出発の準備です①
「異世界で温泉って……どう言う事?」
サフィアの言葉に魔王が応じる。
「うむ。兼ねてから懇意にさせて貰っている、ニコ安のプレゼントキャンペーンに応募したのじゃ」
ニコ安ショップジャパン。魔王がちゃぶ台を注文した、異世界ニッポンの通販会社である。魔王はその会社から数々の家具や調度品を購入し、現在の和室をこしらえたのである。事は魔王が女帝に贈る為のちゃぶ台を注文した時に起こった。
『日頃ご愛顧頂いているお客様に感謝の気持ちを込めて、抽選でペア10組20名様に温泉宿泊券が当たるキャンペーンを行っております! 応募してみませんかっ』
電話受付係の安西さんというベテラン女性スタッフが、溌剌とした声でそう言った。この女性とは、何度も注文の電話をやり取りするうちにすっかり仲良くなってしまい、たまに業務とは関係の無い雑談を短く交わしたりして楽しく過ごすような間柄だった。いくら仲良くなっても決して馴れ馴れしくなり過ぎず、丁寧で親しみのある態度を見せる安西さんを、魔王は心良く思い信頼していた。
「うむ、安西さんがおすすめするなら、応募してみます」
『はい! 是非! 私、当たりますようにぃ~(ここで少し力む)って、御祈りしておきますね!』
「うむむ何と、祈祷をして頂けるのか。それはかたじけない」
茶目っ気のあるやり取りをして、お互い電話の向こうで微笑み合う。その後安西さんは応募要項を魔王に説明し、魔王は説明して貰った通りにキャンペーンに応募した。その後魔王の作り出した偽りの住所に郵便が届き、封を開けてみれば見事に温泉宿泊券が同封されていたのである。宿泊券は二人分であったが、人数が増える事を事前に申し込み、その分の料金を支払えば、部屋数が許す限り何人でも泊まって良いらしい。
魔王は早速勇者達を誘う事にした。メンバーの中でサフィアだけ女性なので、一人になってしまうのはつまらないだろうと、仲良しの黒魔女とサキュバスも呼び、ついでに異世界へ向かう為の準備を託す。すると二人はあっという間に異世界について情報を集め、きっちりとした打ち合わせの場を設けたのであった。
「それではこれから、出発の為の打ち合わせをさせて頂きます」
黒魔女がキリリとした表情で一礼する。
出発日の一週間前。魔王に呼び出された勇者達四人は、玉座の間の片隅で魔王、黒魔女、サキュバスの三人と向かい合っていた。
黒魔女は純白でつるりとした素材の立て板の様な物――ホワイトボードという――の前に細い金属の棒を持って立ち、すぐ横にサキュバスが、少し離れた位置に魔王が腕組みをして立っている。
ホワイトボートとやらには当日の予定と思しき時間割と、『異世界での設定』という題名で各個人の名前と『設定』の詳細が書き連ねてあった。
横一列に並んで、つられた様に一礼した勇者達が顔を上げ、不思議な顔で黒魔女を見る。
「……何か、いつもと服装が違うわね?」
そう言って無邪気に首を傾げるサフィアに、他の三人も同意する。黒魔女は普段、つばの広い漆黒の帽子と漆黒のローブと言う出で立ちだったのだが、今日は違う格好をしていた。縦線の入った白いシャツに黒い上着、下は体にぴったりとくっついた筒の様な黒いスカートを穿き、黒いハイヒールという姿だ。灰色を帯びた茶色――所謂アッシュカラーのロングヘアを一纏めにして首の後ろで団子状に束ね、銀のフレームの眼鏡までかけている。化粧も普段は濃い紫のアイシャドウに赤黒い口紅なのだが、今の目蓋は薄い青色に塗られ、唇も綺麗な紅色になっていた。
「ええ。これから行く異世界に合わせた格好なのよ。皆さんにも用意してあるので着て貰うわ」
眼鏡の渕を手で軽く持ち上げて、黒魔女はまたキリッと言い放った。
「えーとその、服以外にも何かいつもと様子が違うっていうか」
タルケットが黒魔女の顔をまじまじと見つめながら口走る。
「これは……そうね、役に入り込んでいるの。出来る秘書っぽい感じに、ね」
