第4章『それぞれの縁〈えにし〉』①改訂版
【最終改訂2022年9月21日】
〝神隠し〟の実行犯とおぼしきカラス女との遭遇戦から一夜明け、日曜日。
昼近くになって、小春が伶人のアパートを訪ねてきた。
例によって奇抜な創作パンを携えて。
「さぁ、ご賞味あれ」
テーブルに陳列された小春の新発明は、一見ごく普通の総菜パンだった。
が、油断は禁物。
見た目が普通のときは、中身が普通ではないからだ。
「いただきます。──ん?」
ほとんど肝試し的な気分でかじりついた伶人は、コリコリとした食感に首をひねった。
甘辛く味付けされた挽肉と一緒に入っている、この独特の歯応えは、もしや……
「……くらげ?」
「当たり。その名も『ピリ辛くらげパン』です」
「まんまだな……」
「ネーミングはストレートなほうがいいでしょ? で、ご感想は?」
「百八十円」
伶人は価格で答えた。
意外と商品になるかも、という意味だ。
「瑠姫ちゃんは、どう? 美味しい? 不味い?」
「美味い。もう一個、いいか?」
気に入ったらしく、瑠姫は半分も食べないうちに二個目を確保した。
そうして、ぽつりと言う。
「なにやら、こう、五臓六腑に染みる味じゃの」
「オヤジ臭いな。酒じゃあるまいし」
呆れ笑う伶人だったが、瑠姫は冗談を言ったわけではない。
実際、感じるのである。
心地好い火照りが、胃の腑のあたりから全身に広がってゆくような感覚を。
けれど、それを説明しようとした矢先に伶人のスマホが鳴り、言いそびれてしまう。
電話をかけてきたのは、蛍だった。
しばらくして、メゾンみかなぎ104号室に本日二人目の客が訪れる。
「──こんにちは」
「あ、お姉ちゃん。久しぶりー」
「おう、蛍か。昨日は馳走になったな」
やってきた蛍は、ソファーに並んで座っている女子二人と笑みを交わし、用意されていた座布団に腰を下ろした。
「バーベキューかぁ。私も行きたかったな」と、小春。
実は彼女も招待されていたのだが、急に休んだ従業員の代わりに店番に駆り出され、来られなかったのだという。
そんな話を聞くともなしに聞きつつ、伶人は人数分のアイスコーヒーを作りはじめる。
(今ここに春ちゃんがいるのは、縁というものなのかしらね──)
蛍にとって、小春という先客の存在は不測の事態だったが、不都合とは思わなかった。
小春はすでに瑠姫の正体を知っているのかもしれないし、いずれは御巫家の一員になりそうな子でもある。
彼女になら、一族の秘密を明かしてもいいだろう。
そう密かに納得したところで、伶人がグラスを差し出しながら問いかけてくる。
「──で、さっき電話で言ってた大事な話って、なに?」
「我が一族にまつわる驚愕の真実、かな。今日は、それを伝えに来たの。御巫家第十三代当主、御巫紫雲として」
蛍は目許に笑みをたたえつつ、いささか芝居がかった口振りで言った。
紫雲とは、御巫家の歴代の当主たちが継承してきた通り名である。
「家族の話なら、他人は遠慮したほうがいいよね」
気を回して、小春は席を立とうとした。
しかし、
「んーん。一緒に聞いて。伶くんも、春ちゃんに隠し事をする気はないでしょ?」
「え? うん、まぁ……蛍さんがいいなら、俺は別に構わないけど」
そんな二人のやりとりをうけ、ソファーに尻を戻す。
「じゃあ、まず確認したいんだけど──」
蛍はアイスコーヒーを口にすると、グラスを持ったまま話を切り出した。
「──春ちゃんは、知ってるの? 瑠姫がどういう子なのか」
「え?」
不意の質問と、その内容の曖昧さに、小春は首をかしげた。
蛍は苦笑し、言い直す。
「ごめんなさい。言い方が悪かったわね。彼女の正体、と言えば、わかる?」
「ああ……うん、知ってる」
正体という言葉で、小春は質問の意図を理解した。
「やっぱりね。なら、話は早いわ」
それは想定内だったので、蛍は驚かない。
むしろ面食らったのは伶人である。
「ちょっと待った! 正体って……蛍さん、知ってるの? 瑠姫のこと」
