幕間 ある日の日常
今回の話は第二話と第三話の間の小話となります。
「」はギリア語、『』はアルバ語を示しています。
『リンゴ。 「リンゴ」』
「リンご」
『そうそう、酒。 「酒」』
「酒?」
『良いよ。 香辛料。 「香辛料」』
「こうシ……りょ?」
「こ・う・し・ん・りょ・う」
「こうシンりょう」
『うん、まぁオッケー。 頑張ったね』
今はヨナとギリア語の勉強中。
とりあえず読み書きは置いておいて、日常会話をできるようになることを目標としている。
彼女は小さくガッツポーズをする。
「やっほー」
街側の方から声が聞こえる。
ジュリアだ。
「またギリア語の勉強? 精が出るね」
精が出る、か。
ヨナにとっては死活問題でもあるんだから精が出るのも当然だ。
いや、僕に向けた言葉だろうか。
とんだお人好しと言われても仕様が無い。
移民に言葉を教えるというのは僕の仕事の範疇ではない。
それでも異国の少女、ヨナにギリア語を教えているのは…なぜかわからないが、彼女の事が気になるからだろう。
「やぁジュリア。 今日も早いね」
ジュリアは街の入り口にいる僕の護衛役を自ら買って出てくれた。
もちろん四六時中僕の元にいるわけにはいかない。
彼女はこの街の領主の娘。
重役もいいところだ。
夜間は他の騎士に護衛を任せて、朝早くから僕の元へきてくれる。
ジュリアは騎士として鍛錬を重ねており、剣の実力は一商人の息子である僕とは比較にならないほどのものだ。
「おはよう。 ………今日も素敵ね」
ジュリアは心にもないようなことを平気で言う。
今の僕は寝起きからヨナの来訪によって目を覚まし、顔は洗ったけど、髪はボサボサ、瞼もまだ少し重い。
僕ならお世辞でも素敵とは言えない。
「あぁ、ありがとう。 ちょっと外すよ」
「はーい」
僕はジュリアの皮肉を不貞腐れながら受け止めて、カウンターを離れる。
髪を直すためだ。
これからいつものように旅商の人隊がくるだろうし、いい機会だ。
鏡の前に立ち、手に持った櫛でウェーブがかった茶髪をすく。
寝癖が強くてうまく直らない。
昨日はどれだけ寝返りを打ったのだろう。
悪戦苦闘の果てになんとか見られるくらいの自分の容姿に納得する。
うん、これでオッケー。
カウンターへ戻るとジュリアとヨナが並んで話していた。。
『これは、私。「私」ね。 これはあなた。 「あなた」』
ジュリアは自分とヨナを指差しながら言う。
どうやら文字の読み方を教えておげているようだ。
「ジュリアも精がでるね」
僕は皮肉たっぷりに言ってやった。
「あら、おかえり。 人助けは騎士の勤め、でしょ? それになんてったって暇だしね〜」
彼女はあくびを手で押さえながら言う。
理由はどうであれ、ヨナが街の人と仲良くなるのは良いことだ。
「アクび」
ヨナはジュリアを指差しながら言う。
ジュリアは思わず吹き出して
「ふふっ、そう。あくびだね。 じゃあこれは?………へくちっ!」
ジュリアは新しいおもちゃを手にれたかのようにお題を出す。
「あー、えー、うーん『くしゃみ』」
ヨナはギリア語がわからず、アルバ語を使う。
「あー、ずるーい」
ジュリアはいじけた子供のような声色だ。
いたずらが失敗した時の子供にそっくり、いや昔の彼女のようなと言ったほうが正確だろう。
「はいはい、そこまで。 ヨナで遊ばないの」
僕は遮るように間に入る。
「えー、いいじゃない。 ヨナちゃんはお勉強ができて、私は楽しめる。 Win-Winでしょ?」
ジュリアは両手にピースを咲かせながら言う。
まぁ、確かにそうなんだけど、ヨナが弄ばれているのは…なんだか気に入らない。
というかやっぱり遊んでいたんだな…。
「異国の人なんて珍しくないけど、ヨナちゃん可愛いし、何よりこの綺麗な髪。 こんな綺麗なシルバーブロンド、中々無いわ」
それは僕も納得だ。
何か引き寄せられるような不思議な魅力がある。
ジュリアが興味を持つのも訳はない。
「そうだ! 今日は私と一緒に街を見に行きましょうよ。 ね、ヨナちゃん」
「エ? …勉強ハ?」
それはいい考えかもしれない。でも
「僕は行けないよ。 父さんに怒られたばかりなんだ」
以前、無断でこの家を離れてヨナと街を歩いた。
その後、ただでさえ人手が少ないのにと父に叱られたのだ。
「あら、そう? じゃあ二人でデートしましょ。 ヨナちゃん」
「その、エっと…」
ヨナは困っているようだ。
僕は
「いいんじゃない? 一緒に行ってきなよ。 あの時も店の中に入ったりはしなかったからね。 今日は時間もあるだろうし、楽しんできなよ」
と促す。
これはいい機会だ。
ヨナはあれから結構な頻度で僕の元へ来ている。
街を歩くことで、この街での仕事なんかも見つかるかもしれない。
ジュリアも一緒だし、安心して任せられる。
「じゃあ、決まり! 行こ。ヨーナちゃん♪」
ジュリアは席を立ち、それにトテトテとヨナがついて行く。
まるで妹ができたかのようにジュリアはヨナと手を繋ぎ街の方へ歩いて行った。
ーーーーーーーーーー
『いつ見てもすごいねぇ。 酔っちゃいそうじゃない?』
ジュリアはヨナがはぐれないようにしっかりと手を繋いで道案内する。
『そうですね。 ここまでの人混みは初めて見ました。 どこへ向かっているんですか?』
一方のヨナはまだ見ぬ地へ向けて歩くジュリアに少しの不安を覚えていた。
