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色吉捕物帖  作者: 真蛸
前口上
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 本郷金助町の岡っ引、色吉が同心羽生歩兵衛の屋敷を訪ねたのは正月の松も取れ、人日じんじつの節句も明けた八日のことであった。二日の年礼の際に、与力山方左近より命じられてのことであり、羽生歩兵衛との直接の面識はこれまでになかった。色吉は明けて二十二、顔立ちの整った、さっぱりとした青年である。

 裏口から訪ねると、十三、四の娘が出てきて、名を告げると思い当たる様子で、表に回れと言う。

「とんでもねえ、あっしはここで結構だ」

 色吉が遠慮していると、奥から五十過ぎ、いやむしろ六十に近いのではないかという武家が出てきて、「なに、ならば構わないからここからお上がりなさい」と言った。

 気安い人であるとは聞いていたが、これが歩兵衛だった。顔付きはいかめしいのに、笑うとまさに破顔というのにぴったりの、親しみの持てる顔になる。色吉は却って恐縮しながら奥の間に通された。歩兵衛と相対して座ったとき、先程の娘が茶を運んできた。歩兵衛の妻は何年か前に亡くなっているという話は色吉も聞いている。

 歩兵衛は向き合うと改めて、「おぬしが色吉殿か。いや立派、立派」と喜んで、色吉をますます恐縮させた。

「わしも長いこと北の番所に勤めてきた。ここしばらくは神田下白壁町の簾蔵にともを頼んできたのだが、このたび跡目を息子の太助に譲って自分は隠居したいと言ってきた」

 色吉はこれは知っていた。歩兵衛を訪ねるよう申し付けられたのち、だいたいのところを当たっていたのだ。そしてこの太助というのが、陰では「与太助」と仇名されるほどの、箸にも棒にもかからぬ遊び人で、同心の供どころか岡っ引の御用もまともに勤まりそうもないということまで聞き及んでいた。そこで、これからは色吉に中間ちゅうげん代わりの供を申し付かるのではないか、と予想していた。

「実を申せば、隠居についてはわしもこのところ考えていた。そこでこれを機会に、わしのほうも跡目を倅に譲り、隠居することに決めた」

 色吉は表には出さなかったが、内心では大いに驚いた。同心の役は一代限りで、本来跡目を譲ったり継いだりするものではないが、実態としては家督のようなものとなっているので、驚いたのはそこではない。色吉の聞いたところでは、歩兵衛にはまだ幼い娘がいるばかりで息子などいないはずである。最近養子を取ったという話もない。いや正しくは息子はいたのだが、もうずっと以前に亡くなっているという話だった。

「そこで色吉殿に倅の供を願いたいのだが。これも太助に申し付けるのが本筋というものだが、主従そろって物慣れぬではいろいろ不都合もあろう。その点、色吉殿は年は若いが御用にかけては評判の腕利きだ。なんとか、引き受けてもらえぬだろうか」

 色吉は迷った。予想していた歩兵衛の供ならば引き受けるつもりでいたのだが、いないはずの息子の供とは……。本人がここに顔を出さないのも気になるところだ。

 歩兵衛は頼みごとをしているのにもかかわらず頭をさげもせず、ふんぞりかえっている。しかし色吉はそれを逆に好ましく思った。さげられると、断りづらくなる。これまでの評判を併せると、歩兵衛は信頼していい人物のようだ。

 色吉は畳に手をついた。

「へえ、お世話になります」

「おお、引き受けてもらえるか、いやこれはありがとう」

 と、歩兵衛は今度は頭をさげた。

「さて、倅は――名前を多大有ただあるというが――十年ほど以前にある事故で怪我を負い、これまで長きに渡って伏せってきたのだ。今では快癒して、これなら同心の御用も勤まろうというところまではきておるのだが、動作はまだぎこちないところがある。また、傷ついた顔を取り繕うために面を着けている。声も出ぬことはないがなにしろ聞きづらい。これらを含んで、驚かぬよう心置き願いたい」

「心得ました」

 色吉がこう答えたと同時に、障子が音もなく開き、音もなく六尺豊かな同心姿の侍が入ってきた。

「多大有じゃ」

 と言う歩兵衛の紹介の言葉とともに歩兵衛の横、色吉の斜め前に腰をおろし滑らかな動作で頭をさげる。色吉も慌てて頭をさげかえした。

「二人とも頭をあげられよ」

 そう言われて頭をあげて多大有と向き合った色吉は、あらかじめ驚くなと言われてはいたがやはり驚いた。まずその顔であるが、面を着けているということであったがその面は磁器製らしく釉薬ゆうやくでつやつやと輝いている。当然かもしれないが人の顔を型取っており、表情はむろん無いが見方によって薄く笑っているように映る。両目部分と口の部分は細い切り込みになっていて奥は暗くなっていて見えない。不思議なのは面と本物の顔の境目がないことで、髪も磁器製の鬢から生えており、すなわち頭部全体が作り物のようであった。さらに袖口からのぞく手は両方とも黒く、よく見ると革手甲てっこうを装着しているのだった。

 色吉が呆気にとられていると、「よーろーしーくーたーのーむー」と聞きようによっては受け取れる音がした。

 多大有が発したようだったが、その籠った声はまるで地獄の底から響いてくるかのようで、色吉をぞっとさせた。

「怪我のため、声を出しづらいようなのだ。そこでめったに話すことがないが、斟酌してやってくれ」

 歩兵衛が横から注釈した。

「へい、合点です」

 とは答えたものの内心、供を引き受けたのは早まったかなと色吉は後悔し始めた。


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