黒魔女はそう言ってうふふ、と微笑む。その色っぽい笑顔を見たタルケットは、見事なまでに鼻の下を伸ばして頬を赤らめ、一言「いい……」と呟いた。
「あたしのも異世界の格好だよお」
サキュバスがいたずらっぽい顔つきで片目を瞑る。サキュバスも普段は黒くて露出度の高いレザーアーマーなのだが、今の服装は尻が隠れる丈のVネックの白いニットチュニックと、やたら短くぴったりした青い生地のショートパンツに、膝上まである長い茶色のブーツだ。プラチナブロンドの、肩甲骨までの長さのウェーブヘアをフワフワと揺らし、ハートを象った髪飾りを耳の上の所で止め、ほっそりした首元には金の鎖のチョーカーが光っている。目蓋に薄くのせられた薄紅色のアイシャドウに、ふわっとぼかされたピンク色の頬紅、濃いピンクの唇はサクランボの様に艶やかでふっくらとしていて、まるでフェアリーか天使と見紛う程に可憐だった。
「可愛らしいですね。とても素敵ですよ」
今度はカルナードが満面の笑顔で褒め讃えた。
「ふむ。それが異世界の服なのか」
「すっきりしていて動き易そうね」
他の二人とは違い、フレデリクとサフィアは冷静に意見を述べる。
「じゃあそれぞれ用意してあるので、着てみてね」
「了解した」
「サフィアちゃん、手伝うよお」
「ありがとう。楽しみだわ!」
かくして数十分後、着替え終わった勇者達の男性陣は先程と同じ場所で同じ様に一列に並んだ。いつのまにかホワイトボードの横に全身を写す鏡が置かれている。
「うむ。着心地は悪くないぞ」
フレデリクが己の姿を鏡で見ながら呟く。
黒魔女は着ている物の一つ一つの名前を勇者達に説明していった。
曰くフレデリクの服装は、細身のブラックジーンズ、白い長袖Tシャツ、モーヴと言う灰色がかった薄紫色のパーカー、その上に黒い革のライダースジャケットを重ねており、足元はヴィンテージ加工の革靴。
「おいらのは何て言うんだい?」
フレデリクの横でタルケットが羽織った上着を盛んに撫でながら聞く。タルケットは白地に黒い線で落書きの様な絵が描かれた長袖Tシャツの上に、やたら軽くてフワフワの、つるりとした生地の黒いジャケットを重ね、下は青いデニムジーンズを穿き、足元は防寒タイプのスニーカー、耳に赤い耳当て、首には赤、黄、緑が縞模様になったカラフルなマフラーを巻いていた。
「タルケットさんが着ているのはダウンジャケットと言うのよ」
黒魔女が説明をする。
「これは暖かくて良いですね!」
カルナードはタートルネックの黒いセーターと茶色のコーデュロイパンツ、黒のサイドゴアブーツを履き紺色のピーコートを身に付け、コートのポケットに手を入れてニコニコしている。
黒魔女が「試しにかけてみない? 度は入ってないから」と差し出した黒ブチの眼鏡をかけると、まるで始めから着けていたかの様にしっくりと馴染んだ。
「ほおー」
「似合うぜ、カルナード……何か知らんがすっげぇ似合う」
「うむ、カルナード殿の良さが強調されたようじゃ」
「そ、そうですか?」
鏡を見ながらカルナードが照れている所に、サキュバスが「お待たせしましたあ~」とテンション高めに言いながらサフィアを連れて来た。
上は白いモヘアのニット、下は濃い青色の地に花柄のミディ丈フレアスカート、素肌っぽい色のタイツに茶色のショートブーツ、コートは襟、裾、袖口に白いファーがあり、胴の所が細く裾が広がった形のペールブルーのダッフルコート。
腰まである銀髪はそのままで、ロイヤルブルーのリボンがついたカチューシャを被り、耳朶には青い石のイヤリングを付けている。
化粧は唇に光沢のある桜色を入れてあるだけだったが、ほんのり頬を染め、長い睫毛を瞬かせるサフィアはそれだけで十分に美しかった。
一同は目を見開き一斉に「おおっ」とどよめいた。黒魔女が眼鏡をくいっと上げて会心の笑みを浮かべ、サキュバスはしてやったりな笑顔を浮べながら鏡をサフィアに向ける。サフィアも鏡に映った自分の姿を見て「やだっこれ私!?」と驚きを隠せない。
「なっ何か、お姫様みたいな格好で気が引ける……」
