七
早朝。教えられた屋敷を下見に来てみると、田んぼの中に一軒だけ建っていて、またほど近いところに川が流れており、延焼の心配はなさそうだった。裏口からそっと入り込んで、小さな屋敷の周りをひと回りすると、どこに油を撒いてどこで火をつければ焼き尽くすことができるかすぐに見当がついた。
用心しながら裏門を出ると、腫れ上がった顔を手拭いで隠すように頬被りして、弥吉は足早にそこをあとにした。
若い男がぶらりと入ってきた。
「ごめんよ」
兼は険しい顔をあげたが、入ってきた男を見ると安堵した顔になった。
「ああ、色吉親分かい」
名前の通りの色男なので、着流しにしているといっぱしの遊び人のように見えるが、中身はたいへんな堅物だということを兼は知っている。
「子分もねえのに親分てのはおかしいけどな。ところで今、医者の石堂先生が出てきたようだが、病気でもしたのかと――」
と、そこで布団に寝ている女に気付いて、「――思ったが、どうやら違ったようだな。その人は誰だい」
「ちょいとわけがあってね」
「へえ。わけね」
色吉はそう言ったきり、黙って三和土に立ったままだ。兼は少し迷ったふうだが、しばしの沈黙ののち話し始めた。
「お幹さんていうんだ。弥吉っていう大工の女房なんだけどね、亭主がろくに面倒をみないんで、見かねて連れてきたんだよ」
「大工の弥吉――あいつか。そういや昨日、真っ昼間から平間屋敷の中間部屋に入ってくのを見たぜ。ありゃ博打だな」
そのちょっと前に兼の部屋に押し入ったことは伏せておく。
「平間様のところで博打をやってるのかい」
兼の顔色が変わった。
「ああ、おれも通りがかっただけで、入ってくのを見届けたわけじゃあねえが、部屋の前で中間と立ち話してるのを見かけたんでね」
兼は、平間屋敷に賭場があるのかという意味で訊いたのだが、どうやらそれは本当らしいということがわかったので、それ以上問い直すのはやめた。
「それで、病人の具合はどうだい」
「ああ、おかげさんで、なんとかなりそうだよ。食べるものさえ食べときゃ、大したことはなかったみたいだからね」ここで声を低くして、「病気っていうより、飢え死にしかかってた、ってとこなんだ」
「ひどいな。まあ、お大事にな」
色吉が帰ると、幹の寝顔を見ながら今の話を思い返した。
平間といえば、まさに娘の輿入れ先、孫が現在、その抱屋敷にいるはずだ。もっとも先日初めて会い、言葉を交わしただけで、それ以来門は閉ざされたままなので、今もいるかはわからない。
その平間の上屋敷に賭場が立っており、弥吉が通っているようだ。嫌な偶然だ。何か良くないことがなければよいが。
気になったので、午過ぎに弥吉の家を訪ねてみたが、兼が幹を連れて出てから、戻ってはいないようであった。
兼は飯を炊いていた。向こうの部屋で、孫が手習本を読み上げているのが聞こえてくる。
「はい、よくできました」
お幹の声だ。そうだった、孫はお幹によくなついて、お幹も読み書きできるので、孫に手習いさせているんだった。
どれ、ちょっと様子でも、と台所を出ると、長い廊下を歩きだした。しかし、読み上げの声は近くに聞こえているのに、廊下は曲がったり長く続いたりしているなかで、両側が壁で、部屋がない。
そのとき、ものの焦げるにおいを嗅いだ。しまった、火をかけたままだった。慌てて戻ろうとしたら、孫の悲鳴が響いた。と思ったらすぐ目の前にいたが、目玉がなく、がらんどうになった目と開いた口から煙が噴き出していた。半鐘が遠くで鳴り始めた。
そこで目が覚めたが、半鐘はまだ鳴っている。微かだが、煙の臭いもする。
表に出ると、夜中なのに向こうの空が赤かった。孫の屋敷の方角だ、と気付く間もなく、兼は駆け出していた。
屋敷に着くと、やはり燃えているのは孫の住む抱屋敷だった。回りが田んぼで、延焼の心配がないせいか、野次馬たちものんびりと見物している。
門が開いていたので中に入ると、火消人夫が何人か屋敷を遠巻きにしていた。お兼ばあさんが玄関に向かっていくと、臥烟の一人に止められた。
「どこに行く。もう火が回ってるぞ」
「孫が……いや、まだ小さい子供が中に。助けなけりゃあ」
「もう無理だよ。火が回ってるってのに」
そういえば、玄関から五間は離れているのに、熱気が顔を焼くようだ。
兼は臥烟にひきずられるようにして門のところまで下がらされた。
「離しとくれよ。まだ子供が中にいるんだ」
「なんだって、お兼さん、なんであんたがそんなこと知ってる」
違う声が訊いてきた。
「そいつはあたしの孫なんだよ」
今問い掛けてきた方を見ると、いつのまにか色吉が立っていた。
「ああ、親分、助けておくれよ。あたしの孫なんだよ」
理屈にはなっていないが、兼の様子にただならぬものを感じたのか、色吉は
振り返って誰かに話しかけた。
「旦那、どうしたもんで――」
しかしそこには誰もいなかった。




