六
孫の住む屋敷の前は毎日通った。もと百姓地の抱屋敷で、周りは田んぼが広がっている。通る度にもしや出てきはしないかと心持ちゆっくりと歩くのだが、いつも屋敷は閉めたてられ、本当に人が住んでいるのかも怪しまれるほどだった。一年ほど経ち、いまや単に習慣でその前を歩いているときのことだ。
うしろで子供の笑い声がしたので振り返って見ると、四つ位の男の子が、門の前を走り回っている。着ている服は立派なものだったが、なぜか裸足だった。と、兼の見ている前で、どたりと転んだ。思わず駆け寄って助け起こしたところ、子供は感心にも泣きもせず、
「ああ、ありがとう、おばちゃん」とニコニコ笑いながら礼を言う。
「どういたしまして。この辺りの子なんですかい」
「はい、そこの……」
と、抱屋敷の方を向いた。やはり……と思ったところに、声が降ってきた。
「あれ、すみません。お世話になって。坊、駄目でしょう、勝手に門を出ては」
兼には笑いかけ、子供には鬼の形相で、太った三十位の女が奪うように門の中に連れていってしまった。女の声がしたとたん、子供の顔がたちまち曇っていくのを兼は見た。
「あの、もし……」
立ち去る女の後ろ姿に声をかけたが、女は子供をひきずるように玄関の奥に消えていった。
しかしついに孫の姿を見た、それどころか少しではあったが話もした、いい子だった、小さいながらきちんとした威厳もすでに備えていた。兼はその日はずっと頭の中でその光景を反芻していた。夜もよく眠れなかった。
その翌日からは、屋敷の前を通ることがこころもち増えたが、門も閉め切られ、人の気配もないのだった。
千代之介は退屈していた。この江戸屋敷に移ってから一年、来る日も来る日も引き籠って、教育係の爺の顔を見続けた。最初に江戸に出ると聞いたときは、これで地方屋敷に閉じ籠った暮らしを離れられると喜んだものだったが、江戸の屋敷といっても千代之介が置かれたのは正式なものではなく、かなり狭い抱屋敷だった。これでは広い田舎の屋敷のほうがましであった。
仮に爺に、「爺、退屈である」と言ってみても、「辛抱なされ」と返ってくるだけだ。
この前、隙をついて表に出てみた。親切そうなお婆さんと少し話したが、すぐに世話役のお米に捕まって連れ戻されてしまった。お米は世話役というより見張り役ではないかと思っていたが、どうやら本当にそうらしいということがわかった。
だいたい、お米は昔から見えないところで千代之介を叩いたりつねったりで意地が悪かった。こちらに来てから爺しかいないのをよいことに、ますます粗暴になっていた。
表に出たのをとがめられた一件以来、ますます見張りが厳しくなって、表門は厳重に閉めきられ、お米が家をあけるときは座敷牢に閉じ込められるようになった。座敷牢は屋根裏にあり、鍵は爺も持っておらず、お米しか持っていないのであった。
爺にうったえても、よくわからないがなんだかお米の方が立場が強いらしく、「耐えてくだされ」と言うだけだった。そしてこのところ、お米の出掛けが多くなり、千代之介はほとんど一日中牢に入れられているようなものだった。
教育役として千代之介に付いて江戸に参上した爺こと久保江藩平間家重臣桐生松之進は迷っていた。
このような不自由な環境にいるよりも、いっそ逐電して野に下ってしまったほうが、若君にとって幸せなのではないか。座敷牢に閉じ込められ、いまや家のなかすら自由に歩き回ることのできない若君を見ながら考える。
そもそも江戸屋敷といっても上屋敷ではもちろんなく、下屋敷ですらない田んぼのなかの抱屋敷に押し込められ、表に出ることすらままならない今の境遇に追いやられたのも、なにやら怪しい魂胆があってのことのように思われる。
そもそもを言い出すならば、千代之介が腹違いの兄、君之介よりもはるかに利発であったことから始まるのかもしれない。どちらも側室の子ということで、長次の意識が薄かったこともあるのだろう、跡継ぎには次男の千代之介を、という一派が当然のごとく現れた。藩の行く末を真剣に考えていた者も中にはあったが、多くは出世の道を外れた者達で、逆転を狙って千代之介を担ぎあげたのであった。
神輿にされた千代之介こそ実はいい迷惑で、藩内の主流である長兄派に疎まれるようになってしまった。これは逆に、君之介派がそれだけ千代之介に脅威を覚えていたことを示していたが、保護者たる母を既に亡くしている若君にとって実に居心地の悪いことであった。
そしてとうとう一年前に、藩を離れての江戸暮らしが命じられてしまった。これは勿論長兄派の工作によるもので、領地内では千代之介派の藩の者達のみならず領民達の目もあって何かと良からぬことを企むのもやりづらい、そこで物騒な話も日常茶飯事の江戸において千代之介をどうにかしてしまおうという魂胆ではないか、そう松之進は疑っていた。
千代之介を担ぎ上げていた連中もそうなると情けないもので、世話役として千代之介派のものを付けることすらできず、付いたのは君之介派のお米と桐生松之進であった。全く、出世の道が閉ざされるだけのことはある、頼りない奴らだと、桐生も呆れたものだった。
桐生は君之介派であると目されてはいたが、一部の――例えばお米のような――熱狂的長兄派とは異なり、跡継ぎはどちらかと問われれば、順番からいって君之介が筋である、と答える程度の、どちらかといえば中立派にむしろ近い立場であり、してみるとこれが千代之介派の精一杯の差し金であったかもしれない。
千代之介らが住む屋敷は、一棟建てのこぢんまりとしたもので、その割りに屋根裏に妙に立派な座敷牢が備えられているところは、千代之介を江戸にやる目的で急遽建てたものではないかと疑われた。
さて、立場的にはどちらかといえば兄派であった桐生松之進も、この一年のあいだ一緒に暮らし、その教育係として接しているうちに、すっかり千代之介に魅了されていた。利発で年齢の割りに冷めたところがありながら子供らしい腕白や無邪気さも残して、時として桐生をやり込めたりもする。その一方で爺、爺とよくなついて頼りにしてくる様は、ほんとうに可愛いと思ってしまう。もちろんこれは秘めたる思いで、ほかに洩らすわけにはいかないが。その反動からか、若君に接する桐生の態度はひどく無愛想で素っ気ないものになってしまうのだった。
ところで桐生にとってこのごろ気になるのがお米の様子である。このまえ、千代之介が屋敷の外に出たからといって、なんと若君を座敷牢に閉じ込めてしまったのだ。確かに若君を屋敷外に出してはならないというお達しは国元からあったものの、さすがに座敷牢は桐生も反対したのだが、お米は聞きいれなかった。藩の意向であるから、と強硬に言われれば、桐生としても逆らうことができない。国元からお米に従うべしと言い渡されてあったのだ。
桐生は格子の外から学問の手ほどきをした。牢は柱がみっしりと立ち並ぶ柱格子で、その一本一本は、千代之介が抱えるように腕を廻して、やっと届くくらい太かった。狭い屋敷とはいえ、さらにその一室に幽閉されてみると、自由に動き回ることの有り難さがよくわかった、などと言い、しきりに退屈だと嘆かれた。桐生には、我慢するようにとしか言えなかった。
お米は千代之介が自由に動き回れないことに安心したのか、日中留守がちになった。朝と夕、飯を運んでくるだけで、千代之介の世話などやかない。もっとも若君の方でもそのようなものは望んではいないが。そして今日は、夕飯を終えると夜だというのに出掛けてしまった。




