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神代の光  作者: 千原樹 宇宙
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禁忌の森


                    禁忌の森


 この「釜本神社」の神社の名前自体は、歴史が浅いらしく、元々の名前は、別な名前だったそうだと爺様と婆様が話してくれた。三内丸山時代の頃よりこの地域・場所は、神聖視されてきたらしい。しかしながら、一度、この神社自体、神域が歴史の中に消えてしまって、歴史のどこかで断絶したらしい。その断絶時代が長かったお陰で、誰の目にも触れずに御神岩が守られてきたらしい、同時に、元々の神社の由来、古伝そのものも消えてしまったと爺様は説明してくれた。何故そのことが解ったかというと、それは釜本本家に伝わる「釜本本家伝」という古伝書が、つい最近の平成時代に偶然見つかった事から、釜本君の父親が資料精査して分かったという。釜本の本家が、断絶していた神社を継承して「釜本神社」として名乗ったのはかなり長い歴史を遡るのであろう。平成時代に発見された「釜本家本家伝」により古の神社の名前は解ったのであるが、今更名前の変更はしないことに決めたのだそうである。


青森県は、現在では人口は少ないけれども、非常に面白い歴史が多くある。


例えば、

 青森県の東北町から発見された「日本中央の碑」と言うものが青森県東北町坪村に保存されている。青森県東北町の(つぼ)という集落の近くに、千曳神社(ちびきじんじゃ)があり、この神社の伝説に1000 人の人間で石碑を引っぱり、神社の地下に埋めたとするものがあった。このため、明治天皇が東北地方を巡幸する1876年(明治9年)に、この神社の地下を発掘するように命令が政府から下った。神社の周囲はすっかり地面が掘られてしまったが、石を発掘することはできなかった。

1949年(昭和24年)6月、東北町の千曳神社の近くにある千曳集落の川村種吉は、千曳集落と石文いしぶみ集落の間の谷底に落ちていた巨石を、伝説を確かめてみようと大人数でひっくり返してみると、石の地面に埋まっていたところの面には「日本中央」という文面が彫られていたという。

(ウキペディア抜粋)


和歌に詠まれた「坪の碑」は、宮城県多賀城市の「多賀城の碑」とする説もある。「坪の碑」時代は、京都政権とは異なった蝦夷という種族が青森県、岩手県等に住み暮らしており、その「日本ひのもと」なる国は、当時の京都政権から独立しており、権力の中枢が在ったのではないかとの当然の疑問が喚起される。当然、歴史に名高い坂上田村麻呂蝦夷征伐などは誰もが知るところである。現在でも、「坪の碑」を偽物だとかの学説もあるが真偽のほどは解らない。

 現代の考古学者達は、三内丸山遺跡の高さのある物見櫓には屋根がなかったと決め込み、屋根なしの巨大物見櫓を作らせた根拠は何だろう。雨も降るだろうし雪も降る見張り台に、何故、屋根がないのだろう。あれほどの高い物見櫓を作れるなら、藁葺き屋根はなかったとする根拠はなんだろう?理解できない。

 青森県八甲田連峰の山山の麓に多数の人間が住んで居ただろうかと疑問を持つかも知れないが、ほんの近くに在る三内丸山地区には、何千年前から多数の人間が住んで、幾世代にも渡って繁栄していたことが発掘により証明されている。例えば、三内丸山では、「栗」が栽培されていたことがDNA鑑定で出ているし、日本海海路で日本全国に渡って、交易しているのは、例えば九州や北陸でしか算出しない出土品などで確認されている。一つ疑問だが、何故、縄文三内丸山地区の集落が何千年と続いたか、それには理由がなければならない。現在の北海道と青森の間には津軽海峡が在る。この海峡を小舟か何かで渡って青森人と北海道の人々と交易していたという事実は出土品等で証明されている。縄文時代は狩猟採集時代などではなく、農業を基盤として食物を生産、漁を行い猪・鹿などを捕獲するなどして命を繋ぎ繁栄していたらしい。

