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王女の留学

 私の名は、レンディーデ・ネスフェリカ。

 ネスフェリカ王国の第一王女だ。

 だからみんなが私にかしずいた。喉が渇く前に飲み物を用意されたし、お腹が空く前に食べ物が差し出された。

 着るものだって、公の場で着るもの以外は好きなものを好きなだけ用意させた。用意させたところで着る事は稀だったけれど。

 私の周りの連中はいつも笑顔で言いつけを聞き、私の言った事は必ず叶えた。

 でもいくら笑顔を見せていたって、どうせ裏では私を馬鹿にしているに違いない。

 わがままな王女様に付き合わされてうんざりだとか、王女でなければ殺してやるとか、きっと言ってるに決まっている。

 その証拠に、彼らの笑顔はいつも冷たかった。

 あんた達に何がわかる。

 私だって好きで王家に生まれて来た訳じゃない。

 他の同年代の女の子みたいに普通に学校へ行って、先生にもクラスメイトにも特別視されない生活を送りたかった。

 王女だってだけで何もできない。自由なんか何もない。

 どれだけ欲しいと言ったものに囲まれたって、どれだけ贅沢な暮らしをしていたって、心を許せる友人1人作る事はできなかった。

 かろうじて行かせてもらった祖国の貴族学校だって、私に話しかけて来る子はいつも他人行儀で、貼り付けたような笑顔だった。

 みんな私が王女だから、腫れ物を扱うようにしか接して来ない。そりゃそうでしょうよ。私のお父様は王様よ。私に何かしたら、家族がどうなるか。

 学校のみんなも、王宮のみんなも、私に接する時は同じ顔だった。

 みんな「これは仕事だから」という顔をしていた。

 みんな「私」が大事なんじゃない。「王女」が大事なんだ。

 私が王女だから、何を言っても何をしても、引きつって無理矢理笑う。どんなわがままだって仰せのままにと従う。

 そのくせ朝から晩まで一挙手一投足全部チェックして、あれはダメこれもダメ、これをしなさいあれをしなさいと指示ばかり。王家に恥ずかしくないようお勉強しなさいとか、王女に相応しい振る舞いを身につけなさいとか、もうたくさん。

 王家、王家、王家。その言葉を耳にするたびに私がどんな思いをしているか、誰も考えてなんかくれない。

 そんな私の唯一の味方は、おばあさまだけだった。

 日本からネスフェリカへ、たった1人で嫁いで来たおばあさま。みんなに大反対されても、おじいさまと一緒になったおばあさま。

 でも、ネスフェリカ王国は男性が王になる決まりがあったから、おじいさまの死と同時に王宮から去ってしまった。

 それでも時々は遊びに行っていた。かんしゃくを起こしてものを投げつければ、だいたいの人間はため息をかみ殺して車を用意した。

 実のおばあさまと会う事もままならないなんて、王女なんて窮屈なだけで何にもいい事なんかない。

 よく童話やおとぎ話で、突然お姫様になって玉の輿なんて話を見るけど、あんなのは現状を何もわかっていない能天気な人間が書く馬鹿馬鹿しい寓話だ。本当の王女は締め付けられて押さえつけられて、何をするにも誰かに見張られて息が詰まる。そんな事を知りもしないで何が「お姫様になってみたい」だ。四六時中周囲に人がいて、その全員が自分を監視している。毎日が水中で溺れているかのように息苦しいなんて、誰も考えた事ないんだろう。

