十一
色吉が衣坂屋での騒動について話し終わったところで、留緒が茶のお代わりを持ってきた。
「すまねえ、ちょうど喉が渇いたところだ」
「色吉さんのはぬるめにしといたからね……ですよ」
「そうかい、気が利くな、すまねえな」
色吉は湯呑みの半分ほどを一気に飲み、留緒が座敷を出ていくと、再び話し始めた。
「そもそもなんでこんなことになったか、つうことですが、ことの起こりをたどっていくと、十八年前のあの大火事から始まりやす。これはご隠居が最初ににらんだ通りのことで。あんとき主人の当衛門と、嫁のお宮さん、三人の男の子が亡くなりやした。衣坂屋にはまだ赤んぼだったお末さんだけが残されたってことになりやす」
このお末さんを火のなかから救ったのが、そのころ世間を騒がせていた強盗団の頭目、まさかりの丁次郎でやした。これは本人の話ですが、もうじき死ぬってえときに嘘はつかないでしょうからあっしは信じやした。
ついでに、あっしが冗談めかして衣坂屋の一家をやったのがまさかり団じゃあねえのか、と言ったところ、青くなって打ち消してやした。こいつもあっしは信用してます。やつたぁいろいろあったけど、それなりの仁義はわきまえているようなんで。
こんときやけどと怪我を負った丁次郎は、衣坂屋の当主になりかわります。もともとそのころ盗っ人稼業から足を洗うことを考えていたことから、渡りに船だったようで。
雇い人も多く死んじまったし、残ったものも多くひまをとったんで、簡単だったみてえです。で、新たな雇い人としてまさかり団の腹心だった大吉中吉小吉をはじめとして、十人ばかりを店に入れて、衣坂屋の営業を再開しやした。まえの衣坂屋は火事で丸焼けになっちまったから、ほんとに一からの建て直しで、衣坂屋をあんな大店にしたのは、こいつは丁次郎の手柄と認めてやってもいいんじゃねえかと思いやす。
あの屋敷の作りのややこしいのや、土蔵の頑丈な作りなんぞは、盗っ人時分の知恵がずいぶん働いていたようですがね。
丁次郎は衣坂屋当主として、娘のお末に婿を取って隠居するつもりで、その婿として考えたのが御家人の次男坊でした。ちょうどいいことに、家側も本人も士分を捨てて商人になってもいいというひとが見つかって、丁次郎としてはこれでひと安心、といったところでやした。
これがまず、衣坂屋当衛門こと丁次郎とお末さんの側から見た話です。
つぎに、後添いの八重とその息子、衣坂屋番頭の友助の話です。
八重ってのが小悪党で、若い、どころかほとんど幼いころからちょこまかと感心しねえことをやってきてたようで、十五、六のときにててなし子を産んでやす。これが友吉なんですがね。そのあと水茶屋に出たり小料理屋に勤めたりしてたようですが、八年ほどまえ、うまいこと衣坂屋の後添いに収まります。
当衛門こと丁次郎、といちいち言うのも面倒なんで、こっからはもう当衛門ってことにして話しやすが、当衛門からしてみればべつにどっちでもいいこと、妾を家に入れるくらいの軽い気持ちだったようで。
それで八重の口利きで息子の友吉を丁稚、弟の千吉を下男として衣坂屋に入れました。ただしどっちも八重の身内であることは隠してのことでした。なんでそんなことをしたのかわかりやせんが、まあなんでも秘密にしたがる小悪党の習性ってやつなんでしょう。
この友吉はそれでも、それなりに出来るやつで、店に入ったのがはたち近くと、ずいぶん年を寄ってからだったにも係らずどんどん出世しまして、あっというまに筆頭番頭に昇り詰めました。
八重の心積もりは友吉をお末さんの婿に据えて衣坂屋を継がせるってことでした。そして友吉もそのつもりでした。
こいつがふたつめ、八重と友吉から見た話です。
それから下男の千吉ですが、これも姉に似た、というかさらに小さくしたような小悪党で、まあ八重と同様、小せえころからなんだかんだと悪さをしてたようで。
かなり若い時分に女房をめとったんですが、そいつは女の子を産んですぐに亡くなっちまいました。この女の子がお江です。
実はあっしの調べたところでは、偶然なんですが、この千吉の女房というのが火事で死んだ本物の当衛門の妾だったようなんでさ。しかも、千吉は気づいているかどうかわかりませんが、千吉と知り合ったころ――これはちょうど大火事のすぐあとなんですが――にはすでにお江を身ごもっていたみたいなんで。つまりお末さんとお江は腹違いの姉妹ってことで、なるほど瓜二つなのも道理なわけでさあ。
千吉もやっぱり小悪党の習性なのか、なぜかお江のことを姉の八重にも隠していたんですが、これがお末さんに似ていることを利用してなんとか入れ替わることができないか、ってなことをうかがっていたようです。
千吉ってのは店じゃあ愚鈍を装っていたようです。装っていたというのは本人の弁で、まあ実際のところしょせん小悪党の悲しさ、自分で思ってるほどは切れ者でもねえ。娘を入れ替える、つっても、自分からなにかを起こすでもなく、ぐずぐずしてやがった、ということのようでさ。
これが三つ目、千吉とお江の話になるんで。
で、こんどの衣坂屋騒動は、当衛門がお末さんに、そとの武家から婿を取ると言い出したことが発端になりやした。当衛門からすればまえまえから考えていたことで、べつに当然のつもりだったんですが、八重と千吉にとってみれば青天の霹靂だったんでやす。
