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色吉捕物帖  作者: 真蛸
うら金貸しとご落胤
31/59

 色吉がお兼ばあさんの家を後にして、両国橋を渡ってそのまま土手沿いに柳原通りをぶらぶらと歩いていると、手拭いを頬被りした見るからに怪しい男が前を行くのに気が付いた。見ているうちに、男が目に留まったのは、風体のせいだけではないということに思い至った。その歩き方に見覚えがあったのだ。

 ――はて、あいつはついさっき名前の出た大工の弥吉ではないか。

 そう思って見るとますますそう思えてくる。色吉はそいつの後をつけはじめた。

 するとやはり、怪しい男は平間屋敷の方に向かっていく。そして案の定、屋敷の裏門から周りを気にしながら入っていった。

 周囲を気にするなら歩いてるときだ、最後だけ周りを見てもあんまり効果はないぜ、と呟きながら、しばらくその辺をうろついていたが、当分の間は誰も出てきまいと踏んで、色吉は八丁堀の羽生邸に向かった。途中で下白壁町の太助のところに寄って、手下をひとり借りた。

「おいらがいってやろうか」

 太助はそう言ったが、色吉は断った。

「いや、与太郎親分じきじきに出張ってもらうほどのことでもねえ。ひとり都合してもらえりゃたくさんだ。ありがとうよ、感謝するぜ」

「そうかい、おいらがじきじきに出張るほどもねえか、はっはっは。まあ与太郎じゃなくて与太助だけどな」

「与太助でもなくて太助だけどな」手下の卒太がぼそりと言った。

 色吉としては、与太助が出てきて話がややこしくなっても困るのだ。

 卒太には平間屋敷の見張りにいってもらった。

 歩兵衛に弥吉と兼の件を報告したのち、また平間屋敷に戻った。裏口に通じる通りに卒太がいたので話しかける。

「ご苦労さん、その後どうだい」

「おう、商売もんばっかりで、怪しいもんの出入りはねえぜ」

 それから卒太にはそのまま裏口の見張りを続けてもらい、色吉は表門を見ることにした。

 夜の四ツ半過ぎに、卒太がやって来て、

「頬被りの野郎が出て来たぜ」

 と言う。そこで二人して急いで裏に廻り、あとをつけた。月は十二夜で明かりは充分だった。

 どうも朝方の道を逆に向かうようだと見当をつけ、卒太に羽生の旦那を呼んで来るよう言った。化け物が出てくるとは思わなかったが、変な胸騒ぎがしたのだ。

 案の定頬被りの弥吉は、両国橋を渡ってそのまま歩き続けた。しかし兼の長屋には近寄りもせず、田んぼばかりの寂しい方へと進んでいくのだった。そして田んぼの中にぽつんと建つ屋敷の裏に廻っていった。

 見ていると、裏口の木戸を簡単に開けて入っていく。「へえ、さすがに大工だな」と色吉は変な感心をしたが、すぐに「いけねえいけねえ」と、そっと近寄って門から顔を覗かせた。弥吉は建物の陰にでもいるのか姿が見えなかった。

 自分も入っていこうか迷っているうちに、ぱちぱちともののはぜる音が聞こえ、焦げ臭い臭いが漂ってきた。

 ――野郎、火を付けやがったのか。

 思ったところに弥吉が駆けてきたので、門の前に立ちふさがった。

「おう、ふざけた真似してくれたな」

 頬被りの下で驚愕の表情を浮かべたのは、顔が腫れあがって酷い面相には変わり果てていたものの、確かに弥吉であった。よほど驚きが大きかったのか、色吉が「神妙にしやがれ」と言いながら捕り縄を取り出すと、抵抗するでもなくその場にへたりこんでしまった。

 弥吉を縛っていると、喉に冷やりとするものが押し付けられた。

「おう、親分、せっかくふん縛ったところを悪いが、ほどいてくんな」

 また匕首か。こないだからどうも、よっぽど前世の因業が深いんだろか。色吉は観念して言われた通りほどき始めた。

「へっへっへっ、それでいいぜ」

 自由になった弥吉が色吉の背後で匕首をかざしている男を見て、

「十郎さん、ありがとうごぜえやす。助かりやしたぜ」と言った。

「馬鹿野郎、名前を呼ぶんじゃねえ」

 だしぬけに名を呼ばれて焦ったのか、このとき十郎が回していた匕首を持った腕と色吉の体の間に隙間ができた。

 そこに手を入れながら頭を思い切り後ろに反らし十郎の鼻を潰すと、匕首を持った腕を脇で抱えこんで捻じあげた。と同時に前に突っ立っていた弥吉の腹を蹴り上げて反撃を封じておく。腕を締め上げると、十郎が悲鳴をあげて匕首を離した。腕を抱えたまま十郎の後ろに廻り、そこでさらに手を捻りあげた。たまらず十郎が「痛え、か、勘弁してくれ」と呻きながら両膝をつくと、背中にのし掛かるようにしてそのまま地面に抑え込んだ。

