三
遠くの屋敷の塀の上に動く物を見た気がした。猫などではなく、人の頭のように見えた。
「どうかしたか」
隣を歩いていた中間仲間の安治が声をかけてくる。知らず、足が止まっていたのだ。春吉はふたたび塀に目を凝らしたが、もう先ほどの影は見えなかった。
「いや……なんでもねえ」
ヘンに騒いで臆病者と見られるのは御免だったので春吉はごまかした。
春吉と安治のまえには楢藤様のところの三人の中間が歩いている。夜中なので声をひそめてはいるが、ときどき笑い声が響いた。その度に気づいてしばらくは三人とも黙り込むのだが、しばらくしてまたボソボソと始まり、笑い出す、ということをくりかえしていた。
辻斬りの用心を近在屋敷で持ち回りでやることになり、五人でもう半刻ほども見廻っている。はじめは強がり半分、威勢よく歩いていたが、いいかげん飽きてきた。そろそろ戻ってもいいころだろう。春吉と安治は久貫家の中間で、楢藤家とは石高が違うので普段は付き合いがないが、今日ばかりは楢藤様のところで酒をふるまってくれることになっている。酒のことを考えると心が弾んだ。そのときちょうど、さきほど影を見たあたりにさしかかった。
なんの前触れもなしに、中間たちの前に聞いていた通りの様子をした辻斬りが立ちふさがった。虚を突かれた形になり、中間たちは凍りついた。辻斬りは右手にダラリと提げていた刀を下から斜めにすくいあげるように斬りつけてきた。まえにいた三人のうち二人がぎゃっと声をあげて倒れた。残る一人が脇差しに手をかけたところで、辻斬りが先ほど刀で描いた円をまるでぴったりと逆になぞるように今度は上から斜めに斬りおろした。その一人も「うむ」と声を出し倒れた。
ここまででほんの一呼吸の間で、凍りついたようになっていた春吉はやっと脇差しを抜きながら辻斬りに向かっていった。が、当の辻斬りは現れたときと全く同様に、唐突にかき消えた。と、背後で「ぎゃっ」という声がした。振り返ってみると安治が袈裟掛けに斬られたあとだった。駆け出しながら振り返ったのがまずかったようで、春吉は先に斬られて転がっていた中間の一人につまづいて、仰向けに倒れ頭を地面に打ちつけてそのまま気を失ってしまった。