二
あくる日から色吉は羽生多大有について歩くようになった。北町奉行所に出るとき、また退勤して家路につくとき、それから市中見廻りのときだ。羽生はまったく無口で、色吉はあれ以来ひとことも声を聞いていない。色吉が話しかけても首を縦に振ったり横に振ったりするだけだ。そのうえ、羽生はまったく飯を食わないのだ。午どきには食べている色吉のまえで黙って座っている。もともと早飯のほうだが、ますます早くかき込むようになってしまった。
夜もここしばらくは羽生邸に寝起きしている。控えの間といえども金助町の長屋の部屋よりも広く、眠れるか心配だったが昼間の気疲れからかすぐに前後の境もなく寝入ってしまう日々が続いた。
町を歩くとさすがに羽生はよく目立った。装こそ着流し羽織に紺足袋雪駄の普通の同心であるが、革手甲を着けているうえに顔が磁器製だ。それが滑るように道をゆく。
行き交う人々も初めのうちは奇異の目を見張ったもので、さりげなく、なかには露骨に避けるものも多かった。遠くからじろじろと見るもの、通り過ぎたあとで顔を見合わせてひそひそと話すもの。しかしひと月も経つころには誰も気にするものはいなくなり、色吉も慣れてきたので気疲れはしなくなった。
昼間に疲れなくなったのはよいが、今度は夜よく眠れなくなった。夜中に色吉の寝起きする中間部屋のまえを音もなく通る者の気配に気がついたためである。部屋のまえを通ってしばらくすると裏へ出ていく気配がする。そして色吉がうとうとしだす明け方に、今度は裏から入って来て部屋のまえをさっきとは反対に通り過ぎるのだ。
この家に住むのは、色吉を除くと現当主多大有とその父歩兵衛、四つになる妹と子守り――最初に色吉を案内してくれた娘だ――の四人だが、歩兵衛はあれほど静かに歩けないし、妹はまだ小さい、子守りの留緒は裏口のすぐ横に寝起きしている。こう考えると、曲者は多大有ということになる。
歩兵衛は多大有の動作を「ぎこちがない」と言っていたが、これは色吉の想像と逆の意味でのぎこちなさであった。すなわちぎくしゃく、よたよたとしか動けないと想像したのだがそうではなく、むしろ羽生の動作は滑らかで動きにまったく切れ目がない。歩くところを傍から見るとまるですべっているようなのだ。いったいどこをどう怪我して、どのように回復すればこのような動作が身に付くのか。しかし確かにこのためかえって動作が不自然に、見ようによってはぎこちないように見えるのだった。