四
「それで、気がついてみたらここに寝かされてたってわけでさ」
春吉は、妙に顔立ちの整った岡っ引に言った。「ここ」とは久貫屋敷の一室で、怪我をした春吉と安治のために特別に当てられた部屋だった。斬られた安治はまだ熱を出して寝込んではいるが、幸い命に別状はない。だらしのないことではあるが、気絶しただけの春吉の目が覚めたので、話を聞きたいという岡っ引が会いにきたのだ。武家屋敷の地域のことに岡っ引が関わるのは妙だとも思ったが、「いまはお武家のところでのことですが、いつこちらのほうに飛び火がくるともわかりませんので、用心のため調べさしてもらってます。それに、やはり辻斬りの被害にあわれたご浪人はあっしの縄張りうちのお方でござんして」と言う、色吉というその岡っ引の説明で納得した。
色吉は遠慮して縁側に腰掛けている。春吉も起き出して縁側に座っている。すぐうしろには安治が寝ているので、昼間だが声はひそめている。
「辻斬りが出るまえに見たという影ですが、見たのはそのときだけでやしたか? 辻斬りが出てからは見てねえ?」
春吉は少し考えて、
「そういえば、倒れて頭をぶっつけっちまう前に、やっぱり塀の上に人影を見たような気がする。……うーん、ただ、おかしいのは、それがその前に見たのと反対側の塀なんで」
「へえ。あすこん道は十間ばかり広かったですね。そいつが渡るところは見なかったんで?」
春吉は首を横に振った。
「そのまえにそっちに向かって歩いてたんだから、渡ってりゃ気づかないはずはないんですがね。空を飛んだか、地に潜ったかすりゃあ別ですが」
「ふーむ。ひょっとして両側の塀に一人っつで、つまり二人いた、ってことでやすかね。それも妙かな」
「妙と言えば、話は違うが、あの辻斬り野郎、刀をわざわざ持ち換えてるんで」
「というと」
「最初、楢藤様のとこの男衆に斬りつけたときは、たしかに右手に刀を持っていたのに、安治んときにゃ左手で斬りつけてやした」
「へえ……なんでわざわざ。両手に持ってたということはないんでしょうね」
春吉はまたちょっと考えて、
「いや、たしかに片手はあいてやした」
岡っ引は礼を言って帰っていった。
久貫様の屋敷を出た色吉は、その足で楢藤様の屋敷を訪ねた。旗本三千石の楢藤屋敷は、先ほどの久貫屋敷とは比較にならぬほど立派な構えだ。色吉は中間部屋の外から声をかけた。
「ごめんくださいやし」
中間部屋の覗き穴から鋭い目が睨みつけてきた。
「昨夜の辻斬りの件につき、中間さんにお話を伺いたいと……」
「そのような者はここにはない。帰れ」
「え……いや、こちら、楢藤様の中間部屋でやすよね」
「そうだ。小者風情の来るところではない。帰れ」
いや、でも、などと色吉が未練がましくぐずぐずしていると、
「ぬ。帰らぬかこの小者。ならばそこで待っておれ」
鋭い目が引っ込むと、すぐに戸が開いて、ぞろぞろと大きな男が三人出てきた。それぞれ長い棒を手にしている。見ている間に一人がそれを振り上げて色吉に打ち掛かってきた。
「うわっ」
色吉は悲鳴をあげてなんとかそれをかわした。それを見ていた違う一人が、
「うぬ、こいつよけよるぞ」
と言いながら棒をなぎ払ってきた。色吉はのけぞり返ってあやうくそれもよけた。
「おお、生意気に、またよけよった」
三人目が言い、同時に色吉の股の下から棒をすくいあげてきた。とっさに飛びすさってそれもかわすと、最初に攻撃してきた者が、
「こりゃ、よけるなと言うに」
と、また棒を振り下ろしてきた。これも辛くもかわすと、色吉はそのまま反対を向いて駆け出した。
「あっ、逃げよった」
「待てこりゃ、おとなしく叩かれろ」
駆けながら振り返ると、三人の中間がそれぞれ棒を、一人は上から打ち下ろし、一人は横になぎ払い、一人は下からすくい上げるように振り回しながら、それぞれ「こりゃ」「待て」「逃げるなと言うに」などと言いながら、くねくねと追いかけてくる。あまりの気味の悪さに、色吉はさらに足を速めて逃げ出した。