 面白い発見がある。中国大陸から出土した稲のDNAと日本の稲のDNAは全く系統が異なるそうで、稲作は日本から朝鮮半島、中国に伝わった事が、DNA鑑定で分かったそうである。教育界では、戦前戦後何十年と中国大陸から、技術や文化が伝わったとされていたけれども、現代の科学の進歩により、その、論拠が否定され始めている。

 


 この釜本神社の領域にある「禁忌の森」に在るという御神岩が、縄文人の始まりの時代、現在から1万2000年前に既にこの場所に存在していたとしたら、誰が、なんの為に「岩刻文字」を岩に刻んだのであろう?


 朝食が終わって、お茶を飲みながら、「釜本本家伝」についての話題になった。


「釜本さん、古伝書お借りするわけにはいきませんか?」田所先生が、断られることを知りつつ、釜本君の父親に言うと、

「先生、申し訳ないですけど、それはまいね、まいね、この前発見したばかりでの」父は、直ぐに断った。

「先生、大事な古伝書だはんでの・・」婆様が呟くように言った。


・・・・それは当然だわ・・万が一盗まれでもしたら大変・・・・


「そうですか、当然ですよね・・」断られることには田所先生は、慣れているらしく表情は変わらなかった。順番が必要だと言う事だ。

「いやぁ~全く気付かんかった、まさかのぉーあんな本殿に隠し戸棚があったなんての」釜本君の父が悔しそうな顔を見せて苦笑いをしている。

「神社の奥の隠し棚に在った物だはんでのう、おいそれと貸し出すわけにはの・・」と爺様。


黙って私達は会話を聞いていた。


「どうでしょうか、書き写すとか写真に撮らせて頂けませんでしょうか?」諦めが悪いのは学者の常。

「それなら良いですじゃ、私も立ち会いますはんでの、学、まず、御神岩を見てからにしよう・・か」

「うん、親父、それが良いよ・・さぁ~皆さん、外に出ますよ」釜本君が言いながら立ち上がった。

「は~い、恵ちゃん、沙耶ちゃん、出よう」私達や田所先生夫妻も立ち上がった。


玄関は、広い。


「皆様、玄関の靴箱の上に虫よけスプレーが置いてありますから、必ず、かけてくださいよ、肌を出すところは特に念入りに・・」釜本君が促した。

「虫よけスプレーね、効くの?」

「はははは~~~ハッカ油で作ったから、市販のものより効くよ」屈託のない顔を見せる。

「ほんとに?」私は疑問だった。


・・・・ほんとかしら・・市販の虫除けスプレーって効かないもん・・・・


釜本君と目が合った。口元がにやけている。

「あ~~大丈夫だよ、おっぱい刺されないようにな・・はははははは~~~」

「あっ、又始まった、スケベ」

「どうしちゃったのかしらスケベの釜本君だわ」

「釜本君田舎に帰ればスケベになるって図ね」私は、釜本君を見つめながら言うと、

「違うわよ、元がスケベなの」

「地が根っからのどスケベなんよ釜本君ってさ」二人の弄りが始まった。