 十郎を縛り上げ、蹲っていた弥吉も再び縛り上げて、ふと振り返ると羽生多大有が立っていた。

「うわっ、旦那、驚かさないでおくんなさい」

 羽生は当然のようにそれを無視して首を燃えている屋敷の方へ向けた。そういえばかなり火が大きくなり、臥烟や野次馬も集まってきているようだ。熱気も強くなっている。

 ――念のためにどんな様子か見に行くか。しかしこいつらをどうするか……

 足も縛って転がしておいたとしても逃げられちまうのではないかと心配だ。と見ると、二人とも木に縛りつけられていた。

「旦那、あんまり早回しをやると発条が切れちまって、あとで大変なんで自重しておくんなさい」

 いちおう釘を刺しながら、表に向かって歩き出していた羽生を追いかけた。屋敷の外を廻って表門から中に入ると、臥烟が何人か遠巻きに火事を眺めていたが、そんななかで臥烟の頭領がなにやら騒ぐ女を引きずってさがってきた。見ると金貸しのお兼ばあさんだ。子供が中にいると言っている。

「なんだって、お兼さん、なんであんたがそんなこと知ってる」

 色吉が訊くと、兼の孫が中にいると言う。色吉の問いの答えにはなっていないが、兼の真剣な顔を見ると真実であると感じた。振り返って羽生に話しかけた。

「旦那、どうしたもんで――」

 が、いまいたところに、もういなかった。「あれっ、いねえ」

 そのとき、バンと何かが弾ける大きな音がした。再び屋敷の方に目をやると、玄関の戸が無くなっていた。と思う間もなく屋敷が崩れ始めた。兼の悲鳴が聞こえ、すぐ静かになった。見ると、気絶したようで、臥烟の親方が支えていた。崩れたときに煽られた熱気が押し寄せてきて、とてもこの場所にはいられないので、親方を手伝って、二人で兼を抱えて門の外に出た。


 パチパチと火の中で何かがはぜるような音で目を覚ました。同時に、ものの焦げる臭いを嗅いだ。火はまだ見えなかったが、夜中なのに夕焼けのなかのように部屋全体がぼうと浮かびあがっているのを見て、火事だと思った。飛び起きて襖を開けたところ、煙と熱気に包まれた。すぐに閉めた。手拭いに枕もとの水差しの水をかけて、鼻と口を覆った。部屋の反対側の、二階への梯子を登った。

 若君はまだ寝床にいた。眠っているようだ。煙の臭いが微かに漂っているが、火はまだ昇ってきていない。しかしすぐに火が回るであろうことは、文字通り火を見るよりも明らかだった。

「千代之介殿」

 と呼びかけながら牢の格子を揺すぶってみたが、びくとも動かない。その間にみるみる辺りが熱気に包まれていくのがわかった。煙も今やそれとわかるほどに棚引き始めた。

「千代……」

 また呼ぼうとして止めた。目を覚まして苦しみながら死ぬよりも、眠ったままそっと息を引き取ったほうが幸せかもしれないと考えたのだ。

 もうだいぶ火も廻って、あたりが明るく見え、熱気に包まれて息も苦しくなってきた。外ではどうやら野次馬も集まってきたようで、ざわめきやら悲鳴やらが微かに聞こえてくるのだった。

 いよいよ二階にも火が回り始めた。また格子の柱を揺すってみたが、やはりびくともしない。牢は二階部分の三十畳のうち六畳を占めるが、広間の真ん中にあるので周りの火が押し寄せて来るにはまだわずかに間がありそうだ。しかしもはやここから脱出することは望めそうにない。桐生松之進は、若君を守れなかった責任を感じ、切腹しようと考えた。

 姿勢を正すためにまず立ち上がったが、これがまずかった。上のほうに既に充満していた煙をまともに吸い込んでしまい、激しく咳き込んだ。止めようにも止まらない。桐生はへたり込み、涙を流して咳き込み続けた。

 火の明るさがあったとはいえ、夜のことであるし、真っ黒な煙も漂っていた。さらに涙で目がかすんでいたので、それをよく見ることはできなかったが、そのときなにかが梯子穴から飛び出してきた。最初炎が噴き上げたのかと思い、実際それに続いて火柱が立ったのだが、驚いたことにそれは人のようだった。

 上は羽織で下は袴なしのなりは町方同心のように見えたが、なにしろ立ち止まったのはほんの一瞬で、格子柱をまるでみすのごとくわきに払いのけると、座敷牢のなかに入って若君を布団ごと抱えあげすぐに出てきて、咳も忘れて呆気に取られていた桐生に向かってきたと思ったとたんにすっと体が浮かびあがる感覚があってそのまま風に乗ったように運ばれたが、この間の早いのなんの、これは桐生がのちになって思い出したことで、そのときはいつの間にか、屋敷から一町ばかり離れた河原で涼しい風に吹かれていた、というあんばいである。若君も相変わらず布団の中で寝ている。ここまで二人を運んでくれたらしき同心は見当たらなかった。


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