六
翌日は羽生多大有の市中見廻りに供した。釉薬で輝く磁器製の面、奇妙なまでに滑らかな動作に、最初のころは奇異の目を向けたり、逆に慌てて目を背けたりしていた町の人たちも、近頃はまったく普通に接してくる。接するといっても、往来で相対したときに「旦那……」と腰をかがめながら道を譲ったり、「ご苦労様でございます」と声をかけるくらいのことではあるが。
巡回は順路というものは特に決まっておらず、羽生の気分次第といったところだ。もっとも気分などというものが絡繰人形にあるものなのかどうか、色吉は知らないが。
番所を出てあがっていき、神田のほうへ廻り、浅草のほうまで足を延ばしたのち、戻ってくるのがおおよその道筋だ。両国橋を渡って川向こうを見廻ることもある。しかし今日はいきなり橋の方へ向かったので色吉は不意をつかれた。とはいってもほんの瞬きする間のことで、すぐに従って歩きだした。羽生の足は速い。色吉はほとんど小走りについていく。両国広小路の賑わいを越えて橋を渡ると、そこは向両国の賑わいだ。
いつもは見世物小屋の通りを足早に往復するだけの羽生が、ある店のまえで唐突に直角に折れてそのまま入り口をくぐっていった。色吉もあわてて追いかける。
「おっと、町方の旦那といえども、見料は払っておくんなさいよ」
羽生が小屋番の男に止められたが、色吉はそこに割り込んで料金を払った。多大有がこの調子なので、金子に関しては歩兵衛から多めに預かっているのだ。
木戸をくぐると野天の見世物広場になっている。小屋というのは便宜上そう呼んでいるだけなのだ。二十畳ばかりのござ敷の向こうに一段高くなった舞台があり、そこで侍が剣の型を見せていた。屋根はないが舞台袖は両側にあった。ござ敷は半分ほど埋まっており、羽生と色吉はあいているところに座った。
あらためて舞台に目をやると、色吉は目を見張った。侍と見えたのは、人間ではなく人の大きさをした人形であった。驚いたのは、黒子がいなかったことだ。色吉は昔、南蛮渡来の操り人形というのを見たことがあった。これは上方から糸で人形を吊し、操るというものであったが、ここは吹きさらしで人形の上には空が広がるばかりだ。不思議さを見せるためにわざと野外での出し物をしているのかも知れない。
人形の侍は流れるように演武を見せる。振り下ろし、横になぎ払い、下から斜めにすくいあげる。これに前進と後退の動きが組み合わされて、見えぬ敵と手合わせしているかのようだ。その不思議な動きにしばし見とれ、まさかなかに人間が入っているのじゃないだろうな、と疑いがもたげてきたころ、侍人形は刀を置き、正面を向いて座ると、前に手をついて頭を下げた。見物人たちが喝采する。しかし人形がそのまま動かないので段々静かになっていった。見計らったかのように舞台の袖から男が出てきた。
「さて御見物衆、ただ今妙なる技をご披露したここな人形、手前どもは操り人形と呼んでおりますが、これが妙技の妙技なるがゆえに、中に人が入っているのではないかとお疑いの向きもおられようと思います。どなたかこちらにあがって、本物の人形であることをお確かめくださるまいか。さあ、われこそはと思われん方……」
「おう」色吉がすぐに応じた。「あっしに見してくんな」
言いながら、座っている人の間を縫って飛び跳ねるように舞台にあがった。
「では、あらためてください」
男に言われるまでもなく、色吉は人形を抱え起こした。木でできており、先ほどの軽快な動きが頭にあった色吉にはひどく重く感じられた。首がぐらりと折れて、死体のようだった。服のうえから手を当てると、腕や胴体、脚は丸太で、人間の関節の部分で糸か何かで繋ぎ留めてある。なかに人間が入っていることはこれではまずない。
「こいつはたしかに人形だ」
ほかの見物人にも判るように、苦労して持ち上げて揺さぶってみる。頭と手足をだらりと揺すられたその姿は人形以外の何者でもないと見ていた者たちも納得したようで、また喝采が起こった。
見物客たちが全てひきあげたあと、舞台のうえで先刻の男ともう一人が話している。
「さっきの奴ぁ同心付きの中間か」先刻の舞台の男が言った。
「権造に聞いたが、見廻り同心といっしょに来たらしいぜ」こう答えたもう一人の方は、ひどく小柄で、顔は普段のときでも笑いがこびりついているかのようだ。
「ああ、そいつも見たぞ。妙に生っ白い顔をした、薄気味の悪い奴だった」
「こいつも権造に聞いたんだが、北町の羽生とかいって、顔に怪我をしたとかいって面を着けてるって評判だ」
「ふん、なにか嗅ぎつけやがったかな」
「どうする、兄者」
「べつにどうもしねえ。どうせ町方や手先からすりゃ縄張り違いだ。もし変にちょっかいを出してきやがったら、そんときゃ痛い目みしてやらあ」
「うふふ、そうだな」
どうやら弟らしいほうは、笑いのへばりついた顔をさらにゆがめて、ものすごい形相でひいひい笑っている。
二人の間には人形が端座している。二人が左右にそれぞれ歩きだし、人形からそれぞれ五間ばかり離れたところで妙な舞を舞い始めると、人形もまたぴょこりと立ちあがり、剣を抜いて型の演武を始めた。