 周囲は姫、姫、と大仰に扱う。その目が、大勢にかしずかれるなんてさぞ気分がいいだろうと言っている。冗談じゃない。誰がかしずいてくれと1度でも頼んだ事があったか。

 おばあさまは私の愚痴を聞いたあと、決まって慰めてくれた。少しだけ悲しそうな顔で。

 きっと私の不遇に深く同情してくれていたのだと思う。おばあさまは心が広く本当にお優しいから。

 お父様が原因不明の病で倒れ、お兄様の行方がわからなくなり、お母様はただ泣くだけ。おじさまご夫婦も旅先で行方知れず。

 そうなると、現在まともなのは私だけだから、みんないっそう私を閉じ込めた。

 もうたくさん。もういやだ。何もかもどうでもいい。放り出して逃げ出したい。

 そうおばあさまに泣きついたら、おばあさまの祖国へ一時留学してみないかと言ってくださった。

 日本に興味はなかったし、おばあさまと内緒話をしたくて日本語は多少教えて戴いたけれど、まだ難しい言葉はわからない。

 でもおばあさまが勧めてくれたから、私は日本へ行く事にした。ここにいるより多少はマシだろう。

 王宮の人間達は、あからさまにホッとしたように留学に賛成した。どうせ私なんか、いない方が楽でいいし清々するとでも思っているのだろう。

 だから私は条件をつけた。

 護衛は1人もいらない。国と連絡を取るために1人か2人くらいなら付いて来てもいいけど、それ以上はいらないと突っぱねた。

 王宮の人間達はそれには大反対したけど、私は折れなかった。大勢を連れて行ったりしたら、自由なんかよりいっそうなくなってしまう。それではこの国にいるのとなんら変わりない。

