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茨城政府  作者: 篠塚飛樹
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侵入

「各国からの反応はありますか?」

 午前7時。篠崎は一同を見回す。6時頃配られたおにぎりを食べ終え、多少生気が戻ったかに見えた面々に疲れの色が戻っている。無理もない。ここにいる人間は、仮眠をとったとしても長くて2時間。しかもあれからずっと緊張の連続だった。

 県内に4校ある大学、その政治、国際関係、そして外国語の専門家を急遽召集して作成した「独立宣言」は、突如この場に発生した茨城県が戦前の日本、つまり大日本帝国とは無関係であることを強調し、以下の点を宣言した。

・我が国は他のいかなる国とも交戦状態にはない

・我が国は平和的な国際関係を希求する

・我が国は高度な技術力を有しており、我が国に対するいかなる武力干渉も無意味である

・我が国は、世界平和に貢献することを存在目的とする

とにかく、すぐにでも起こりうる米軍の攻撃を躊躇させ、孤立無援な茨城県をどうするか、そこに重点を置いた、いわば茨城県の生存確保のための宣言。日米ともこれを無視していきなり攻撃してはこないだろう。この宣言が届いていれば。の話だが。

「今のところ、反応はありません」

 総務部長の笹塚が力無く答える。

「わかりました。笹塚さんは、10時からの公聴会へ向けて、仮眠をとってください。資料は9時半までに整理しておくように川崎部長に頼んであります」

 公聴会といってもこの現状を説明された議員からは、不安と不満しか出てこないだろう。紛糾する事が見えている。理論的で、各種規定、条例が頭に入っている笹塚でも苦戦するだろう。何しろ分からないこと、予測不明なことだらけなのだから。

「ありがとうございます」

 資料をビジネスバックに入れた笹塚は立ち上がり一礼すると、周囲に頭を下げながら休養室へと向かった。危機対策本部のあるこのフロアには、日頃は各部課の宿直が利用する宿泊設備がある。これらの設備は、有事の際に危機対策本部の関係者が利用できるよう、収容人数を多く設定している。

 篠崎は、他のメンバーにも休養を取るように進め、自らも進展があったら呼び出すようにと、辛うじて交代体制がとれている情報担当の職員に託して浴室へと向かった。

 

 *


「ちょっと!なんなんっすか!コレ!嘘でしょ」

NHK水戸支局、涼しげな淡い水色のブラウスにアイボリーのプリーツスカート姿の秋子が声を荒げ、床を蹴るヒールの堅い音が響く。女子アナという言葉を定着させた民放に取り残されてきた公共放送機関で、清楚形女子アナとして最近『地元で』注目され始めた森秋子の本来の姿にディレクターが苦笑いを浮かべる。

「まあまあアキちゃん。せっかくのイメージが台無しだよ」

「イメージって言ったって、あたしゃどうせローカルの女子アナですからっ!」

秋子は、もう一度力任せにヒールを床に叩きつける。

「あー、もう!昨日の飛行機事故で全国デビューのハズだったのになー、っていうか、この記事なんなんっすか?意味が全然わかんないんですけどぉ!ホントにこんなこと言っちゃっていいんですか?」

「そうだよね。いきなりこんなこと言われてもねー。茨城がタイムスリップとか、独立だとか…ましてや空襲警報だなんて」

ディレクター兼デスクの久保が短く刈り揃えたロワイヤル髭の顎を指でさする。何かアイデアを考えるときの仕草。久保のパフォーマンスだと断ずる中年男性も多いが、女性職員たちからはセクシーだと話題になっている

「あっ、」

「えっ?」

指をパチンと鳴らし、まっすぐ秋子を見る久保に、身体を逸らせるように半歩後ずさる秋子。

「アキちゃん、こんなネタ、放送始まって以来のネタだと思わない?」

秋子が体制を立て直したのを待ってから、久保は一歩踏み出して人差し指を秋子の前に差し出す。

「だってさ、放送局が、しかもウチみたいな公共放送が『タイムスリップ』なんてニュースを流すんだぜ。歴史に残るぜー。令和の一大ニュースとして、ことあるごとに必ずこのニュースは放送されるはずだ。何なら令和の次の、そのまた次の年号になっても、『令和の重大ニュース』とか言って放送される」