釜本君は、全く、気にもしていない。


 ・・・・一応長袖にズボンにズックだし・・・顔や首周りと手にかけよう・・・・



外は、早くも夏真っ盛り。太陽の光が剥き出しの腕にじりりと突き刺さる。虫よけスプレーは、目に染みるほどに強烈な客家の刺激臭がした。


「皆さん、父の後ろに従って下さい」父親と田所御夫婦は、建物の裏手方向に歩き出した。

「こうして見ると、なかなか御立派な神社だわ、昨日は気がつかなかったよん・・ふ~ん」沙耶ちゃんの声が後ろから届く。

「ほんとだわ、古いけど、なんだか歴史を感じるね、恵ちゃん」黙ってついてくる恵ちゃんに声をかけると、

「小さく見えたけど、この建物結構奥行があるのね、あら、又神社が現れた・わ・」怪訝な顔で声をだした。

「うん、本殿だよ・・」正面から見ると大きな建物に隠れて、本殿は見えない。

「えっ、ほ・本殿って、こっちじゃないの?」沙耶ちゃんが素っ頓狂な声を出す。


釜本君の父や田所先生は、構わずに歩いていく。神社の周囲には、相当に年代を重ねた杉の大木が、神域を守るように天に向かってそびえ立っている。


「神社は初めてかい、君達、」釜本君が言うと、

「だって奥まで入ったことないもん・・」恵ちゃんが応えた。

「私も・・」

「そうか、こっちの建物は拝殿だよ・・」釜本君が、にやにやしながら私達に言う。

「は・拝殿・・」

「そうなの・・知らなかったぁーー」

「日光東照宮に行ったことないの?」

「あるけど、ただ見ただけだもん・・」

「ははははは~~~」


・・・・知らなかったわ・・正面に見えるのが神社の本殿だと思ってた・・・・


「凄いね、正面から見ると小さく見えたんだけど・・」

「本殿に入るよ・・」


釜本君の父親と田所先生御夫婦は、真っ直ぐに本殿敷地に入って行く。後ろからついて行く私たちに向かって、 

「本殿の周りを囲んでいるこの垣根はさ、外側は玉垣で内側のこの部分が瑞垣と呼ばれるんだ」と説明してくれた。

「ふ~~ん、玉垣に瑞垣って知らなかったわ」沙耶ちゃん。

「私も・・」


本殿への入り口門を潜って敷地の中へ入ると、目の前には小さな本殿が建っている。田所先生御夫婦と宮司である釜本君の父親は、本殿に向かって拝礼し始める。私達も神域の本殿に向かって二礼二拍手一礼を行った。

「二礼の意味はね、神様に最敬礼するという意味だよ」釜本君。

「じゃに二拍手は?」

「気を清めるとか、手には武器は持っていないとか神様を称える・・かな?」

「一礼は・・?」

「それは神様にお参りのお礼のお辞儀かな?」未だ宮司の勉強はしていないようだった。


・・・・ふふふふふ~~釜本君頼りなさそう・・神社の跡取りでしょ・・・・


神様への御挨拶が終わって、私達は、本殿の背後に回り込む。本殿の裏側にも小さな木製の出口門が在った。その本殿の背後には、高さのある年代を重ねた巨杉と共に森が濃い緑色と共に広がっている。