友吉からしても、なんとか番頭にまで登りつめて、さあこれから娘のお末さんをたらしこもうってとき、千吉はなにか起こったらうまいことやって娘を入れ替えてやろうと、ぼんやり考えていたときです。
いきなり登場した婿、見合いをもうあさってに、そのあとすぐに結納をおこなうと、当主が宣言している、どうしようと二組の陰謀者たちがあたふたしているときに、当の婿殿が衣坂屋を訪ねてきたわけです。陰謀者たちは見合いが早まったのか、はたまた日取りを間違えていたのか、とにかくさらに慌てふためき、焦った八重と千吉、それぞれの息子と娘は、ふだんなら思いもよらないような不始末をしでかしてしまうのでした。
これがさっきお話しした衣坂屋騒動の、裏の事情、とでも言ったらいいのか、背景なのでした。
色吉は湯呑みに半分残った茶の、そのさらに半分を飲み、ふうと息をついた。
「まあ、ふだんやりつけないことなど、いざやろうとしてもなかなか思い通りにやれるものではないからのう。それが悪事ともなればなおさらのこと」
歩兵衛がのんびりと言った。
「たまたまあっしと留緒ちゃんが巻き込まれちまったようなことになったんですが、どちらかといえば留緒ちゃんがどんどん衣坂屋のなかに入っていかなけりゃ、かかり合いにはならなかったんじゃねえかと思いますね。結果的にお末さんやお紀有ちゃんがひょっとしたら危なかったかもしれないから、留緒ちゃんを責められないどころか、褒めてやらなけりゃならないんですが」
「うん、女は全般的に勘の鋭いところがあるからのう。あるいは幼なじみの危険を察知したのかもしれん。本人はわかってないと思うが」
すこしのあいだ、沈黙が落ちた。歩兵衛と色吉はそれぞれの物思いに沈んだ。
「それで、そののちのことどもなんですが」
しばらくして色吉が続けた。「まず、毒を飲んだ元布重勝殿のおつきの多門慎之介殿と、衣坂屋丁稚の的助というものでやすが、ふたりとも助かりました。そもそも毒と言ってもただの石見銀山で、ねずみを殺す程度の量を飲んだところで、大のおとなが死ぬわきゃあないんで。ちいと苦しい思いをするだけで、何日か寝込んだら回復しました。八重は小悪党仲間から猛毒っつうふれこみで手に入れたみたいですが、さて、八重が一杯食わされたのか、もとの仲間からして知らなかったのか、まあいずれにしろしょせん小悪党の悲しさ、さっきご隠居が言われたとおり、悪いことなんぞやりつけてなけりゃできねえもんで、八重はだれかを殺しちまうつもりで茶に入れたようですが、当衛門のほうはすぐに慎之介殿が死ぬことはないと見抜いたようです。だからって、お紀有ちゃんや丁稚に毒が入ってるかもしれない茶を飲まさせたのはひでえたぁ思いやすが」
色吉はまた茶をひと口飲んだ。湯呑みにはあとひと口ばかり残っている。
「悪党どもですが、最後に見事なところを見せやした。当衛門は、自分がまさかりの丁次郎であることを認めて、そのうえ今度の騒動はすべて自分のせいなのであり、ほかに罪のある者はいない。悪事を働いたように見えたものも自分の命でやったのであり、だから自分一人を死罪にしてあとのものはすべて放免してやってくれと言いました。子分どももあっぱれなもので、親方だけを死なすわけにはいかねえ、自分も死罪にしろと。八重と千吉も、それぞれ息子と娘は自分がそそのかしたのだから自分を死罪にして子供は助けてくれと言いました。それで結局、丁次郎、八重、千吉、大吉中吉小吉までが死罪、あとの残った子分ども五人と友吉とお江は無罪ということで決着しました。あっしなぞの言えることじゃあないが、いいお裁きだと思いやす」
「うむ」
「手下の五人は、自分たちも死罪にしろとうるさかったのを、丁次郎に、衣坂屋をこれからも支えてやってくれと説得されておとなしくなりました」
「うむ」
「衣坂屋は丁次郎、いや、先代当衛門の当初の算段通り、お末さんと婿の重勝改め当衛門が継いで商いをやっておりやす。お供をされていた多門殿も、丁稚の慎さんとして四十の手習いでやっておりやす。友吉も主人夫婦のたっての要請で番頭を続けておりやす。どうもお江を口説いているみてえで。この二人はいとこ同士になっちまいますが、さっき申したとおり血はつながってねえようなんで、いいんじゃねえでしょうか。まあ、もとよりあっしの構うことじゃあありやせんが」
「うん、まあ不幸はあったものの、なんとか収まってなによりじゃ」
「いつものとおり旦那がうまいところで駆けつけてくだすって、命拾いしやした」
「ああ、あのとき」
歩兵衛は茶をひと口飲んだ。「理縫が、留緒が帰ってこないとぐずってな。多大有が探しにいったのじゃ。色吉殿も言っていたとおり、屋敷のなかをわざと入り組んで造ってあるから、面倒だったらしく壁をぶち抜いたみたいだの」
「はあ、そうでやしたか。ははは……」
色吉はあのときのことを思いだして冷や汗が出た。それでは旦那は、自分を助けに来たわけではなく、あれは留緒を迎えに来たついでだったのだ。
あののちにわかったことだが、衣坂屋の壁が六箇所ばかりぶち抜かれ壊されていた。
「はは、しかしあいつも案外に妹思いなところがあるのお」
歩兵衛が言った。にこにこと上機嫌だった。
〈了〉