顔を真っ赤にしながらそう言うサフィアに、全員が同時に「いや、確実に似合ってる!」と言い切った。
顔を真っ赤に染めたサフィアにサキュバスが「かわいいよお〜!」と叫んで抱きつき、頭を撫で回す。魔王はその様子を微笑ましく見守っていた。つと、黒魔女がそんな魔王に向き直り、目を輝かせて口を開く。
「さあ、最後は満を持して魔王様です!」
「うん?……おお、そうであった。すまぬ。勇者達の姿に見蕩れて、忘れておったわ」
「御召し物は和室に御用意しております」
「了解した」
「それで……恐れながら魔王様にお願いしたき事が御座います」
「うむ?」
「実は今の御姿では、異世界に赴かれるのには少々障りが御座います」
「障り……そうか、この姿のままではな」
青黒い顔に深紅の凶眼。黒髪がざわざわと揺れ頭から角が一本生えている、黒いオーラを纏った巨体。確かに、このまま行ったらとんでもない騒ぎになる。
「はい。なので、御姿とサイズを一般的な人間と同じ風に変えて頂きたく……」
「うむ。勿論である。よくぞ言ってくれたぞ黒魔女、礼を言う。儂だけでは気付かなかった」
「有り難き幸せ!」
黒魔女は心底嬉しそうに一礼をすると、和室へ向かう魔王を見送った。
しばらくして、変化と着替えを終えた魔王が勇者達の前に姿を現した。
「はい!? どちらさん!?」
タルケットが開口一番、こう叫ぶ。榛色の目は全開に見開かれ、その顔には驚きを越えて、最早戦慄が走っていた。カルナードとサフィアもそれぞれ口に手を当て自らの叫びを封じ込める。
フレデリクだけが「へ〜」と感心した様に腕を組んで魔王を凝視する。
「む……な、何かおかしいであろうか?」
魔王は先程から散々他人のイメージチェンジを見ては手放しで驚いたり微笑んでいたが、自分の番になると途端に恥ずかしくなったとみえ、居心地悪そうに肩を縮ませて緊張の汗を流した。
勇者達の軽く二倍はあった魔王の巨体は、フレデリクよりは少し大きい程度になっていた。青黒かった肌もちょっと浅黒い感じに変わり、角は消え、実は良く見ると尖っていた耳も丸くなっている。目は禍々しい赤から黒い色になり、黒髪はそのままだったが、ざわざわと蠢いていた様子は押さえられ、ただの硬い髪としてオールバックに撫で付けられていた。
高い鼻と彫りの深い顔、濃い眉毛と長い睫毛。肌の色を変えただけで何やら砂漠の国にいそうな、所謂エキゾチックな男性になってしまった。
そんな彼が着ているのは、取り立てて変わった風でも無い、勇者達と似た様な物であった。
赤いネルシャツ、ブルージーンズ、ムートンジャケット、ワークブーツ。しかし今まで見慣れていた魔王の違い過ぎる変化に、勇者達はおろかサキュバスや黒魔女までもが言葉を無くし、ただ呆然と見つめるしかなかった。
「す、素晴らしいです! 魔王様!」
真っ先に沈黙を破った黒魔女は感動に胸を震わせた。サキュバスは「いつもの御姿も素敵だけどこの御姿もいい……」とうっとり囁いた。
「バラちゃん?……バラちゃんなんだよな!?」
タルケットがそう言ってにじり寄ると、魔王は先程のサフィアよりも顔を真っ赤ににてコクンと頷いた。
「人間に変化ですか……それにしても凄い……」
「……確かに。ドラゴンとかに変わるよりも衝撃度が大きいわ。いや、私だってあれくらい」
「あー、サフィアは今のままでいてくれ。……もっと見ていたい」
「やだフレデリクったら!」
恋人同士のじゃれ合いが始まりそうなのを見て、反射的にタルケットが大きな咳払いをした。その声に黒魔女がハッと気付き、再度眼鏡を持ち上げて始めの頃のキリリとした表情に戻る。
「えー、魔王様の御召し替えが御済みになりましたので、これで全員、服装が整いました。次は異世界で行動する為の設定を御説明致します」
……もうね、服装のセンスが無いのは分かってるんですよ。ええ。海外の方のコーディネート画像とか必死こいて調べまくりました。……もう女性キャラのなんて「どうしたらいいんじゃ」状態でしたわ。