 出口門は鎖で閉ざされており、「立入不可」の看板が鎖から吊るされていた。


「ここからは、入らずの森だよ」釜本君。

「は・入らずの森って・・」

「誰も入ってはいけない森、つまり禁忌の森さ・・」釜本君が小さな声で口にした。

「き・禁忌の森って」

「古の昔から立ち入り禁止区域ってこと」


・・・・ふ~~~む・・釜本君入った事あるのかなぁ~・・・・


そんな思いが浮かんだが、口にはしなかった。


「どうして、この森も釜本神社所有なの?」紗英ちゃん。

「うん、そうだよ、ここら辺全部そうなんだ・・」

「凄いね・・」

「なんも凄くないよ、東北は、白川以北一山百文の地さ」卑下するような言い方だった。

「なにそれ?」恵ちゃん。

「福島県の白川が東北と関東の境目で、東北は蝦夷の里、東北を差別した蔑称だよ」

「うん聞いたことがあるわ、甲子園野球で長らく優勝旗が白川越えはなされなかったから、東北の人々の悲願とか」私が言うと、

「はははは~~白川越えどころか津軽海峡越えて北海道に行ってしまったからなぁ~」釜本君。

「そうなの、北海道に飛んできたのよん・・」笑みを浮かべながら紗英ちゃんは独特の言い回しでいった。


釜本君の父親が、鎖を外して木製建具状の戸板を開けた。その瞬間、ひゅうううぅううーーと一陣の風が私の頬を撫で去って行った。


開かずの扉が開いた。


「森へ入りますよ、皆様」

「は~い」

「・・・・」


 本殿の神域から森の中へ踏み込むと、夏の太陽が遮られて、暑さが気にならない。ほとんど手入れされていない獣道のような幅の狭い道が、真っ直ぐに続いている。田所先生と釜本君の父親は、どんどん前に前に進んでいく。置いていかれないように私達は、どんどん前を進む二人について行く。歩く目の前に虫が次々現れ、身体にまとわりつかれるような気がしていた。だから、両手を使って、虫を払いながら後を追う。


・・・・良かったわ・・虫よけスプレーかけてきたのは正解だわ・・匂いは強烈だけど・・・・


 暫く、進むと、右手側に大きな薄白い塊が見えた。その空間だけに天からの光が届いている。その光を受けている薄白い塊が、何故かしら輝いているように感じた。塊自体に、不思議な神秘性があった。


・・・・ちょ・ちょっと・・違うわ・・・あの・・・岩・・・・


自然と沸き起こった心の不安、少しの怯えが芽生えていた。不安を打ち消すように、


「釜本君、あれがそうなの、御神岩なの?」私が聞くと、

「うん、そうだよ・・」振り向きもせず応えた。

「釜本君見たことあるん?」

「うん、実はさ、今年初めて見たんだ・・」

「えっ今年って、じゃ今までみたことなかったの?」恵ちゃんが尋ねる。

「子供の時かなぁ~見たような記憶はあるけど・・」


 獣道のような道とは言えない道を進むと、巨岩の傍に辿り着いた。御神岩の上部には、真新しい太い注連縄が回されていた。巨岩の上を仰げば、青い空が見える。御神岩の上部分だけぽっかりと空間が開いていた。光の入らない森の中に居たために、御神岩の空間の光に眩しさを覚えていた。視界が、ぼんやりしている。それも直ぐに慣れて、御神岩を見詰めると、その大きさに気がついた。地面にただ置かれたのではなく、地面に埋められている。


・・・・な・なにこの巨石・・う~~ん・・この周辺には岩なんかなかったけど・・・こんな大きな巨岩があるなんて・・・・


森の中の巨岩には、そこに存在しているだけで他を圧する圧倒的な迫力があり、巨岩の存在する空間だけが、巨岩を取り巻く森とは違う圧倒的な異質な存在感を際立たせている。


「うわっあああ~~随分大きな岩ね」恵ちゃんが驚いている。

「元から在ったのかしら、それとも運んで来たのかしら?」私は、疑問を口にした。

「さぁ~そこんところは分からないんだ、」

「あらあああ~~~いっ・岩に何か書いてるわよん?」沙耶ちゃんが、素っ頓狂な声をだした。

「えっ、ほんとだわ、あれぇ~漢字でないわよ、あれ」すかさず恵ちゃんが声を出す。


・・・・な・何かしら・・文字・・違う・・文字じゃない・・・う~~む・・これって絵・・絵文字・・かしら・・それとも・う~む・・漢字じゃないわね・・・こ・これが神代文字・・かしら・・・・