「ええ、知ってるわ」
「ほう──!」
言い切った蛍に、今度は瑠姫が目を見張った。
そして、愉快げに謎をかける。
「では訊こう。わらわは何者ぞ?」
「狐さん、でしょ? あなたは〝月華の瑠姫〟。〝銀河の紫苑〟の式神だった狐仙──違う?」
「御名答。どうやら、そなたは伶よりもわらわを識っておるようじゃな」
「古文書の受け売りだけどね」
「古文書?」
疑問を挟んだのは伶人だった。
「当家の開祖の、紫苑という陰陽師が記したものよ。その記述、つまり紫苑の遺訓に従って、御巫家は瑠姫が眠る『籠り社』を衛り続けてきたの。この秘密を知っているのは歴代の当主と、当主が知るに足ると認めた一部の血族だけよ」
「てことは、爺ちゃんも知ってたのか。瑠姫のこと」
「ええ。それが御巫家の秘密というわけ。それにね、お爺ちゃんには、もう一つ秘密があるの。どちらかというと、そっちが今日の本題」
蛍はアイスコーヒーで一息ついて、話を続ける。
「この世には、怪異と呼ばれる不思議なモノたちが存在している──普通なら信じられない話だろうけど、瑠姫と出会った伶くんなら理解できるわよね?」
「まぁね。おかげさまで、大概のオカルト話には驚かなくなってるかな」
「ほとんどの怪異は知性を持った動物って感じで、特に危険なものではないんだけど、中には獰猛なのもいるし、瘴気に当てられて〝鬼〟になってしまうこともある。そうした有害な怪異を退治する『七星社』という組織があって、お爺ちゃんはその一員だったのよ」
「爺ちゃんが……!?」
これまで様々な神秘を目撃してきた伶人にとって、怪異にかかわる組織の存在などは「へぇ」で済む話であった。
だが、祖父がその一員だったという事実には、さすがに驚かされる。
「そのシチセイシャって、どういう組織なの?」
「たとえるなら、現代の陰陽寮とでもいうべき秘密結社……かしら」
そう前置きをし、蛍は自分が知っていることを簡潔に説明した。
いわく、七星社なる組織は様々な霊験能力者を擁し、『本殿』と呼ばれる中枢機関の監督のもと、有害な怪異の監視や捕獲、討伐などをしているらしい。
だが、組織の実態は巧妙に秘匿され、棟梁と称する首領の素性はおろか、本殿の所在すら不明。
仲間内の連携も、極めて限定されているのだという。
「身内にも組織の全貌を把握させないようにしてるのは、内部の権力闘争や第三者の干渉を防ぐためらしいわ。怪異や調伏師の力が悪用されないようにね」
「調伏師──」
耳慣れない単語に眉を寄せる伶人だったが、想像はついた。
調伏とは、密教の四種法のひとつ。神仏にたのんで諸悪を懲らしめたり、怨敵を呪ったりする修法である。
その名を冠する調伏師とは、怪異を討つ者のことなのだろう。
「そんな仕事をしてたってことは、爺ちゃんには、そういう力があったってこと?」
「ええ。お爺ちゃんは八門神機流の方士で、火の方術と式神の扱いを得意としていたわ」
「八門神機……瑠姫の術も、そんな名前だったな」
「うむ」
話をふられた瑠姫は、腕を組んで応える。
「八門神機は、紫苑が陰陽の技をもとに編み出した我流の方術。御巫家は、その唯一正統なる伝承者ということになろうな」
「といっても、一族のみんなに霊験があるわけじゃないし、方士の家系だってこと自体、ごく限られた身内しか知らない秘密だけどね。私がそれを知ったのは、五年前のことよ」
「その秘密を明かされて当主になったってことは、蛍さんも方士なわけ?」
「んーん……」
伶人の問いに、蛍は首を降った。
「残念ながら、私はちょっと霊感が強いだけで、術を使えるほどの才能は無いわ。でも、伶くんには、あるみたいね。かなりの霊験が」
「霊験? 俺に?」
「あるじゃろうな。わらわは、お前の神気に誘われて目覚めたのじゃから」
瑠姫は伶人を見、さも当然のように言った。
霊験とは、およそ霊的な活動資源や作用力の総称。霊力、法力、神通力、あるいは魔力などと言い換えてもいいだろう。
