四
江戸に来て、孫のいる屋敷に近く、家賃の安い長屋に潜り込んだ。町の中心からはかなり遠い、ほとんど亀戸村ではないかという場所だった。
しばらくはまた行商をして周りを伺った。六月ほどすると、行商のお兼ばあさんが金を安い利子で貸すと、大きな声では言えない評判になっていた。
江戸においても、博打のために借金するものばかりなのには驚いた。田舎と違って、楽しい遊びがたくさんあると思っていたのだが、考えてみればそういう遊び方を知っているようなものは金の遣い方も知っているのだ。
ある日の早朝、弥吉という大工の家に取り立てに行った。どんどんと戸を叩き、
「弥吉さん、弥吉さん」
と、だんだんと声を張り上げていった。
「はい、ただいま……」
かぼそい声がして、戸が開いた。顔色の酷く悪い女が立っていた。弥吉に女房がいるとは知らなかったのでちょっとあっけにとられたが、
「弥吉さんはもうお出かけかい?」
と聞いてみた。
「はあ、あの、どういったご用件でしょうか」
「弥吉さんに貸したものを返してもらいに来たんだよ」
女は目を見開いて驚きをあらわにしたが、
「お入りください」
と自分は奥に引っ込んだ。
狭い部屋をぼろぼろの衝立で仕切ってあったので、ほとんど場所がなかった。女と顔を付き合わせるように座って話を聞いた。
「あのう……弥吉がお金を借りているのでしょうか」
「ああ、そうだよ」
「いくらでしょうか」
「ざっと三分ほどになるね」
「そんなに」
このとき女が倒れかかってきた。近かったので兼が受け止める格好になった。
「あんた、すごい熱じゃないか」
衝立の向こうを覗くと布団が敷きっぱなしだ。薄っぺらいそれに女を寝かすと、苦しい息の下から礼を言ってきた。なぜか腹が立ってきて、きつい口調になった。
「病気なら無理して出て来なくていいんだよ」
と、自分がしつこく戸を叩いたことを棚にあげて言った。手拭いを近くの井戸で濡らしてきて、頭に乗せてやった。
「すみません、お金を返さない上に面倒まで見て頂いて」
「行き掛かりだ、仕方ないね」
昼過ぎにまた兼がやって来た。
「ああ、だいぶ顔色が良くなったね。そのまま寝てなって。起きなくていいよ」
そして弥吉の女房の額の手拭いを代え、火をおこして鍋をかけた。
「なにをなさってるんですか」
「まあおとなしく待ってな。ところで名前を聞いてなかったね」
兼は自分の名を名乗り、弥吉の女房が幹という名だと知った。しばらくすると粥ができた。遠慮する幹に、あんたが食べないならばこれは捨てることになる、と言った。食べながら幹は涙を流した。
「泣きながら食べると味がわからないよ」
「こんなにおいしいものを頂くのは久しぶり、いえ、初めてです」
「じゃあもったいないから泣かないで食べなよ。あたしが居たんじゃ落ち着かないだろうからもういくよ」
「待ってください。なにかご用がないのなら居てください」
食べながら幹は自分の境遇について話した。弥吉は昔は腕のいい大工だったが、いつからか博打に狂い始めてからは親方にも腕が落ちたと文句を言われるようになった。幹が胸の病に倒れると、最初のうちこそ博打を止めて仕事に精を出していたが、そのうちにまた賭場通いをはじめた。以前はなかった借金までするようになった。
「あきれたもんだ。ただでさえお医者や薬代がかかるってえのに、そのうえ博打まで打ってたんじゃあ借金もかさむってもんだ」
実は今日も、朝から出かけたわけではなく、昨日の夕方に出ていったきりまだ戻っていないという。ちょうどそういう話をしたときに、戸ががらりと開いた。
「けえったぜ」
と、そこに自分を見ている兼を見つけて、弥吉はややひるんだ。徹夜明けの、どす黒い顔色をしていた。
「どこにいってたんだい」
「なっなんでい、あんたにゃ関係ないだろう」
「そう言うなら金を全部返しな。そのために待ってたんだから」
「……すまねえが、今はねえ。こっちから持ってくから今日は帰ってくんな」
