五
「わたしはお屋敷のなかでお店のほうに行ってはならないと言いつけられていたのですが、それはこういうことがまた起こるのを用心していたためなのだとそのとき気づきました」
と、お民は続ける。
おとついのことですが、朝、お内儀さんのお食事の世話をしたあと、寝床につかれましたので、いつものように庭を歩いておりますと、驚いたことに例の土蔵のまえにひとが倒れていたのです。
うつぶせだったので女のひとだということしかわかりませなんだが、すぐ目のまえにひとが倒れていることなんど初めてでしたので、驚いてわたしはその場から動くことができませんで、声も立てられませんでした。
そのとき頭のうえのほうでがたんと音がしました。見上げますと土蔵の二階の窓から見ていたひとと目が合って、それが皺だらけで男か女かもわからない老人でひどく気味が悪かったものですからわたしはまた驚いて息をのんでしまいました。でもそのおかげで動けるようになって必死でその場から逃げ出しました。ひとを呼ぼうと思ったのですが、お屋敷のなかを店のほうに行くわけにはいきませんので、御内儀のお末さんのお座敷に行きました。ちょうど目をお覚ましになったところでしたので、
「あの、お内儀さん、庭に女のひとが倒れています」
と言いますと、お内儀さんは、「まあ」と目を見張りましたが、驚いたことに「行ってみましょう」と言って起きあがるのでした。
「誰か他のひとを呼んできましょうか」
と訊いても、
「いいえ、まずはわたしたちだけで様子を見てみましょう」
と、お召しものを替えはじめるものですから、わたしも手伝いまして、そと行きの格好になると、ご案内して土蔵のところにまた行きました。
倒れている人が見えたところでわたしは怖いので立ちどまりましたが、御内儀はそんなわたしを追い抜いて平気で倒れている人のところまで行きまして、しゃがみこんで「もし」と声をかけながら肩に手をやりましたが、すぐに「きゃっ」と言って手を離しました。
それからわたしを振り返って「冷たい」と言いまして、その顔が真っ青だったことをよく覚えていますが、しかし気丈なことに、も一度肩に手をかけて体を起こしつつ顔を覗きこみまして、また「きゃあ」と悲鳴をあげて今度こそその人のそばを離れてこちらに戻ってきました。
「どうしたのですか」
わたしは怖かったのでほんとはそんなこと聞きたくなかったのですが、それでも思わずそう訊いてしまったのです。
「ああ、あれはお貞さんです。頭が血だらけで。どこかからか落ちたのでしょう」
どこかからって、そこには土蔵しかありませんから、その二階から落ちたに違いありません。わたしは土蔵を見ないようにしていたのですが、それを聞いてやはり思わず二階の窓を見上げてしまいましたが、もうさっきの不気味な老人はいませなんだ。
お内儀を支えてお屋敷に戻りまして、それからお内儀は店のほうにひとを呼びにいき騒ぎになりました。
道助さんと、それから近所の男衆に手伝ってもらってお貞さんを屋敷内の座敷に運びました。三次郎さんは、わたしはこのとき初めて近くで見たのですが、妹が血だらけなのを見てどこかに逃げてしまったのでした。
運び終わってもお内儀さんはあいかわらず青い顔をしておりましたので、わたしがもう大丈夫ですよと言いますと、いやいやをするように首を振って、「お貞さんはもういけないよ。さっき触ったときもう冷たかったのだ。ああ、ほんとに氷みたようだった」とわたしにだけ聞こえる小さな声で震えておりました。
それからお医者が呼ばれまして、頭を丸めた丸々と太った先生が駕籠に乗って駆けつけてきました。この人はお正月の平六若旦那のときと同じお医者でだそうで、名前を日茂庵先生といいました。
そしてお貞さんをひと目見ますとすぐに、「お気の毒です」と首を振り、それからいろいろと体をあらためましてから、「もう乾いておりますが、頭から血が出ております。これはなにか固いもので殴られたようですな」と言いました。
道助さんが、お貞さんが土蔵のまえに倒れていたことを言いますと、なにかを思いついたようで、顔を輝かせて、
「それなら、土蔵の高いところから落ちたのかもしれない。そうして地面に頭を打ちつけたのだ」と言いました。でもこれはもちろんお内儀もとうに言っていたことだったし、だれでもそう考えるでしょうに、と、そのときわたしは思いましたです。




