七
奉行所まで羽生に供したのち、色吉は羽生邸を訪ねた。今の件を歩兵衛に報告するためだったが、朝に出かけたきりまだ戻っていないという。色吉が「じゃあ晩になったらまた来るぜ」と言って帰ろうとすると、留緒が、
「いくらなんでももうじきお帰りになるだろうから、あがってお茶でも飲んで待ってなよ」
と引き留めてくる。
留緒はここの四つになる娘の子守りだが、家の用事全般も引き受けて、女中奉公のようになっている。客を引き留めるなど、家族同然の態度、ふるまいにも色吉はもう驚くことはなくなった。
「待てなよ」
歩兵衛の娘、多大有の妹にあたる理縫も、回らぬ舌で真似をする。二人ともにこにこと笑って本心から言ってくれているようなので、色吉も待つ気になった。
奥の間で留緒のいれてくれた茶を飲むや飲まずのうちに本当に歩兵衛が帰ってきた。
まずは色吉の話を聞くと歩兵衛は、「黒子もいないのに動く人形か……。世の中には不思議なこともあるものよの」と言った。
歩兵衛の方も、今日は珍しく一日出かけて、三十年前の辻斬り事件についていろいろと調べてきたという。
「御隠居にそんなことさしちゃあ……」
と色吉が言うのを、
「いやいや、わしといえども家に籠もってばかりでは退屈なのでな。それに事件のことを調べるというのは半分口実みたいなもので、昔の仲間を訪ねて懐かしい話に花を咲かせてきたようなものだ。まあ年寄りの道楽だな」
辻斬りの名は人形遣いの玉造といった。歩兵衛の同僚に、その玉造の家族を追跡したものがいた。昨日も言ったように、女房と二人の子供は玉造が死んだ頃にはもう行方知れずになっていたが、その同僚――新村小八兵衛といったが――が川越まで出向いて調べたところ、どうやら玉造の仲間を頼って旅芸人の一座に加わって、どこかへいってしまったとのことだった。小八兵衛の探索は、暇も費用もないのでそれきりとなった。
「小八兵衛が川越にいったのもお上の御用ではなく、休暇を取って自分の持ちでいったのだ。まあこれも道楽だったな」
このとき羽生が奉行所から帰宅して、例によって部屋の隅に座り込んだ。色吉は「おかえりなさいやし」と挨拶だけして、歩兵衛と話を続けた。色吉が帰りの供につかないことはしばしばあるが、多大有はもちろん歩兵衛もうるさいことは言わない。かならず相応の理由があるからだ。
「ひょっとすると、今日見た口上がその二人のうちの一人かも知れやせんね」
「ふむ、なら面白いが、そう都合よくいくかの」
「それが、その辺で聞いたとこじゃ、人形遣いが二人いて、名前が玉太郎、玉次郎、ってんで」
「ほう、人形遣いで名前に玉か。それらしいが、それでも決めつけるわけにはいかん」
「なあに、ふん縛って叩きゃ、白状しやがるでしょう」
「なにを白状するんじゃ?」
「なにって、自分らが玉造の息子だってことでさあ」
「玉造の息子だからといって、今回の辻斬りとはかぎらんじゃろう」
色吉は「うっ」と言って詰まった。しかし、昔の話を持ち出して、さも関連ありなんことを漂わせたのは御隠居のほうではないか。色吉の不平を読み取ったのか、歩兵衛は笑って、
「はは、すまんの、だますようなことをして」と言った。「では仮に、その人形遣いたちが玉造の息子だったとして、もう一つ仮に、今回の辻斬りだったとして、なぜそんなことをするんじゃろうな」
「親父の仇討ちのつもりなんでさあ。だから屋敷町に出没しやがるんでしょう」
「ふむ、一応筋は通るか。しかし人形遣いが刀で侍を倒せるものか。あるいは中間とはいえ何人もを見る間に倒せるものなのかの」
色吉はまた詰まった。実際、昔の玉造は侍にあっさり捕らえられている。辻斬りといえば普通は後ろから襲ったり横手の物陰から飛び出したりの不意討ちが基本であるが、話によるとこの辻斬りはある意味で正々堂々と勝負を挑んでいるようである。人形遣いがそのような腕を持つとはなかなか考えにくいものがあった。
考え込んでしまった色吉に、歩兵衛が言う。
「まあその人形遣いが辻斬りであるにしろないにしろ、やはりこれはその場をおさえるしかないのではないかの」
「へえ」
色吉もうなずいた。
羽生邸を辞したのち、色吉は百人町にいってみた。四ツから半刻ばかりぶらぶらしてみたが、辻斬りにはでくわさなかった。近隣の折助たちが今晩も見廻っていたが、ぶつかりそうになると、別に隠れる必要もなかったが、なんとなく物陰に身を潜めてやり過ごした。




