九
翌日の午すぎ、色吉は冨急に顔を出した。店には男と女がひとりづついるだけで、これが道助とお圭だろうと色吉は踏んだ。お圭は五十を越えているというが、それよりは若く見えた。
「なにをお探しで」
道助はにこにこと近寄ってきたが、色吉の顔を見て一瞬ややひるんだ顔を見せ、しかしまたすぐに笑顔に戻った。色男を自認する若い男によくある態度だった。
「いえ、あっしは客じゃねえんで」
色吉も笑顔で言いながら、ちらりと懐のなかの十手を見せた。「ご当主に話をうかがいたいんで」
道助が今度こそはっきりと眉をひそめた。
「でも……こないだの、あの、ええと……御用聞のお方とは違うようですが」
道助が馬道の岡っ引の名前を思いだそうとして思いだせなかったということが色吉にはすぐにわかった。色吉も思いだそうとしてみたが、すぐにあきらめた。
「ええ、宇井野様は何人もお抱えなすってるんでね」
これは本当のことだ。ただし色吉は宇井野の手先ではないが、道助がそう思ったとしても、色吉がだましたわけではない。
「まずはわたくしが話をうかがいますが」
「いや、丁稚じゃあ話にならんのでね」
「わたくしは丁稚ではなく番頭です。それも手代代理ですよ」
道助はむっとした顔になった。
「番頭だろうが番台だろうが同じこった。家のなかのことだ、とにかくご当主を呼んでくれ」
色吉は十手を懐から出してくるくると胸のまえで小さく振り回しながら、声を大きくしていった。しかし周りに客がいない状態では、このハッタリ脅しはまったく効果がない。ということは道助にもわかっているようで、
「さて、あたしも忙しいんでね。一刻ばかり待ってもらえるかね」
「客なんざいねえじゃねえか」
「だから、客引きで忙しいのさ。さあ、らっしゃいらっしゃい」
「なら勝手に邪魔するぜ」
色吉は土間から畳敷きあがりこんだ。脱いだ草履を懐に入れる。
「ああ、ちょっと」
うしろから声をかけてくる道助を無視してずんずんと店を横切り、勝手に襖をあけて家に入る。お民の言っていた家のなかの土間も通り過ぎて奥に行き、これと見当をつけた奥座敷の襖を開けると、
「きゃっ」
と悲鳴をあげたのはお民だった。「あれ? いろ――」
「シッ」
そこは当主仙衛門の座敷ではなく、内儀のお末の部屋だったようで、お民が自分の名を呼ぼうとするのを色吉は口に指をあてて止めた。
「あの――」
「ここはご当主の部屋じゃあないのかえ」
「いえ……」
お民のうしろに屏風があり、その向こうに人の気配があった。
「お民ちゃん、なにごと?」と声がした。これが若い後妻のお末だろう。
「あの……」
言いよどむお民に、色吉は十手をかざしてみせた。
「御用聞の親分さんが……」
「お忙しいところ恐れ入りやす。ちいとお伺いしたいことがありやして」
色吉はずんずんと座敷にあがりこんでいく。「あっしは色吉って、お上の御用を聞くもんで。あんたはここのお内儀さんですかい」
「困ります」
お民が止めようとするのをおさえて屏風の向こうを覗くと、床が延べてあって、女が臥せっていた。
「こいつはごめんなすって」
色吉はあわてて頭を引っ込めた。「だけど確かめたいことがあるんでさあ。先代のご夫妻はどこにいらっしゃるんで?」
「いえ、わたくしは存じませぬ」
小さな声が答えた。
「あんた、お内儀さんじゃねんですかい?」
「そうですが、後妻であるうえ、この通り体も弱いものですから、あまり家のなかのことはわからないのです」
小さいがよく通る声だった。
「お内儀さん、ひょっとしてじゃあ、先代に会ったこともないんですかい?」
「はあ」
「ご祝言のときや、ご嫁入りのあいさつなぞは?」
「お恥ずかしい話でございます。が、仙衛門がかまわないと言ってさせないのでございます」
「どうしてでしょうねえ」
「仙衛門は婿なので、先代は亡くなった先妻の両親なのです。それで遠慮があるのでございましょう」
「遠慮ねえ」
「わしが案内させてもらおうかな」
色吉の背後から声がかかった。お民が頭をさげる。振り返ると、恰幅のいい男が立っていた。「当主の仙衛門だ」
お民の話どおり、六十をいくつか越えており、三十手前のお末は後妻といえど若すぎる。しかしぎらぎらと精力的なその様子はいかにも若い妻を娶りそうといえば娶りそうであった。
「ご当主直々たあ、こいつはおそれいりやす」
色吉は頭をさげた。