私は、岩に刻まれた文字のようなものを見つめながら、

「そうね、漢字じゃないけど、でも、絵ではないよね・・くねくねしているし読めないわ・・これが神代文字らしいわね」と呟く。


・・・・蛇のようだわ・・くねくねしてる・・・・


「なんだか文字には見えないわよ、ほんと蛇のようだわくねくねしてるもん」恵ちゃん。

戸惑っている私達に向かって、

「はははは~~~初めて見るようだね君達は」と田所先生が笑みを浮かべながら言ったけど、田所先生の奥様は慣れているのか、平気な表情をしていた。

「は・はい、初めてです、先生これって文字なんですか?」恵ちゃんが問うと、

「はははは~~~そう、これはね漢字より古い古代の文字なんだよ」先生が、答える。


・・・・か・漢字よりも古いって・・ほんとかしら・・・これが神代文字かしら・・・・


文字と言われても、なかなか文字だとは思えなかった。


「えっ先生、ほんとに文字なんですか、これって」沙耶ちゃん。

「これは阿比留草文字という神代文字だと思うよ」田所先生がはっきりとした口調で答えた。

「あ・阿比留・草・文字ですか・」

「うん、文字の形状から言って間違いないと思います、学君、写真撮りましょう」

「はい、先生・・阿比留草文字の他にも、異なる文字も刻んでいるのではないですか、裏側に?」と釜本君が言った言葉に、


・・・・えっどういう事・・・・


直ぐに思い、巨岩の裏側に回り込む。

「ほんとだわ、でも字体が違うわね」沙耶ちゃん。

「こっちは、なんだか記号や絵のようだわね」

「先生、これもやはり神代文字なんですか?」信じられないと思いながら聞く。

「そうだよ、この文字は多分ね・・豊国文字の古体像文字だよ」回り込んだ田所先生がニコニコしながら答えてくれた。

「先生、この裏表の神代文字は、同じ時代に刻み込まれたものでしょうか?」


・・・・えっどういう事・・・・


私には、神代文字は、神代文字だと思うけど・・・・


時代背景など頭の隅にも浮かばなかった。


「うん、良く気がついたね・・」

「はい、この前見た時からそうなんじゃないかなと思っていました」釜本君。

「多分これは阿比留草文字だと思いますよ、でも珍しいねぇー・・多分日本初ではないかな、豊国文字と阿比留草文字が一緒に刻まれているのは・・非常にレアなケースでしょうね・・」

「レアなケースなんですか?」

「阿比留草文字は主に神社などで使われていたのですよ、こうして二つの文字が刻まれていると言う事は・・・時代が異なるのかも知れないですね」田所先生が、研究者の顔になっている。

「じゃどちらかが早く刻まれたのでしょうか?」釜本君。

「はっきりとは断言できないけれど、まれなケースですよ、これは」

「あっそっかぁぁーー釜本君とこ神社だもんね」と沙耶ちゃんが自分で納得したように言った。


阿比留草文字は、各地の神社において神璽や守符、奉納文などに用いられている文字である。神代文字の一つともされている。 (ウキペディア参照)


「あ・あひる草文字ですか、これも神代文字なんですか、先生」恵ちゃんが、呆れた表情で田所先生尋ねる。

「はははは~~君達には分からないだろうけど、大学に帰ったら図書館で調べて見れば良いよ、学君、この白墨で文字をなぞってから、写真を撮りましょう、釜本さん白墨でなぞっても宜しいですか?」と田所先生が釜本君の父に許可を求める。

すると、案外に、

「白墨なら、直ぐに雨や雪で流れるはんでの、神様から罰が当たらないでしょうな、岩を削るわけではないのでのぉー資料として残す為には、仕方がありません、学、直ぐになぞりなさい」と父は許した。