「お前を起こしたのは、あの勾玉の力なんじゃないのか?」
「知方珠は、あくまでも鍵にすぎん。お前が持っていたからこそ、その役割を為しえたのじゃ。お前には、かの紫苑にも劣らぬ霊験があるのかもしれん」
「ねぇ、よく分からないんだけど、それって伶ちゃんにも魔法が使えるってこと?」
すっかり傍観者になっていた小春が、口を挟んでよいものかと迷いながら訊いてきた。
伶人も同じ疑問を抱いていたので、固唾を呑んで返答を待つ。
しかし、
「いや、それとこれとは話が別じゃ。いかに優れた霊験があろうと、使いこなす才が無ければ宝の持ち腐れ。屁の突っ張りにもならんよ」
ばっさり斬り捨てられてしまい、
「ひどい言われようだな。つーか、言い方に品がないよ、お前」
溜息混じりに苦笑いするしかなかった。
なんとなく会話に区切りがついたところで、蛍はショルダーバッグから小さな竹筒を取り出した。
「ところで、瑠姫にお願いがあるんだけど」
「なんじゃ?」
「これ、開けてほしいの」
「ほう。封じ物か?」
瑠姫は竹筒を受け取り、上部に貼られた霊符を観察する。
「八門神機の封じゃな。これなら、お安い御用じゃ。解八門禁──いざや、出ませい」
開封の方術を流し込むと、封緘が焼失し、小さな木の栓があらわれた。
瑠姫が栓を引き抜くや、竹筒からもうもうと白煙が噴き出す。
「うわっ! なんだ!?」
「まぁ、見ておれ。出てくるぞ」
思わずのけぞる伶人を横目に、瑠姫は竹筒を前にかかげた。
すると、噴き上がる白煙が空中で綿飴のような塊になり、その中から何かが落ちてくる。
「──んぎゅっ!?」
脳天から床に落ちて悲鳴をあげ、バックドロップを食らったような気の毒な体勢で痙攣しているそれは、体高十五センチほどの白い獣であった。
大きな耳に、これまた大きな尻尾。
純白であることを除けば、フェネックという小型の狐に似ている。
「……なに、これ。妖怪?」
「〝くだ〟じゃよ。竹筒なんぞに入れられておるから、そうじゃろうとは思っていたが、やはりな」
「くだ……管狐か」
さすがは雑学オタクだけあり、伶人は即座に理解する。
「あたたー……出すときは、ちゃんと下に向けてーな」
その管狐なるモノは、後ろ脚で反動をつけて起きあがり、後頭部をさすりながら訴えた。関西系のイントネーションである。
竹筒から獣が出てきて、しかもそいつが喋っているわけだが、伶人はおろか、小春もそれほど仰天してはいなかった。
かえって管狐のほうが困惑気味で、ちょうど真正面にいた伶人を見上げて「あう?」と、たじろぐ。
「えっと……どちらさん?」
「は? いや、どちらさんって言われてもな……」
「彼は伶人くんよ」
苦笑う伶人に代わって、蛍が応えた。
それで初めて背後にいた彼女に気付いた管狐は、
「あ、蛍さん!」
嬉々として跳ね跳び、蛍に抱きとめられた。
「半年ぶりね。といっても、あなたにとっては昨日の今日でしょうけど」
蛍は管狐の頭を撫でてやり、伶人たちを見回す。
「瑠姫の言う通り、この子は管狐よ。お爺ちゃんの使い魔だったの。さぁ、みんなに自己紹介して」
「はいな。えっと、はじめまして。鳴子の千花です」
管狐──千花は、蛍の腕の中で会釈をした。
その瞳はルビーのように赤く、額には朱色の斑点が二つ、ちょうど眉のように並んでいる。
「千花ちゃんか。可愛いね」
「……この状況で、言うことはそれだけ?」
ちっとも動じていない小春に、伶人は呆れた。
もっとも、彼は彼で「名前からして、こいつ雌なのかな」という、どうでもいいことを考えていたりしたので、どっちもどっちではある。
「さっきも言ったけど、彼が伶人くん。お爺ちゃんから聞いたことあるでしょ? で、彼女はお友達の小春ちゃん。白い髪の子が瑠姫よ」
「……んきゅ? この気配、うちのお仲間さんみたいやね」
蛍の紹介を聞いた千花は、瑠姫を見つめて鼻をヒクヒクさせた。
「仲間かどうかは知らんが、似通ったモノではあろうな。わらわは狐じゃ」
