皆さんが来てくれました!
女帝の合図で二人の騎士が同時に攻撃を仕掛けて来た。
バラサークは眼前に迫る二振りの段平を見つめ、それらを指先で摘んで止めようと、両手を上げかける。しかしその刹那、魔王と騎士達の間に光の壁が出現し、両者の激突を阻止した。
「一体どう言うつもりだ? 大神官」
女帝が振り返らずにそう言った。
女帝の背後――部屋の入り口で、カルナードが片手で印を結んでいた。法術『光の障壁』を発動したのだ。その表情はさっきと打って変わって厳しいものになっており、女帝の背中を睨んでいる。
「アディネーラ様こそ、一体どうなされたのでしょう?」
カルナードは表情を変えず、問いを返した。
「女帝ともあろう御方が、この様な短慮な振る舞いをなさるとは」
その言葉に女帝のこめかみがピクリと引き攣る。二人の騎士と、魔王までが引くぐらいの怒りのオーラを漂わせ、女帝がゆっくりとカルナードを振り返った。
「短慮な振る舞い……だと?」
「ええ。その上言動が矛盾しておられます。『聞きたい事があって来た』と仰ったばかりなのに、質問をなさっておりません」
カルナードは女帝の怒りなど微塵も感じていない様子で、それどころか半ば説教じみた口調で言葉を続けた。
「礼を持って迎え入れ、聞きたい事があると言われて耳を傾けてみれば、突如いわれの無い事で剣を向けられる。これでは余りにも理不尽が過ぎましょう。私の知る聡明なアディネーラ様は何処に行かれたのか。嘆かわしい事です」
こいつただの人間じゃねぇ! バラサークと騎士達は同時に心の中で叫んだ。
青ざめる三人がそーっと目をやると、怒髪天を衝くかと思われた女帝の様子が変化していた。驚いた事に「ふっ」と微笑を浮かべている。
「……相変わらず無礼な奴だ。しかし一理ある。此度は非を認めよう、大神官」
はらはらしながら見守っていたバラサークと騎士達は、ほっとして何となく互いを見やった。今の三人の連帯感たるや、結成十年の冒険者パーティーも吃驚である。
「魔王よ。相済まなかった」
女帝は素直に非礼を詫び、魔王は重々しく頷いた。
「一国を背負う御方ならば、その様な御気持ちを持たれるのは致し方の無い事であろう」
「……お前は確かに、ただの邪悪な魔物とはひと味違う様だ……大神官から『友となった』と聞いた時は悪い冗談と思ったが。そ奴が正気を失っているなら至高神が黙ってはいないだろうから、正真正銘、真実なのだな。であれば民衆と勇者達を騙したなどと、下らぬ事を言うのは止めておく。……が……」
女帝は両手を固く握りしめ、仁王立ちで魔王を睨みつけた。
「……だがこのままでは終わらせぬ。帝国の長として、終わらせてはならぬのだ! 皆の者、表へ出よ!」
女帝のある意味漢前な台詞を聞いて、騎士達やバラサークは自然に体が動いた。
カルナードも女帝の思惑を予期していたかの様に、小さく溜め息をついて戸口から離れ、女帝や騎士達を先に歩かせる。バラサークが部屋から出て来ると、横に並んで歩き、改めて頭を下げた。
「ごめんなさい魔王。この方の事、すっかり忘れてました。一番やっちゃいけない事でした……」
「うむ、儂もである。確かに、真っ先に和平交渉を持ちかけるべきであった」
現実は悪の親玉と勇者の話し合いだけで済むものじゃなかった。カルナードがガリガリと頭を掻いてぼやく。
「あーもう面倒臭いなぁー」
「うむ……この事態、どうすれば良いであろうか……」
「……どう考えても簡単には終わらなさそうです……」
「……」
魔王が勝ったら軍隊連れてきそうだし、負けたら負けたで、迷宮を潰すまで許さない気がする。
魔王と大神官は一緒に溜め息をついた。
対決は和室を出てすぐの所。
魔王の和室は玉座の間に、まるで異世界のテレビ番組で見た撮影セットの様に建てられている。玉座の間は青く光る結晶石のブロックで作られており、玉座とそこへ上がる為の短い階段は、和室を建てる為に取り払われていた。