 そこでおばあさまが担ぎ出されてしまい、私はしぶしぶ5人の付き添いを許した。

 付いて来る事になったのは家庭教師兼世話係の女性が1人、あとは全員重苦しいSPだ。私なんかには付いて来たくなかっただろうに、ご苦労な事だ。

 本当は学校も自分で選びたかったのだけど、おばあさまの母校だというのでそこにしてあげた。おばあさまが通っていた学校なら、通ってやってもいい。

 王春学園という、日本でも屈指の金持ち学校だと聞いてうんざりしたけど、やはり国にいるよりは多少マシだろう。

 支度を整え、退屈な空の旅をして、私は小さな島国にたどり着いた。

 日本は、人工的で人が多くって、息苦しそうないやな国だった。ネスフェリカのような自然などまるでない。

 空港で出迎えた政府のお偉方に形だけの歓迎を受け、私はすぐに用意されていた屋敷へ向かった。

 屋敷は日本の警察が24時間警備をするらしい。本当にうんざりする。

 王宮とは比べ物にならないほど狭く、調度品も趣味が悪い。

 それでも、明日学校へ行けば1人くらいは話のわかる人間もいるかもしれないし、何より無表情な召使い達や愛想笑いを浮かべた政府関係者の顔を見なくて済むのが救いだ。

 どうやら日本の学校というのは始業時間が早いらしく、私は朝早くに起こされた。なんて国なの。一国の王女をこんな時間に叩き起こすなんて。

 乗せられた車内であくびをかみ殺し、連れて来られたのは、厳重そうに警備されたモダンな学校だった。おばあさまが通っていたのだから、これくらいは当然だろう。

 車から降りると、出迎えらしい生徒が5人ほどいた。

 その全員が、私の顔を見るなり目を見開いた。

 なんて失礼なの。日本人なんか、おばあさま以外は大嫌い。

「……びっくり」

「……ああ、そっくりだな……」

「嫁いだという方が親戚なのでは?」

「そんな話は聞いてねぇ」

 私が日本語を解さないとでも思っているのか、連中は好き勝手な事を言っている。腹が立ったので全員を睨みつけた。

「私が、レンディーデ・ネスフェリカよ」

 日本語で言ってやったのに、誰1人驚かなかった。この私が外国の言葉をしゃべってやったというのに。

「初めまして、レンディーデさん」

 栗色の髪の軟弱そうな男がにこりと笑った。

「俺は羽叉麻はざまれいと言います。この学園の生徒会長をしています」

 へらへらと笑って馬鹿みたい。きっとこの男だって、私の留学を面倒に思っているに違いないんだわ。

「こちらが生徒会副会長の近江おうみ天武てんむ君、議長の甲斐大地君、俺を含めてこの3人は君と同じ学年で、書記と会計は1年後輩の2年生です」

 それぞれがぺこぺこと頭を下げたが、近江と呼ばれた男は目礼すらしなかった。なんて礼儀知らずな男だろう。

「日本では、女性にこんな場所で立ち話をさせるのが普通なの?」

「これは失礼しました。では中へ。あ」

 羽叉麻はわざとらしく振り向いた。

「お付きの方はお帰りください。授業が終わるのは15時半ですから、その時間にでもまた迎えに来てください」

 私のSPの1人が一歩前に出た。

「王女を1人でなど置いて行けるはずがない」

「留学申請書に目は通されましたか? いかなる場合も、許可のない者の出入りは禁止です」

「この方は王女だ」

「知ってますが?」

 羽叉麻は笑顔を崩さない。羽叉麻だけじゃなく、後ろにいた4人もまるで表情を変えなかった。

「そこまで言うのなら、王女の身に何かあった時には責任を取れるのだろうな?」

 羽叉麻は、顔の筋肉を1筋も動かさずに笑顔を陽性から陰性へ変えた。

「なら言わせてもらいますが、どうしても校内に足を踏み入れたいと言うのなら、あなた方の与える不快感に気分を害する我が校の生徒全員の責任を取って戴けますか?」

 羽叉麻はゆっくりと姿勢を変え、SPと正面から向き合った。

「俺が生徒会長の間は、誰1人そんな勝手は許さない。もう1度留学申請書を穴が空くほど読み返してください」

 後ろに立っていた、髪の長いたれ目の男(確か甲斐大地とか言った)が指先だけで拍手をし、SP達が殺気だったのと同じ瞬間に、羽叉麻はまたころりと笑顔を陽性に変えた。気味の悪い男だ。

「そんなに信用できないのなら、校門と裏口で見張っておられたらよろしい。校外でしたら文句もありません」

 この男、何者だろう。よほどの自信を持っているか、それともただの馬鹿か。

 それまで黙っていた鉄壁の無表情男(近江天武と紹介された男だ)がゆっくりと私の横を通り過ぎ、校門の鉄格子に手をかけた。

「そこから先は敷地内だ。不法侵入で祖国へ強制送還されたくなければ、大人しく待つ事だ」

「……あまりふざけた真似はしない方がいい」

「それはこちらのセリフだ。当校のセキュリティをなめないで戴きたい。許可のない者を敷地内には入れないという規則に例外はない」

 一息に言い放って、近江は鉄格子を閉めた。

「さぁレンディーデさん、行きましょうか。ここではあなたはただの一生徒です。特別扱いはしませんのでそのつもりで」

 羽叉麻はまた私に向けて笑顔を作った。笑っているのに、何を考えているのかわからない。外国人だからだろうか。

「あなたは俺と同じクラスです。我が校のキングもそこですよ」

「キング?」

 思わず聞き返した私に、羽叉麻はいたずらっぽい笑顔になった。

華歳かさい嘉月かげつ君。世界に名を馳せる大金持ちですよ。確かネスフェリカにも別荘だか牧場だかを持ってるって言ってたな」

 知らなかった。日本人に興味はなかったから。

 連れて行かれた教室で、私はまた必要以上に驚かれた。中でも1番驚いていたのは、羽叉麻がキングだと紹介した華歳嘉月だった。華歳本人に何か言われた訳ではないが、華歳の驚きように周囲が驚いていたくらいだから、相当何か思うところがあったのだろう。

 不愉快だった。

 その理由はすぐにわかった。

 休み時間に群がって来た生徒の1人が、私がある人物にそっくりだと言ったからだ。

 それは華歳の従姉妹である菊池朱己という他校に通う同い年の人物で、更に不愉快な事に男だと言う。日本人は無礼で失礼だ。

 こちらが聞きもしないのに、菊池は現在日本でのピアノジュニア部門でもっとも注目を浴びている人物だとか、両親がおらず華歳の支援を受けて小さな弟と2人で暮らしているのだとか、ここ王春学園にも演奏に来た事があるのだとか色々勝手に話してきたが、私にとってはどうでもいい事だったので、適当に聞き流した。どうせ会う事もないだろう。

 一通り菊池の話が終わると、次は華歳の話になった。この学園一の大金持ちで、成績優秀スポーツ万能の天才なのだそうだ。性格はやや傲慢なところもあるそうだが、それがリーダーシップとなっているので逆に長所なのだと女子達は楽しそうに話している。傲慢さが長所だなんて、日本人は馬鹿じゃないだろうか。そんな私の思いを無視して女子達は更に華歳を褒めちぎった。確かに顔はハリウッド俳優みたいにいいし背も高いけど、中身が伴っていない男に興味はない。

 うんざりするような噂話で潰れた休み時間が終わると、放課後はやたら時間をかけて羽叉麻に学校を案内された。

 すれ違う生徒のほぼ全員に、羽叉麻は好かれているようだった。

 笑顔を向けられ、挨拶され、話しかけられ、私とはまるで正反対。

 だんだん不愉快さが募って、私は徐々に無口になっていった。

 日本になんか来るんじゃなかった。

「はい、ここが生徒会室。俺は教室かここか美術室にいます。これでも美術部の部長だからね。そうそう、部活はどうする? たった1ヶ月の留学でも、経験しておくといいと思うけど」