「狐仙なん? そう言われると、朔夜さんと気配が似とるかなぁ」
「さくや? 誰だ、それは」
「きゅきゅ……? 瑠姫って、どこかで聞いたような──」
千花は瑠姫の質問には応えず、考え込んだ。
そして、いきなり声を張りあげる。
「あーっ! そうや! 瑠姫って、あの皇雅と闘って負けた狐仙やん!」
「負けてはおらん。……痛み分けじゃ」
ムッとする瑠姫だったが、強くは言い返せなかった。
負けたというのは、半分正しいからだ。
「その瑠姫さんがここにおるってことは、慶様、ついに籠り社の封印を解いたんやね。さすがやなぁ。で? 慶様はどこにおるん?」
千花は嬉しそうに部屋を見回した。
しかし、蛍が悲しい事実を告げる。
「お爺ちゃんは、もういないの。亡くなったのよ。半年前に旅先で倒れて、そのまま──」
「な? うそ……亡くなったん!? あんなにお元気やったのに、なんで?」
「…………」
なんで、と言われても応えようがない。蛍は黙って顔を振り、うなだれる千花を撫でてやった。
千花は大きな目に涙を溜め、暖かい手に頬ずりしながら言う。
「旅先で倒れたってことは、あのお仕事の最中やろか」
「お仕事って、七星社の?」と、蛍。
「うん。青木ヶ原で起こってる怪事を調べてくれって依頼やったみたい。で、飛行機で行くから竹筒に入ってなさいって言われて──」
「なるほど。それで封じられたままになっちゃったのね」
蛍は納得した。
管狐は方士の使徒として役立つ怪異だが、往々にして勝手気ままな性分で、飼い慣らすのは難しい。
ゆえに普段は竹管などに封じておくことが多く、それが管狐という名の由来となっている。
千花は珍しく人懐っこい性格なので、慶太郎は基本的に彼女を出しっぱなしにしていたのだが、動物を飛行機で運ぶのは何かと面倒だから手荷物に仕立てたという事情なら合点がゆく。
「──慶様、そのお仕事の最中に逝ってしもーたん?」
「だと思うわ。お爺ちゃんが倒れたのは、山梨のホテルでだったから」
「お別れ、言われへんかったな……」
それが心残りでならず、千花はしんみりとつぶやいた。
そして、自分が作ったしめやかな静寂を嫌がるかのように、みずから話を戻す。
「そやけど、慶様が亡くなりはったんなら、誰が瑠姫さんの封を解いたん? 蛍さん?」
「んーん。瑠姫を起こしたのは伶くんよ。そうなんでしょ?」
「え? うん、まぁ……そういうことになるのかな」
「ほな、伶人さんは凄い方士なんやねぇ」
「いや、違うんだ。実は──」
伶人は瑠姫と出会った経緯を手短に話した。
それは蛍に説明するためでもある。
「んー……ということは、えらいことになってしもーたんやな」
話を聞いた千花は、前脚を組んでつぶやいた。
獣らしからぬ仕草だが、人の言葉を喋る彼女だからか、不思議と不自然には見えない。
「御巫家の秘本に、こんな一説があるんよ。〈少女なる狐仙、月華の瑠姫、浄き籠もりの祠にて眠りにつきたり。時満ちたれば、縁あるもの来りて、かの子を起こさん〉──」
「──〈其は紅蓮の災禍の報せなり。吾が子らよ、ゆめゆめ忘るることなかれ〉、ね?」
千花の暗誦を蛍が継いだ。
伶人は黙って蛍を見つめ、説明を待つ。
「瑠姫が目覚めたのは、目覚めるべき状況になったから。紅蓮の災禍──つまり『皇雅』という鬼が復活しようとしている、ということよ」
「なんじゃと!? それは本当か? 皇雅めを封じた『畢ノ鏡』は今、どこにあるのじゃ?」
蛍の説明を聞くなり、瑠姫は血相を変えて詰め寄った。
その勢いに気圧された千花は、蛍の豊かな胸の狭間に埋まって目をしばたかせる。
「え……? 知らんの?」
「……奴との闘いのあとすぐ、わらわは眠りについたでな。紫苑が遺した書物に、鏡の在処は書かれておらんのか?」
「ええ。無間匣に秘す、とあるだけで、場所は書かれていないわ。でも、秘本には章ごとに短歌が添えられていて、ひとつ気になるものがあるの」