魔王バラサークは結晶石の壁に手をかざし、空間を少し広げた。騎士達とは和室から離れた所で戦わねば、と思ったからだ。もし彼等の攻撃が広範囲に及んだ場合、和室は木で出来ているから簡単に壊れてしまう。
二人の騎士は殺気を漲らせ、段平を構えている。バラサークはちょっと残念に思った。何となく、仲良くなれそうだったのに……。
「魔王バラサークよ……如何に過去の事とても、我が帝国に厄災をもたらし、民を苦しめた事を許す事は出来ぬ。その身を以て償ってもらおうぞ。掛かれ!!」
女帝がドスの効いた声で命令を下す。
騎士達が段平を振りかざし、猛烈な勢いで攻撃を仕掛けて来た。
バラサークはそれを直立不動のまま、無表情で見つめながら、受け入れようとして――。
剣が剣で弾かれる、甲高い金属音が空間に響いた。
「おい、誰に断って魔王と戦っている?」
魔王の斜め前に、身軽な格好の剣士フレデリクが立っていた。その手にはヒヒイロカネの剣が握られている。フレデリクは攻撃を弾かれ狼狽えている騎士達を睨みつけ、不機嫌な声でこう言った。
「魔王を倒すのは俺だ。勝手にちょっかいを出すな」
「フレデリク……!」
女帝も狼狽えた。カルナードは知っている。女帝は、この良くも悪くも単純明快で裏表の無い剣士フレデリクが、大のお気に入りであった。
(ナイスタイミングです、フレデリク!)
カルナードは小さくガッツポーズをかました。そうとは知らないフレデリクは女帝に気が付くと、剣を肩に乗せ、ポンポンと軽く叩きながら片手を上げた。
「おお、女帝! 久し振りだな、元気か?」
最強の剣士は御偉いさんでも御構い無しにそう言って、輝く様な白い歯でニッコリと笑った。すると別の所から涼し気で麗しい声が聞こえた。
「失礼よフレデリク! ちゃんとした御挨拶をしなさい!」
声のする方にいたのは魔導士サフィアであった。
「サフィ……ア……」
女帝が今度は優しい声で呟いた。心無しか切な気に、両手を胸に当てている。
カルナード達は知らない。サフィアはずばり、女帝の姪である。女帝の弟とハイエルフの女王との間に出来た子供なのだが、サフィア自身もその事を知らない。立場がどうの、国がどうのと色々悶着があって、とあるエルフの賢者に預けたまま知らせず終いなのであった。だから女帝は、サフィアに物凄く引け目を感じている。
そうとも知らずにサフィアは、女帝の前で片膝を突き頭を垂れた。
「どうか剣士の御無礼を御許し下さい、アディネーラ様」
(ううっサフィアっそんな事しないでおくれっ!)
そんな心の叫びを飲み下し、女帝が「よい、気にするな」と笑顔を作る。……難儀な御方である。
「無礼とは思わんぞ。俺が倒すと決めた目標に、勝手に横から手を出すのはいくら女帝でも許せん」
フレデリクはあっけらかんとそう言ってのけ、剣先を騎士達に向ける。
「どうしても横取りしたくば、まず俺を負かしてみろ」
周囲の者達には一目で勝敗の予測がついた。片や鎧も付けない服装で気軽に、まるで準備運動でもするかの如く力を抜いた姿勢で立つフレデリク。片や重武装の二人掛かりで構える騎士達。しかし圧倒的に気圧されて、身動き出来ずにいるのは後者であった。二人の騎士は剣を交える前から負けている。
(そう言えば、普段は色々とアレですが、フレデリクは剣士の中で最強でしたねぇ……)
カルナードが密かにそう一人ごちた。
そんな気の抜けた空気を読んだ様に、「お~~い」と更に間の抜けた声が聞こえた。見ると大勢の人間がぞろぞろと、壁に開いたワープ門の方からやって来る。先頭はタルケットだ。妙ににやけている。
「バラちゃーん、みんな連れて来たぞー」
「何と……!」
バラサークは目を見開いた。それはかつて魂の状態から生き返って貰った人々であった。皆それぞれに「魔王さーん」「久し振りー」と手を振っている。
彼等は小走りに女帝の前に集まって膝を突くと、呆気にとられている女帝に向かって一斉に頭を下げた。