「集団で何かするのは苦手だわ」

「そう? 運動は?」

「嫌いよ」

「じゃあ書道部なんかどうかな。日本語が書ければだけど」

「書けるに決まってるでしょ。でもそんな部イヤ」

 みんな同じ制服を着ている校舎の中は、個人の識別が難しくてまるで軍隊のようだ。

「PC部やカメラクラブはどうかな? 語学部なんかでは歓迎されると思うけど」

「PCなんかつまらない。カメラだって興味はないし、語学は誰かに教える気もないわ」

「じゃあ真っ直ぐ帰るしかないね」

 羽叉麻はまたにこりと笑った。

 何なのこいつ。王女に対して帰れですって?

「あなたは本当に失礼な人ね。私のSPにだって、態度が横柄だったわ」

「腹を立ててたなら、どうしてそう言わないの?」

「私の勝手でしょ」

「無責任ー」

 意外な言葉で反論された。どうして私が無責任なのか。

「私は無責任なんかじゃないわ。態度が横柄だったと指摘する事のどこが無責任なの?」

 羽叉麻は足を止めた。雰囲気はまるで変わらず柔らかいまま、私をじっと見る。

「自分のものをけなされたのに怒りもしない。守ろうともしない。そういう人の事を、日本では無責任と言います」

「私のもので私の事よ。私の勝手にして何が悪いの?」

「なら俺が横柄だったのも俺の勝手って理論になるよ?」

「あのSPは私のものよ!」

「この学園は俺達のものだよ」

 私が怒鳴っても、羽叉麻は髪の毛1本揺るがなかった。祖国の学友なら顔色を変えて平謝りするところなのに。

「俺は自分のものをけなされたら怒るし守ろうともする。君は大事な事を忘れてるみたいだね」

「何も忘れてなんかないわ」

 ムキになって言い返すと、羽叉麻は仕方ないというように笑った。

「ここには、君の家来は1人もいないよ」

 突然、1人で放り出された気持ちになった。

「最初に言ったよね? 特別扱いしないって。君は何をしにここへ来たの? どんな抱負と目的を持って日本を選んで留学しようと思ったの?」

 言葉が出なかった。

 勧められたから来ただけだ。あの王宮から逃げられるのなら日本じゃなくてもよかったし、留学という形でなくてもよかった。おばあさまが勧めてくれたから。私の意思じゃない。ただ逃げたかっただけ。

 でも、そう言ったらすごく恥ずかしいような気がした。

 何こいつ。大嫌い。

「……お望み通り帰るわよ」

「それは、君のもの達も喜ぶだろうね」

 反論しようと羽叉麻を睨みつけた時、後ろから間延びした声が聞こえた。

「おう、校内の案内か。大変だな、黎」

 朝に見た髪の長いたれ目の男だった。確か、生徒会議長の甲斐大地。

「別に大変じゃないよ、近江に比べたらね」

「……あいつもご苦労な事だな。ちゃんとご褒美もらってんのか?」

「どうだろうねぇ。近江の欲しいものってちょっと人と違うから」

 甲斐はため息を吐いてから、私を見た。この男も何を考えているのかわかりにくい。だらしのない服装がカンに障った。

「ネクタイくらい締めたらどうなの?」

「アイロンかけてて焦がしたんだよなー」

 甲斐はひらひらと指先を振って生徒会室のドアを開け、踏み出そうとした足を止めて私に振り向いた。

「あんないかつい兄ちゃん達に囲まれて異国へ来たんだから心細いのはわかるけど、もうちょい気を抜いたら?」

 甲斐は無造作にポケットからキャラメルを取り出した。

「やるよ。あんたの顔には笑顔が似合う」

「大地ったら気障ー」

「近江に倣ってみた」

 からからと笑って、甲斐は生徒会室へ入ってドアを閉めた。

 キャラメルなんか誰が食べるものですか。子供じゃあるまいし。私は王女よ。

 開いていた窓から、私はキャラメルを外へ放り投げた。



 日本なんか大嫌い。

 おばあさまの母国の母校だと聞いたから来てみたけど、みんないやな奴ばっかり。いい事なんか何もない。

 こうして送迎されているリムジンから見える景色だって、ごみごみしてて汚らしい。馬鹿みたいな格好で馬鹿みたいな顔して歩いている日本人を見ていると吐き気がする。

 私がしている我慢の何分の一かでも、あいつらはしているのか。私が欲しくてたまらない自由を生まれながらに手にしているというのに、それを無為に消費しているなんて本当に馬鹿だわ。その自由がどれだけありがたものか、どれだけ価値のあるものか、あんた達は考えた事もないんでしょう。