「釜本君、私達も手伝うわ」

「おっありがとう・・」


手渡された白墨を手に持って、神大文字をなぞり始める。神大文字の溝に白墨を擦る様に塗っていくと、刻まれた神代文字が白く浮き出した。


「はっきりと見えるわね」奥様が、初めて声を出した。

「うん、なんだか不思議な模様だわ」

「絵のようなものも彫られているわよ」

「はははは~~それも文字なんですよ」

「さぁ~学君写真を撮って下さい・・」

「了解しました・・」首にぶら下げていた、カメラを手に持ち準備を始めた。


釜本君は、御神岩から離れて、東西南北から写真を撮ると、岩に刻まれた神代文字に近づいて、近写し始める。何十枚か撮ると、

「先生写し終えましたので、パソコンで印刷しましょう」

「そうだね、では戻りますか」田所先生は、注意深く周辺を見渡していた。


・・・・地形を見ているのかしら・・でも見渡す限りこんな巨岩はどこにもありませんよ先生・・・・


「そうしましょう」釜本君の父親がそう言いながら来た道を戻り始める。

「釜本さん、この岩だけですよね・・」

「え~この辺り詳しく調べましたが、他にはありませんでしたよ」父親が応えた。

「これは誰にも見せてはいけません、これは貴重ですから・・」

「その積もりです、神社の御神岩ですからの」

「この周囲にはなにか垣根のようなものが?」

「誰も入られないように、垣根と有刺鉄線で封鎖しております」

「そうですか、では戻りましょうか・・」、


そんな会話をしながらどんどん来た道を戻って行く。



釜本家本家伝書


 禁忌の森から神社境内に戻ると、途端に夏の光と暑さに包まれる。初めて気がついた。蝉が鳴いている。北国の夏は短い。お盆が来れば秋風が立つ。秋風が立てば、八甲田の山々には、紅葉が花開く。

八甲田山系の紅葉は、特に美しい。十和田湖・奥入瀬渓流の千の色に染まる紅葉は、春の萌え盛る新緑の樹木や植物の葉葉とは全く異なる世界を見せてくれる。年によっては、赤色の紅葉だったり、黄色の紅葉に染まったりする。


観光客や地元の人々は、


「あ~~今年は黄色の紅葉だったね」

「あ~~今年は赤色の紅葉だ・・」


等と言うほど、紅葉の季節を楽しんでいる。そして、直ぐに山々は、雪の季節を迎える。


「ねぇ~釜本君」

「どうした恵ちゃん?」

「あれってほんとに文字なの?」恵ちゃんが納得出来ない表情を見せる。

「あ~~暑いな、溶けてしまいそうだよ・」釜本君の額には汗が噴き出している。

「で、どうなの?」

「あれは文字さ、こだいもじ又はかみよもじとかじんだいもじと言われるものだよ」汗を拭きながら釜本君は答える。


・・・・ほんとかしら・・どう見たって文字には見えなかったわ・・・・


「古代文字に神代文字ね・・その本ってあるん?」沙耶ちゃんが訊く。

「在るよ家の中にね、釜本家本家伝という古伝書の中に書いてあるんだ」

「釜本家本家伝・・か・・」


巨岩に刻まれた文様が、文字とはとても思えない私達だった。田所先生達は速足で本殿を既に出てしまい、姿は見えなかった。


・・・・先生・・きっと早く見たいんだわ・・釜本家に伝わる古伝書を・・・・


 私は、古伝書など触った事も無ければ見た事もない。普通の女子学生なら誰もがそうだろうと思う。


 各家に伝わる一族の古伝書等は、現在では相当数が失われており目につくことはほとんどないだろう。現存している一族の古伝書などは、門外不出とか家人でさえ存在を知らないで蔵の中で眠っているとか、世に出たとしても歴史の浅いものばかりだろうし、誇って他人様に見せるようなものではないだろう。

 又、一族の古伝書はあくまでも一族、家族の由来が書かれている家系図のようなものだろう。ところが、日本国の歴史等が書かれている古史古伝書などが世に出ると、殆どが、日本の古代史学会やアカデミックにより偽書扱いされてしまう。有名なところでは「先代旧事本紀」「上記」「竹内文書」や「宮下文書」などがある。