「アディネーラ様! お願いです、魔王さんを許してやって下さい!」
「な、何を申しておる!?」
女帝が更に狼狽えていると、サフィアが民衆側に移動して、相変わらず片膝を突きながら滔々と訴えた。
「わたくしからも切に御願い申し上げます。魔王バラサークは今や過去の行いを深く恥じ、悔い改めている所存に御座います。かつての邪悪な心の一切を捨て去り、平和を愛し、民衆との交流に心を温め、あの様に涙を浮かべる程。どうかアディネーラ様の広き御心で、償いに生きると言う道をあの者に御与え下さい」
女帝は魔王を見た。驚いた事に魔王はその恐ろしい顔を情けなく歪ませ、真っ赤な目をウルウルさせて涙ぐんでいた。
「皆さん……儂の為に……!?」
口に手を当て、感極まってふるふるしているバラサークに、人々が笑顔で囃し立てる。
「だって約束したじゃないですか! 遊びに行くって」
「泣いてんの? へへっ魔王さん、意外と涙脆いよねー」
「タルケットさんが教えてくれたんですよ! 魔王さんが困ってるって」
それを聞いて、えっ!? とサフィアがタルケットを見る。
「遊びに来たらカルナードと女帝様がいて、何かやばい雲行きでさ。こっそり地上に戻ってこの人達連れて来たんだ~」
などと白々しい笑顔で言ってのけ、カルナードにサムズアップする。カルナードはそれを見て笑顔で青筋を立てた。
「ほぉ……つまり私がいるのに声をかけないでこっそりその場から逃げたんですね? 成る程、成る程……後でちょっと話し合いましょうか、タルケット」
女帝は最早言葉を無くし立ち尽くしていた。サフィアが跪いたまま顔を上げ、女帝をひたと見つめる。
「アディネーラ様。魔王がこの先、再び悪事を犯すのではと御心配でありましょう。わたくしも同じに御座います。なので魔王の事はわたくし共に御任せ下さい。先程御覧になった様に――」
サフィアはフレデリクに視線を送った。
「剣士フレデリクは魔王をいつでも倒す気でおり、その為に日々過酷な修行を続けております。そうでしょうフレデリク?」
「おう! 俺は魔王を倒す為に毎日強くなっているぞ!」
「この様に申しております。わたくし共はこれからも交流を図りつつ魔王を監視し、怪しき事があれば即刻、手を下す所存に御座います。どうか魔王の身柄をこの四人に託す、と御命じ下さい」
「う……ぬ……」
女帝は正に陥落寸前だった。サフィアの言う事はもっともらしく、十分に納得出来る。しかし何か色々有耶無耶にされている気もする。このまま許すのは駄目だと言う気持ちが、可愛く不憫な姪の願いを聞いてやりたい気持ちに押され、崖っぷちに片手でぶら下がっている心境だ。
そんな女帝に意図的なのか無意識か、サフィアは不安気な眼差しを送り、とどめの一言を口にした。
「……わたくしの言葉を、信じて頂けないのでしょうか……」
ズキューン。女帝の心臓が見えない何かに打ち抜かれ、心の中の崖から彼女は手を離した。
「い、いや信じる! 勿論そなたの事を信じているぞサフィア!」
女帝は慌ててそう言い放つと、これではいかんと頭を横に振り、姿勢を正した。
「……分かった。我の負けだ。魔王はそなた達勇者に預けよう」
気が付くと、いつの間にやらカルナードとタルケットがサフィアの横に来て、神妙な顔で跪いている。フレデリクが剣を収め、二人と反対側の、サフィアを挟む位置に来て同じく跪くと、堂々とした態度で口を開いた。
「その御言葉、しかと聞き受けた。剣士フレデリク、魔王の所業を正しく見極め、いざと言う時はこの命に代えても世界を守り通そう」
「同じく。魔導士サフィア、この命に代えても」
「大神官カルナード、命に代えても」
「大盗賊タルケット……おいらの命だと御安う御座いますかね?」
「いや、決して安くはないぞ大盗賊よ。……うむ、では魔王はそなたら四人に任せた。くれぐれも監視を怠るでないぞ」
四人は同時に「はい!」と答えた。