一
お紀有が戸締りをしているとき、背後に人の気配を感じて振り返ったが、誰もいない。ただ確かに、人の通ったあとの、空気の揺れるのを感じたのだった。お紀有はぶるっと身を震わせた。景気づけに唄でもうたいたいと思ったが誰かに聞きつけられると叱られるのでがまんした。
次の間に行こうと歩き出したが、怖いよりも好奇心が勝って、気配のしたところに戻ってみた。
裏庭への戸に、さっき心張りをかったのに、いま見るとはずれていた。
やっぱり誰かがいたんだ。お化けや妖怪ならばつっかいをはずすこともないだろう。誰か家の人に違いないから、そうなるともうそれほど怖くはなくなった。灯りを下に置いて、音を立てないように戸をほんの少し開けた。
隙間から片目だけ覗かせる。目が慣れると、人が立っているのが見えた。それから、三日月の月明かりに、もう一人。
あれは……お内儀さんと番頭さんだ。
自分の胸がどきどき大きく打つのが耳に響いてきて、苦しくなってくる。庭の二人はひそひそと顔をくっつけるようにしてなにか話しているようだが、内容はお紀有のところまでは届かない。そのときお内儀さんの八重がこっちを振り返った。お紀有は息をのんだ。しかし八重はすぐに番頭の友吉のほうに向き直ると、また小声で話し始めた。ほっとした。みつかるといけないので、板戸を開けたときと同様に静かに閉めた。
灯りを拾って、戸締りに戻ろうとして、はっと思いあたって息をのんだ。この灯りが漏れなかったはずがない。ということは、お内儀さんは気づいてたんだ、あの、振り返ったときどころか、お紀有がそっと戸を開けたときにもう。誰が見ていたかも、きっとわかったに違いない。いやな汗を背中に感じながら、なんとか戸締りの続きに戻った。
あくる日、まだ薄暗い中、お紀有が戸開けをして、振り返ると八重が立っていた。にっこり笑って、
「いつも精が出て、ご苦労だね」
と言ってなにかを握らせた。紙に包んだ小銭のようだった。返そうとする手を押しとどめて、「駄菓子でもお買い」と、さっさと歩いていってしまった。
こんな朝早くに起きる人ではないから、待ち構えていたに違いない。昨日の晩のことは黙っていろということか。