蛍はスマホを取り出し、秘本を撮影した写真を表示させた。
そこには、美しい楷書で一首の和歌が記されていた。
鏡なす
海の磐舟に
在りしけり
彼が身に逢ふが
月を偲ばむ
「この歌よ。鏡と〝彼が身〟が懸詞になっているのが意味深だし、〝逢うが〟は皇雅、月は〝月華の瑠姫〟を示してるって解釈できるでしょ? なら、この磐舟という言葉にも隠された意味がありそうなんだけど、何か思い当たることは無い? 瑠姫」
「いや……分からぬ」
「無間匣については?」
「知らん。名前からして、封じ物の類だとは思うが……」
「難儀やなぁ。調べようにも、肝心の秘本は士郎さんが持ってってしもうたし」
「士郎さん?」「士郎?」
千花の独語に、伶人と瑠姫がそろって反応した。
蛍は説明しようと口を開きかけたが、ここは千花に任せる。
「慶様の弟子やった人やよ。修験の方士で、調伏師としての称号は『雷火』。さっき言った朔夜さんていうのは、その士郎さんの恋人の狐仙なんよ」
「狐仙? 妖怪退治をやってる秘密結社のメンバーで、管狐を使い魔にしていて、おまけに狐仙と付き合ってる弟子がいたのか。爺ちゃん、不思議すぎだな」
「狐さんと暮らしてる伶ちゃんも、なかなか不思議くんだけどね」
「ふふっ。そうね」
呆れる伶人を小春が茶化し、蛍が相槌を打った。
そんな会話が場の空気を和ませるも、瑠姫だけはしかめた顔を緩めない。
「笑い事ではないぞ。皇雅の復活など、あってはならんこと」
「と言ったって、そいつの居場所が分からないんじゃ、どうしようも……あ、そうだ、爺ちゃんの弟子だった士郎って人なら、何か知ってるんじゃないか?」
伶人は千花に訊いた。
「何かどころか、何もかも知ってはるやろね。だって、その士郎さんが皇雅を復活させようとしとるんやもん。慶様は、なんとか止めようとしとったんやけど──」
「馬鹿な! あの悪鬼を復活させるじゃと? なんのために!?」
「さぁなぁ。うちに訊かれても……」
「ちっ! 何を考えておるのじゃ、その士郎とやらは」
瑠姫は苛立ちをこめた息を吐き、考えこむ。
「しかし、どうやって皇雅を……? 畢ノ鏡の封を破るには、互いに絡み合う八つの結界術を同時に解かねばならん。封をした紫苑ですら、神降ろしでもせねば──ん!?」
思考を深めるための独り言が、瑠姫にあることを気付かせた。
「なるほど、神降ろしか!」
自分が皇雅を復活させるとしたら、どうするか。
そう考えて行き着いた結論が、ある出来事と繋がったのだ。
「千花、士郎という者は式神を使えるのか?」
「うん。烏頭女っていうカラスの式神を使うよ。まぁ、士郎さんの場合、正確には『護法童子』やけど」
護法童子とは、密教系方士である修験者が操る人造怪異。
本質的には陰陽師の式神と同じものである。
「カラスか。やはりな」
「瑠姫。一人で納得してないで、俺たちにも説明してくれよ」
「昨日のカラス女、あれが烏頭女とかいう式神じゃろう」
「……!? それって──」
「ああ。昨今の神隠しは士郎という奴の仕業なのじゃ。皇雅を解放するには、神降ろしという儀式をする必要がある。そのために娘を集めておるのじゃよ。伶、今までに何人さらわれた?」
「六人、だな。確か」
「いかんな……皇雅の封を解くには、八人の依代が要るはず。すでに六人までそろえておるとなると、事態は一刻を争う」
言いながら、瑠姫は前髪をかきあげた。
そのまま後ろに手を滑らせ、うなじをかきむしる。
「皇雅が解き放たれてしもうたら、万事休すじゃ。奥義を使えぬ今のわらわでは、まず勝ち目はあるまい」
「つまり、その皇雅ってのが復活する前に、どうにかしなきゃならないわけだな」
「そうじゃ。なんとしてでもな」
瑠姫はテーブルの上のグラスをひったくり、氷が溶けて薄まったアイスコーヒーを一気に飲み干した。
(やらねばならん。たとえ差し違えてでも……!)
その覚悟を口に出しはしなかったが、並々ならぬ気迫は伶人にもひしひしと伝わっていた。
※つづく※