『ふふーん。 ヨナちゃんが知らない世界だよ〜。 大丈夫。 怖いところじゃないから』
ヨナは不安を加速させていった。
ーーーーーーーーーー
『とうちゃ〜く。 ここで〜す!』
ジュリアがお披露目するように指し示したした場所は…
『ここは………服屋さん?」
『そう! ヨナちゃんは加工されていない宝石のようなもの。 まだまだ磨きがいがあるのよ! 今の服を見てみなさい? いかにも旅人っていう雰囲気がダダ漏れよ。』
とジュリアは熱弁する。
『でも私お金ないですよ?』
まだこの街に来たばかりのヨナは無駄遣いできるお金などないのだ。
するとジュリアは
『大丈夫。 今日は私が持つから。 さ、入りましょ』
と言って、片方の手でヨナの手を握り、片方の手で店の扉を開けた。
「こんにちは〜」
「いらっしゃ………あらジュリア様。 いらっしゃいませ。 どうしたんです? そんな可愛らしい娘を連れて」
出て来たのは店の女主人ミランダだ。
「この子はヨナ! 最近この街に移住して来たんだって。 今日はこの娘に合う服を探そうかなってね」
ミランダはなるほどと手を打った。
「わかりました。 そうなると………せっかくの綺麗なシルバーブロンドです。 強調するために黒系の服を揃えますね」
ミランダは支度をしながらいう。
「良いわね! フリルが付いてるお姫様みたいにしましょ」
ジュリアもミランダもノリノリである。
一方で置いてかれているのはヨナ。
ギリア語もまだあまり聞き取れなく、何を言っているのかもわからない。
ただ自分の来訪に好意的であることと二人が何か楽しんでいることだけは空気で理解できた。
しばらく、ジュリアとミランダが言い合って、服を取り出している。
ヨナはぼうっと立ってそれを見ていた。
この感じは不思議と悪くない。
普通の家族ってこんな感じなのかなとヨナはふと思う。
そうしていると、ミランダが服を持ってヨナの方へ顔を向けた。
「お嬢さん! こっちきて!」
手招きするミランダに吸い込まれるようにヨナは歩いていった。
『私はこっちで待ってるね〜」
ジュリアは楽しみを後にとっておくタイプのようだ。
着いたのは鏡のある小さな部屋。
着替え部屋である。
ミランダはテキパキとヨナを着替えさせる。
ヨナは身を預けているだけで着替えられる優雅さに酔いしれていた。
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「よし! 完成!」
ミランダは額の汗を拭う仕草をして仕事を終えたことを確認する。
『うわぁ………」
ヨナはキラキラとした目で鏡に写った自分を見る。
ヨナからしてみれば、目の前におとぎ話のお姫様が現れたような感覚だ。
そのお姫様はもちろんヨナ自身。
「できた!? ………おぉ〜〜」
ミランダの声に反応したジュリアもやって来る。
あまりの出来栄えに服を選んだ彼女自身も感心している。
黒を基調としたゴシックな服とスカート、そして黒のカチューシャによって際立たされた銀髪が日常的な世界に幻想的な一人の少女を顕現させていた。
「かわいい!!! ミランダさん! いい仕事したねぇ!」
ジュリアは破裂したような声で叫んだ。
「私もここまでの素材はなかなか出会えませんからねぇ。気合い入れましたよ」
ミランダも会心の出来に満足そうだ。
ヨナは鏡をじっと見たまま固まっている。
「ヨナちゃん?」
心配してジュリアが声をかける。
「あ、こんにちハ」
とヨナは鏡に向かってお辞儀をする。
「………」
「………」
ジュリアもミランダも閉口してしまった。
ヨナは顔を上げて
『え? あ、私か』
と呟く。
どうやら突然現れた少女にヨナは驚いてしまったようだ。
「……ぷっ」
意味を理解したジュリアが吹き出す。
「…あっはははは!」
ジュリアは一人で笑いが止まらないようだ。
対してミランダは綺麗なお辞儀をする少女に見惚れている。
不思議な光景はしばらく続き、その後ジュリアは会計を済ました。
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『今日は楽しかったね』
「そうですね。 面白かったです』
今は店からの帰り道、街の西側へ帰るヨナをジュリアが送っているところだ。
ヨナは買ってもらった服を大事そうに抱えている。
『それ、アランの前では着ちゃダメだよ』
『? なんでですか?』
『そりゃああんな姿を見せたら、アランはヨナちゃんに首ったけになっちゃうからね』
ジュリアは困ったように頬を掻く。
『それは…困っちゃいますね』
とヨナが聞こえないような小さい声で呟く。
ジュリアはそれに気づかずに歩いている。
『あ、ここまでで大丈夫です。 今日はありがとうございました」
『ん? いいのよ。 私も楽しかったし、言ったでしょ? 「Win-Win」だって』
『あの…それってどういう意味なんですか』
ヨナは素直に疑問に思う。
『え? うーんとね。 ヨナちゃんも楽しかったし、私も楽しかったってことよ』
『なるほど「Win-Win」ですね』
ヨナは繰り返し言う。
『それじゃ「また今度」ね』
とジュリアは別れの言葉を告げる。
『はい。 「まタ、こんド!」』
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一方、アランの家
「………暇だなぁ」