日本国の歴史は、


「日本書紀」と「古事記」


から始まっているという建付けである。


 記紀以前には文字が無いというのが現在の日本国の歴史である。 古代は、現代よりも劣っているという思考形態が歴然とアカデミックを支配している。日本に技術や稲作などを伝えたのは大陸からであり、朝鮮半島経由で入って来たという建付けが、現在の歴史学者達の立ち位置であるが、現在の科学の進歩により、DNA解析や炭素年代測定法などで、これまで定説だった学説が、誤りだった事が、日々、明らかになっている。漢字という文字自体が、実は、神代文字を土台にして作られたものであるという学説まで存在している。つまり、技術や文化などは、日本から世界に伝播していったらしく、アンデスの縄文土器やエクアドルの古代都市跡で発見されたアンデスの黄金版に記された文字を出雲文字で読み解く事が出来る。約2000年前に書かれた中国の「契丹古伝」によれば漢字以前の文字は、「ト字」といい、ト字と言うのは「殷字」といい、「殷」と言うのは、「倭国」日本と言うと記されている。このような事実が、現在の科学的調査で解明され始めている。世界に文明を広げていったのは日本・・何故、アンデスの古代遺跡から出土した黄金板に記された文字が、出雲文字で読めるのか、世界中の文字の起源は、日本国の神代文字なのか?日本の考古学会や古代史研究会などは、神代文字を絶対に認めないのは、何故だろう?


 話が反れるが、「九州説と近畿説」が長い間対立している「邪馬台国」論争がある。魏志倭人伝に書かれている里程に従えば、ところが従わない学説が多いのが現実である。九州説は、魏志倭人伝に書かれている通りに進めば、北九州辺りになるのだが、どうしても近畿に在ったと言う事にしたい近畿学説派は、魏志倭人伝に書かれている方位が間違っているという有り得ない論拠を構築して、九州から近畿に邪馬台国は在ったという学説を発表。魏の時代の一里とは、何メートルだったのか?一里の距離が分からなくても、朝鮮半島の帯方郡から九州博多辺りまでの距離は、現代では分かっているのだから、これを基本にして魏志倭人伝に書かれている日数を計算してみれば、当時の一里の距離は、素人目から分かると思うのだが・・・?解釈の違いにより、結果、九州説と近畿説の対立が始まってしまった。

 ここで疑問なのだが、「魏志倭人伝」は誰が、書いたのであろうか?邪馬台国について若しくは倭、若しくは日本の情勢・地勢・国柄等、一体誰から聞いたのか、魏志倭人伝を書いた人間は何を根拠に書いたのか、若しくは日本列島に自らやって来たのだろうか、それとも噂話を聞いたのだろうか、それを基にして書いたのだろうか?


書いた人間が方位を間違えるだろうかという疑問が生じるのであるが・・・?


様々な学説が在るが、太平洋を渡って南米に邪馬台国は在ったなどと言う学説には、「はぁ~?」という思いしか浮かばない。色々調べて見たが、九州説が正しいと思うのだが・・・?まぁ~いずれ結果が出るだろうと思うしかない。