自分の家であることに初めて気がついて、弥吉は部屋にあがった。
「賭場から今頃お帰りか。朝帰りどころか昼帰りだね。病気の女房を放っておいて」
「やかましいや。あんたにゃ関係ねえと言ったろう」
「あんたが金を返さないから取りに来たんだ。そうしたらお幹さんが倒れちまった。関係ないなんて言い種はないだろう」
「なに、倒れたのか」
弥吉は兼を無視して幹に聞いた。
「ええ、本当にお世話になって。ご飯までこの通り作っていただいて……」それまで言い争う二人をおろおろと見ていた幹が、取り成すように言った。「それなのにお前さんときたら博打に行ったきりで、やっと帰って来たと思ったら、世話してくれたお兼さんにひどいことを……」
「なんでえ、おめえまで。すっかり婆アに毒されやがって。だいたい、おれはお前のために稼ごうとしてるってのに、それをまるで悪いことみてえに言いやがって」
「そういうのは稼ぐとは言わないんだ。お金なら働いて稼ぎな」
「うるせえ婆さんだ。金なら明日返すから今日のところは帰ってくれ」
「ふん、お幹さんに免じて今日は帰るけど、また来るからね」
「へんっ、二度と来るな」
兼が出ていってから小声で言った。
「あんた、お兼さんのことを……」
「うるせえうるせえ、おれがこんなにもおめえのことを思ってやってるってのに、なんであんな業突く張りを庇うんだ。偉そうなお為ごかしを抜かしやがって」
「だって……」
「黙れ黙れ、うまく一発当てりゃあ、薬代の心配もいらなくなるし、おめえにも楽さしてやれるってんで懸命にやってるってのによ。全部おめえのためだってのに何で文句ばっかり言いやがるのかね。旦那の心、女房知らずたあこのことだ。ああ、おれは不幸だ」
予想通り、翌日になっても弥吉は来なかった。兼が出かけてみると、やはり弥吉はおらず、幹が独り残っていた。起きあがろうとするのをとめて、兼は言った。
「調子が悪いなら寝てなって。いいときなら起きて動いたほうがいいけどね。ところであのロクデナシはやっぱり昨日から出かけたきりかい?」
「ええ……でもロクデナシだなんてそんな……」
「ああ、ロクデナシに悪かったかね。じゃあ穀潰しとでも呼ぶか。あんな穀潰しにゃあ三行半書かさしてやりゃいいんだよ」
「でも、面倒をかけているのは私のほうですから」
「ろくに働きもせずに博打ばっかりやってるから、すごい勢いで借金が増えていってるよ。ただ金を借りるだけのほうがよっぽど借金も少なくて済むよ」
「でもそれも私のためだから……」
「あの馬鹿のいうことを真に受けてるのかい。優しいのはいいけど、お人好しもそこまでいくと、馬鹿と変わらないよ」
「でも……」
「治ったらわたしの手伝いをするって約束で、しばらく面倒をみてやったっていいんだよ」
「そんな、とんでもない。これ以上甘えるわけにはいきません。それに、あの人なしにどうやって暮らせばいいのかわからないし……」
「ああ、じれったいね。とにかくよく考えっときな」
と言って兼は素早く幹の手に何か握らせた。一朱銀貨だったので呆然としてしまい、気がついて返さなくてはと思ったときには兼はとっくに出ていったあとだった。
早足に弥吉の家から遠ざかりながら、兼は考える。幹は優しいということはもちろんあるだろうが、自分でも言っていた通り、独りで暮らしていくことができない女なのだ。世間には自分からわざわざ不幸な方へ向かって進んでいくように見える女がいるが、それは幹のように変化を恐れるあまり、なにも行動を起こさないがために流されてしまい、結果として端からはそう見えるに過ぎないことも多い。ダメさの向きは違うが、弥吉とどっこいのダメさ加減で、結局似合いの夫婦ということかもしれない。
「ふん、勝手にしな」
なぜ幹にああまで親切にしたのか自分でもわからない。だめな奴にいつまでも関わる自分も、だめな奴なのかもしれないね。そう思うと、兼はもうあの夫婦について考えることをやめた。




