二
朝っぱらからドンドンと戸を叩く音がする。いつまでもやまないので弥吉は仕方なくつっかい棒をはずして戸を開けた。お兼ばあさんが立って、不機嫌そうににらんでいる。
「なんでい、こんな朝っぱらから」
「そんな挨拶があるもんかね。偉そうな口は金を返してからききな。昨日が刻限だったじゃあないか」
「ちっ、たかが一日じゃねえか。あとで耳を揃えて返してやらぁ」
「だから偉そうな口は返してからにしなってんだ。それにもし催促しないで利子が増えたらどうせ文句を言うんだろう」
弥吉はやや鼻白んだが、「口の減らねえばばあだ。とにかく今はねえ。昼前までには持ってくから、帰ってくんな」と逆に強気に出た。
「ふん。今日の分の利子もちゃんと入れんだよ」
お兼ばあさんは痛いところを突いて帰っていった。
「くそっ、因業ばばあめ」
そのとき、部屋の真ん中に立てた衝立――というほど上等なものでもないが――の向こうから女房のお幹の呼ぶ声が聞こえた。
「お前さん……」
「おう、起こしちまったか。すまねえな、まったく、あの業突く張りの……」
弥吉は枕元に座りながら言った。
「お兼さんのことを悪く言うのはやめとくんなさい。いい人じゃないですか」
「へっ……」
しかし弥吉にもそれは判っていた。お兼ばあさんのところの利子はそれは低いものであるし、そもそも臥せっている女房をかかえた貧乏大工の弥吉に金を貸してくれるのはもう他にいないのだ。
「まぁおめえがそう言うなら」
「それでお前さん、返すあてはあるんですか。なければお兼さんにはわたしからでも謝って……」
「ばか、病人の心配することじゃねえ。ちいと早いがもう出かけるぜ」
逃げるように家を出た。もう借りられるところからは借り尽くしている。やはりお兼ばあさんに詫びて、期限をまた延ばしてもらうしかない。弥吉はため息をついた。
兼はそれから十軒、貸した家を廻って、そのうち三件の取り立てに成功した。ちょうど九つの鐘が鳴るころに家に着いた。朝の残りで食事を済ませると、帳簿をつけはじめた。
兼はもとをたどれば、常州で百姓の女房であった。その亭主の米吉は、娘がまだ小さいころに病で死んだ。以来女手ひとつで育ててきた娘の美代が、藩主に側室として迎えいれられるその日、兼は少々複雑だった。美代には婿を取って、平凡な百姓の女房として暮らして欲しかった。しかし一方で、これで飢えの心配はなくなったし、お腹様にでもなれば一生が保障されたようなものだ。そううまくいかなくても、何年かたってお返しになれば、蓄えもできているだろうし、そうなれば婿の来手もあるだろう。
三年目に男の子が生まれた。しかし美代の方が、産後の肥立ちが悪く亡くなってしまった。遣いのものにそれを知らされた兼はしばし茫然としたが、何かを思い出したようにはっとして、
「そ、それで、あの娘の子供は、わしの孫は今どうしているんです」
と訊いた。使いの男はそれを聞いて怒ったように、
「まだ赤子とはいえ殿の血を引くお方だ。無礼を申すな」
と言って立ち去ってしまった。最後まで馬から降りもしなかった。
このときもし、男が子供は無事で城で立派に育てるから心配することはない、といったようなことを言ってくれていたら、それで安心して、それきりになったに違いない。兼はのちになって思う。しかし遣いの男のこの態度で、かえって兼の中に孫に対する執着が生まれた。
兼は田畑を他にゆずって行商を始めた。折折の野菜や果物、もらった人形、道に落ちていた藁紐や石、なんでも売った。なぜこんなものを、と兼自身が不思議に思うようなものがよく売れた。ほんとうは道に落ちているものはお上――ご公儀のものだから勝手に売るのはまかりならない、いやそれどころか持ち去ることすら本来ご法度なのだが、兼にとってはお上とはあの不愛想な遣いのものであり、あんなやつのことなどかまったことではなかった。
朝の六つ前から、暮の六つ頃まで、一日のうちに何度も売りものを変えながら歩いた。食事は夜の一度だけだ。しばらくしてある程度が貯まると、もぐりの金貸しを始めた。米吉が生きていた頃からの蓄えと合わせると、それなりの資金になったのだ。なにより、実家が子供のころは内福で、百姓の娘だったが読み書きそろばんを習わされたおかげで帳簿をつけられたのが大きかった。
始めてみて驚いたのは、世の中には金を返さない人間が多いということだった。借りたとたんにそれをもらったものだと本気で思いこんでいるようだ。返済を迫ると、
「なんで俺がお前に金をやらなきゃいけないんだ」
などと言い出す者ばかりだ。証文を見せても字が読めないなどとさんざん抵抗したあげく、やっと払わせると今度は「くそばばあ」と暴言を浴びせてくる。あきれたことに、そのような者がまた二三日もすると平気な顔で金を借りにくるのである。
また、博打で身を滅ぼすものの多いのにも驚いた。実は内福だった兼の実家も、代替わりによって兄に家督が譲られると、あっというまに没落してしまった。原因は当主となった兄の手慰みで、家も土地も全て取られて、いまでは家族がどこにいるかもわからない。
博打で負けた人間は、負けたことに懲りて博打を辞めるのではなく、それを博打で取り戻そうとする。確かに勝つこともたまにあるのだが、まとめるともちろん負けだ。ところが博打をやる者は、勝ったときのことしか覚えていないのだ。そしてまた負けに行くのである。いや、勝つのはたまのことなので、かえってありがたみが増し、それを味わいにいくのかもしれない。いずれにせよ、兼にはまったく理解できなかった。
だから兼は、博打をやる者からは遠慮なく取りたてた。親兄弟はもちろん、職人ならばその親方筋にも訴えて手当を差し押さえたりした。
もちろん借り手は怒ったが、取りはぐれるよりは遥かにましだ。それにそのときは怒っても、またすぐに借りに来るのだ。兼自身は博打うちにはそもそも貸したくないのだが、ひどく粘る者が多く、結局貸してしまう。そしてまた貸した借りてねえを繰り返すのだ。そうやって嫌味を言われながらも兼に借りるのは、他での借金を返すためなのだろう。そして兼への返済のためにまた他で借りるわけだ。こんな無理がいつまでも続くわけもなく、
借金の膨らんだ博打うちは遅かれ早かれ破滅する。たいていは夜逃げだが、やけを起こして盗みなどして捕まる者もいる。そのときに貸している者は取りはぐれることになるが、不思議に兼がそんな目に会うことはなかった。
娘が死んで三年目に、孫が江戸の屋敷に移されると聞いた。城に出入りする商人や髪結いと普段から仲良くして、付け届けを欠かさず、様子を伺っていたのだ。すぐに兼も江戸に行く支度を始めた。そのとき貸していた金を残らず取り立てたのだ。持ち物はほとんどなく、金を入れた甕を夜中に大八で運び出した。あれだけ軽蔑していた夜逃げを自分がやる羽目になった思いだった。
江戸では孫の屋敷にほど近い長屋のひと部屋を借りた。しかし屋敷といっても三番か四番屋敷くらいで、実際見に行ったがかなり小さいのだった。どうも話の様子ではわずか三つにして跡継ぎ問題のごたごたに巻き込まれているようだ。江戸に移るのは避難の意味もあるようだが、それにしても御付のものが侍……とはいえ六十を越していそうな老人と、恰幅のいい乳母の二人だけとは心細い。兼はかげながら心配していた。