「お邪魔しま~す」

「入りま~~す」

「どうぞ、入って入って」

「は~い・・」


 幅の広い玄関に入ると暑さはそれほど感じなくなった。


・・・・やはり建物が大きいと違うわ・・・・


家の中に入り朝食を食べた居間に入ると、テーブルの上には、コップが幾つも並べられている。


「御疲れ様でした・・外ぬぐがったの」婆様が言った。

「・・・・・」

「・・・・・」

恵ちゃんも沙耶ちゃんもポカンとしている。


・・・・な・なに・・ぬ・・ぬぐ・・がったって・・津軽弁分からないわ・・・・


「ぬぐがったってのは、暑かったと言ったの」

「あっ、はい、暑かったです」慌てたように沙耶ちゃん。

「はい、」

「さぁ~座った座った、冷たい麦茶飲んで身体を冷やそう・・」


 既に、田所先生と爺様、婆様、父親と母親の皆様は、座って麦茶を飲んでいる。朝と同じ配置で席に着く。早速、田所先生から声がかかった。


「学生諸君、」

「はい、先生・・」

「どう思いましたか、あれを見て?」田所先生の奥様は、ニコニコしている。

「はい、先生、信じられませんあれが文字だなんて」すかさず恵ちゃんが言う。

「ははははは~~~信じられないか、そうでしょうねあれが文字には見えないでしょうね」楽しそうな田所先生。


・・・・読めない・・・あれが文字だとしたら・・日本語だとすれば・・・あいうえおをどうやって見つけるのかしら・・・・


「でもですね、ははは~~あれは文字なんですよ皆さん」

「ええええぇぇーーーーほんとなんですか先生」沙耶ちゃんが変調気味な声を出す。

「信じられないわね、あれが文字だなんてね」

「古字の種類は思いのほか多いんですよ、時代時代、地域、地域で創作した文字とかね」

「そんなに多いんですか?」


・・・・漢字しかないと思っていた文字は・・カタカナ・・ひらがな以外にも有るって事かしら・・・・


「はははは~~釜本さん、古文書拝見させてください・・」

「はい、少しお待ちを・・」釜本君の父親が席を立ち、隣の部屋に入って行く。


 少しの時間待っていると、木製の桐箱様の箱を両手に慎重に抱えて、戻ってきた。


「これですじゃ、」父はそう言うと、居間の大きなテーブルの上に静かに置いて、蓋を持ち上げた。

「ま・巻物・・」テレビや映画で見たような巻物に見えた。

「えっこれって・・」

「もっと古ぼけた紙の束だと思ってた・・」恵ちゃん。


「巻物全5巻が隠し棚に在ったのですじゃ」釜本君の父親。

「拝見致します・・」田所先生がそう言いながら、上着のポケットから白い手袋を取り出している。

「田所先生、どうやらこれはコピーのようなのですじゃ・・」


・・・・こ・コピーって・・・そうか・・写本・写本をコピーですか・・・・


「コ・コピーとは・・?」沙耶ちゃんが怪訝な表情見せている。

「元々は原本が在ったようなのですが、神代文字を当時の漢字かな使いに直訳したようなのです?」父が答える。

「ほう~どれどれ・・」白い手袋で塞いだ両手に巻物を取り出して、紐を解きテーブルの上に巻きを広げていく。


初めて目にする巻物だった。


それは沙耶ちゃんや恵ちゃんも同じだった。私達は、食い入るように見つめている。


「なるほど、確かに原本ではないようですね、」じっと見つめながら田所先生が静かに言った。

「どうしてですか、先生?」

「それはね良く見て御覧、巻物は上下二段に分かれているでしょ、上半分は神大文字で書かれており、下半分は、漢字で書かれています・・」

「それが・・」何を言っているのか私には理解できなかった。

「つまりですね、下半分の漢字文章は、現代語ではなく、相当に古い例えばそうですね・・平安時代頃にに書かれた可能性があります・・元の原本が総て神大文字で書かれていたとしたら、読める人間は当時の釜本家の御先祖様しかいなかったので、後世に伝えるために訳本を作ったと考えることも出来ます、研究はこれからです・・」田所先生の説明は解り易かった。


・・・・流石わ先生・・平安時代の漢字なんか読めないわ・・・・


「や・訳本って英文を日本語に訳すようなものですか先生」沙耶ちゃん。

「うん、そうだね・二巻目も広げて見ましょう」と言うと、釜本君の父が二巻目を取り出し、テーブルに広げ並べる。

「二巻目も構造は同じですね・・先生」それまで口を開かなかった釜本君が口を開いた。

「釜本君、写真を撮って下さい・・何枚か角度を変えて全体を撮ってから、4区画に分けて角度を変えて撮りましょうか・・」こういうのは慣れているらしく平気な表情をしている。


 借用出来ない以上、写真が研究の元になる。デジカメで撮って、パソコンに取り込んでからの研究となる。失われるわけにはいかない。








この時の経験が、私を、神大文字の世界に誘うとは、この時点では全く知りもしなかった。







 

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