見る。
瑠姫はクレープの最後の一口を頬張りながら、指についたクリームを舐めとっていた。
「話の腰を折るのは悪いと思い、黙っていたが、ばあべきゅうというのはなんじゃ?」
「外で肉や野菜を焼いて食べる宴会、ってとこかな」
「宴が。楽しそうじゃの。ところで、お前の従姉ということは、あの娘も御巫家の者か?」
「そうだよ」
「やはりな。どことなく紫苑の面影がある。しかし──」
「……?」
「華奢なわりに、えらく乳が大きいのう。あれでは足下が見えんのではないか?」
「確かに。よかったな、お前は足下がよく見えて」
「…………うるさいわ」
「いてっ」
瑠姫は自分の胸を五秒ほど見下ろしてから、思い切り伶人の足を踏みつけた。
※つづく※