間違いなく。と頷いて久保は秋子の肩に手を置く。

「アキちゃんは間違いなく令和の顔になるぜ」

「それもそうね」

悪戯っぽい笑顔を浮かべ、キャスター席へ向かう秋子に軽く手を振った久保は、カメラや音声スタッフに振り返って親指を立ててウィンクした。

「1分前ー」

久保の声がスタジオに響いた。

 

 ※


 水戸駅の朝のラッシュは、早くから始まり、長く続く。

 仙台から太平洋沿岸を通り上野に至る東日本鉄道の常洋線を利用し、近隣のひたちなか市や日立市へ向かうメーカー関係者、1時間以上かけて首都圏へ通勤するビジネスマン、そして学生たち。あるいは、年々減少しているが、ここで降りて職場や学校へ向かう人々。

 福島県の郡山駅から県北地域を巡り水戸に至る奥久慈線や、鹿嶋市から太平洋沿岸を北上し水戸にアクセスする鹿島線、そして無数のバスの客が、思い思いの方向に流れてゆく。

 エスカレーター、階段、そしてホームの旅客の安全に目を配りながら、スティック型のマイクが下りホームにセットされているのを確認した当直駅長の清野助役は、スイッチを押し込む。

「水戸から北へ向かうお客さまにご案内いたします。昨日出現した『白い壁』の影響によりまして、大津港駅にて折り返し運転を行っております。これに伴いまして、行先の変更、運休などが発生しております。詳しくは、駅の掲示及び、当社ホームページをご覧ください。ご不便をお掛けし、申し訳ございません」

 2回繰り返し放送した清野は、助役であることを示す赤い帯の入った制帽を被り直し、スイッチを上りホームに切り替えたのを確認し、線路の向こう側のホームの流れを見る。

「水戸から南へ向かうお客さまにご案内いたします。昨日出現した『白い壁』の影響によりまして、取手駅にて折り返し運転を行っております。これに伴いまして、行先の変更、運休などが発生しております。詳しくは、駅の掲示及び、当社ホームページをご覧ください。ご不便をお掛けし、申し訳ございません」

『白い壁』って何だ?詰め寄る客は殆どいない。

 昨日、閃光と共に県境付近に突如出現し、ニュースやネットを賑わした壁、関連性は不明だが、これを境に様々な現象が発生している中、県知事が原因は不明だが『白い壁』と呼ぶことを宣言した今、流れを止めてまで駅員に『なぜ』と問うことの無意味を皆が悟っているように。或いは、残された『通勤』という数少ない日常を守りたいのかもしれない。

「疲れた…俺だって何が起きてるのか知りたいよ」

 昨日の朝から勤務し、この異常事態による行先変更や運休の対応で、仮眠もとれていない。支社からも一斉メールで『白い壁』と案内するように示達されているが、一連の異常事態に関する情報は皆無だった。もう少しで勤務終了だが、きっと、帰れないだろう。

 深いため息をつこうと息を吸い込んだ時、ポケットの業務用携帯が大きなチャイム音を鳴らす。

水戸市の防災訓練でしか聞いたことのない音色がホームのあちこちから鳴り始め、人々は立ち止まって思い思いにスマートホンを取り出す。転んだ人がいなかったのは幸いだった。呆気にとられたのか、辺りがシンと静まり返っている。

『空襲警報。空襲警報。

直ちに頑丈な建物や地下に避難してください』

清野はガラケータイプの携帯電話の画面を閉じてポケットに仕舞い込むと、マイクのスイッチを全館放送に切り替える。呆気にとられている客が次の行動-パニック-に移る前に伝えなければならない。

「お客さまにご案内申し上げます。ただ今、空襲警報が発令されましたが、この駅舎は頑丈な建物です。慌てることなく、どうかその場でお待ちください。駅員が案内に伺います。繰り返します…」

 清野は、トランシーバーを取り出し、案内要員の派遣を指示するとともに、『白い壁』事象により駅に詰めている駅長を無線に出すように伝える。

職業柄か?それとも性格なのか?いや、これが鉄道員魂なのか?頭に血が上るというか、全身がかーっと熱くなり、マイクを持つ手が小刻みに震えている。イメトレさえしたことのない空襲警報の放送も噛むことなくできた。大震災、大型台風、そういう感覚が入社以来何度かあった。