 学校の連中だってそう。くだらない噂話に一喜一憂して、あんな面白くない奴ばっかりがいる学校の部活に入ったって、絶対面白くない。本当にくだらない。時間の浪費以外の何ものでもないわ。ただ不愉快なだけよ。

 後部座席の背もたれに寄りかかって目を閉じた。

 どこにも私の居場所なんかない。来なければよかった。

 どこへ行っても、私の欲しいものは決して手に入らない。ただ自由になりたいだけなのに。

 コンクリートとアスファルトでできた街を抜けた。あと10分ほどで日本での屋敷に着く。その屋敷だって狭くて窮屈だわ。でも、そこしか私のいられるところはない。

 誰かの用意した屋敷に連れて行かれて、誰かの用意した食事を食べて、誰かの用意したお風呂に入って寝るだけだわ。

 どうせ私なんか誰にも好かれてないもの。私の事を嫌いでしょ、と聞けば、みんなそんな事ないって笑うけど、私だって馬鹿じゃない。建前くらいわかる。

 そんな人間ばかりに囲まれて生きていかなきゃいけない人の気持ちなんて、きっと誰にもわからない。

 王家になんか、生まれなければよかった。

 一生こんな生活が続くだなんて絶望しかない。私には死ぬまで不自由なのだ。

 そんな事を考えて暗い気持ちになった時、突然がくんとリムジンが揺れた。

「何事なの!」

「お掴まりください! 王女!」

 リムジンが急にスピードを上げたせいで、私は一瞬重圧で座席に縫い付けられた。

「何してるのよ! ちゃんと運転して!」

「敵です!」

 私の隣にいたSPが、私の背を押して身をかがめさせた。

「敵って何よ!」

「あなたを狙っている者達です!」

 好きで王家に生まれた訳じゃないのに、それが理由で命まで狙われるだなんて。

 世の中に、私より不幸な人間なんかいない。

 リムジンが揺れる度に、身体のあちこちをぶつけた。痛くて悲しくて仕方ない。

 どうして私がこんな目に遭わなきゃならないの。

「銃で応戦したらいいじゃないの! お前達はそのために私について来たんでしょう!」

「日本は銃刀類の所持が禁止されております」

「それが何よ! 私が死んでもいいの!?」

 SPは無言で私の上に覆いかぶさって来た。

 本当は私なんか死ねばいいと思ってるくせに、命を賭けて守らなきゃいけないだなんて、きっとこのSPは腹立たしく思ってるに違いない。自分で好きでSPをやってるんだろうから知った事ではないけど。いやだったら辞めればいい。私と違って自由で好き勝手に仕事を選べるのに、わざわざSPなんかになったのは自分なんだから、ちゃんと責任を果たすべきじゃない。