『おう、清瀬どうした?今、みんなを案内に向かわせたぞ』

-あ~、喉が渇いた、今日は誰が一緒に行ってくれるんだ?-

夕方になると職場の日勤者を誘う、いつも飲みに行くことばかり考えている駅長の声には張りがある。この人も殆ど寝てない筈だ。

「駅ビルですが、」

『はー、はっはっ、ビル開発には開けるように頼んどいたぞ。あいつは、昔、俺が指令室にいた頃…』

「ありがとうございました」

そう言って清野は、まだ終わらぬ駅長の昔話を語るトランシーバーをポケットに突っ込んだ。

「業務放送、業務放送、駅係員は、お客さまを駅ビル内に誘導。乗務員は、お客さまを降車案内。繰り返します…」

 こういう時は、どうするつもりなのかを知らせておいた方が案外パニックにならずに済む。清野は静かになったトランシーバーで信号担当に乗務員への降車案内を無線連絡するように指示すると、自らも客の誘導を始めた。



「タリホーターゲット11オクロック・ハイ(目標視認、11時方向上方)マジか!」

 F-2B戦闘機の前部座席で操縦桿を握る鳥谷部の声が興奮気味に叫ぶ。

 F-2Bは、F-2戦闘機の復座型つまり2人乗りにしたタイプで、前後にパイロットを乗せることができる。操縦桿などの操縦装置は、前後両方の席に付いており、訓練も行うことができる。ちなみに単座型(1人乗り)はF-2Aと呼ばれている。F-2Bは、2人乗りになった分キャノピー(風防ガラス)が後ろに伸びた形状をしている他はF-2Aと同じだ。

「あれは、B-29だな、堂々と内陸を飛んでくるとは、舐められたもんだ」

 千葉方面から真っ直ぐ筑波山を目指して飛ぶ銀色の機体に後部座席の石山司令が呟く。

「やっぱあれ、B-29っすよね。やっぱ、タイムスリップしちまったのか」

 鳥谷部の声に諦めの色が滲む。

「百里タワー。マンモス01。ターゲットはB-29。機数は1機。利根川を越え、筑波山方向へ向かっている。速度190ノット(約350km/h)高度30,000フィート」

 鳥谷部が報告を終える。

 通常2機で緊急発進するところを、復座型のF-2Bを1機で迎撃させたのは、石山司令の考えだった。まずは、レーダー上で敵が1機だったこと、本当にタイムスリップしていた場合、今後燃料を節約しなければならないこと。そして、復座機を飛ばして空自責任者の石山司令を乗せていれば、その場で判断、指揮を執ることができる。狭い空域で初の迎撃戦、一瞬の指示待ちが破滅へと繋がる。

「てことは、焼夷弾や、原爆…」

 鳥谷部の声が詰まる

「げ…撃墜しますか?」

 石山は瞬時に頭を巡らす。B-29の単機行動は、原爆投下か、高高度偵察。原爆は今、と呼べばよいのか複雑だが、1945年4月の時点では、まだ太平洋に存在しない。

「あれは、偵察型F-13と思われる。多分、県の独立放送を聞いて様子を見に来たんじゃないか」

「えっ、あれが偵察機ですか?ギラギラして目立ちますよ」

 光沢のあるジュラルミン無地の銀色。光を乱反射するB-29に機体を向けた鳥谷部が呆れ声をあげる。無理もない、レーダーやセンサーが発達した現在でも、最終的には黙視による戦いになる。空で目立たない迷彩塗装は空自に限らず、世界中で研究されている

「見つかっても撃ち落とされない自信があるのさ」

 石山は酸素マスクの中の口元を歪め続ける。

「昨日水戸に墜落したP-51の写真を見たろ。あれも無塗装の銀色だ。圧倒的な工業力をもつアメリカが、金がなくて色を塗らない訳じゃないあるまい」

「舐めやがって」

 鳥谷部が自分のことのように悔しがる

「ということだ、煽り運転して、チビらせてやれ。ただし、機銃があるから800m距離をとって。まずは音速でヘッドオンしてソニックブームを味わってもらおうぜ。写真は俺が撮る」

「了解」

 鳥谷部は、高度を上げながらアフターバーナーを点火する。身体がシートに押し付けられ、体内のあらゆる物が斜め下に引っ張られる。

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