 ああ、それとも。

 このままリムジンが吹き飛んで死ねたら、楽になるだろうか。

 リムジンが小さな脇道に入った時だった。反対側からジープが飛び出して来た。

 もうダメだ。私は死ぬ。

 そう思ったのに、ジープはリムジンとすれ違った直後に横滑りになって急停止した。それほど広い道ではなかったので、道路はそれだけで封鎖された。

「間に合ったか……!」

 運転していたSPがほっとしたように息を吐いた。私に覆いかぶさっていたSPが身を起こしたので何とか顔を上げると、リムジンの前後に見知らぬ車が走っていた。

「誰なのこいつら……!」

「味方です、王女」

 それ以上何も説明されず、私は屋敷へたどり着いた。



 屋敷に着くと、リムジンの前後を走っていた車もついて来ていて数人が降り立った。

 軍人みたいに大きな男と、そばかすだらけの女、他にも同じダークグリーンのジャケットを羽織った男達が数人姿を見せた。

「Mr.熊谷」

 SPの1人が大男に近づいた。

「出て来るのが遅い」

「これは失礼」

 熊谷と呼ばれた大男は太い首を傾げて苦笑いした。

「こっちにも言いたい事がある。なぜ打ち合わせたルートと違う道を使った?」

「……日本の道はわかりにくい」

「それでもプロか? ネスフェリカってのは平和な国なんだな」

 熊谷のセリフに、そばかす女が笑った。

「あれだけ違う道を通るなと言ったはずだ。てめぇの落ち度のフォローに5分で駆けつけたんだぜ。文句を言われる筋合いはねぇよ」

 そばかす女は挑発的な視線でSPを見上げた。なんて口の利き方をするのか。下品で無礼な女だ。

 黙り込んだSP達に、熊谷はやれやれとため息を吐いた。

「まぁいい。いま他の連中が追跡している。まだ黙っている事があるなら先に言ってくれ」

 SPが熊谷を睨んだ。

「私らが知らねぇとでも思ってるのか? それとも全部このお姫さんの前でぶちまけてもいいのか?」

 そばかす女が私を指した。何の話だ?

「王女を中へ」

 SPの1人が私の肩を掴んだ。

「待って。何の話? 私に何を隠しているの? この者達は何者なの?」

「王女、ここから先は王女のお耳を汚す話ですから」

「いいから聞かせなさい」

 私はSPの手を振り払った。

「お前達はいつだってそうだわ。私には何ひとつ説明せずにすべて勝手に片付けてしまう。何も知らない私が馬鹿みたいじゃない」

 SP一人が舌打ちして熊谷達を見た。

「王女を中へ」

「いやだと言ってるでしょ! 離しなさい!」

 引きずられるようにして、私は屋敷内に連れて行かれた。



 みんな私の事を馬鹿にしている。

 いつも知らないうちに全部終わってて、みんなで何も知らない私を笑ってるんだわ。

 もういやだ。全部いやだ。逃げてやる。こんなところから逃げ出して、後でいなくなった私に気付いて慌てるといいんだわ。

 部屋の出口にいたSPにシャワーを浴びるからと告げて、私は逃げ出そうと試みた。しかしSPはバスルームの出入り口まで付いて来ようとする。かんしゃくを起こして怒鳴りつけたけど、SPは頑として付いて来た。

 仕方がないから、私はバスルームのドアから抜け出す事にした。窓は小さかったけど、私なら何とか通れそうだ。

 浴槽に足を掛けて窓を全開にすると、かろうじて頭と肩が通りそうだった。バスルームにいるよう見せかけるために、シャワーのコックをひねった。湯気を押しのけるようにして窓の外に靴を投げ、できるだけ静かに窓を通り抜けた。バスルームが1階でよかった。神様が私に味方してくれたんだわ。

 地面に落ちた時に少し身体を打ったけど、不思議と痛みを感じなかった。全部投げ出して逃げ出して、これから先は自由にできるんだという高揚感が全身を包んでいたからだろう。

 胸がドキドキした。普通の子みたいにお茶を飲んだりショッピングしたりできる。誰も私を知らない場所で、自由に歩いてみたい。

 もどかしく靴を履き、門を目指した。あの向こうに自由がある。

 しかし、駆け出した私の足は、すぐに凍り付いたように動かなくなった。

 門の手前に誰かが立っていて、こちらを見ていたからだ。見覚えがある、あの冷酷な姿。冷徹で傲慢そうな表情。

 近江天武だ。なぜあいつがここに。

 動きを止めて凝視する私に、近江は眉をひそめた。今まで周囲の人間に、何度そんな顔をされただろう。

 近江は私にゆっくりと近づいて来た。熊谷達と同じダークグリーンのジャケットが、太陽の光を鈍く吸収している。

「どこへ行くつもりだ?」

 声はナイフのように鋭かった。物理的に肌を切られたような痛みすら感じる。

「……私がどこで何をしようと勝手でしょ」

「なら、俺がここでお前を捕縛するのも勝手だな」

 特に素早く動いたようには見えなかったのに、近江は嫌がる私の二の腕をあっさり捕らえた。

「離して!」

 近江は私を無視して玄関へ向けて歩き出す。

「離してって言ってるでしょ!」

 近江は何も言わずに私を引きずるように歩く。いやだ。どうしてみんな私の嫌がる事ばかりするの。そんなに私が嫌いなの。

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