お世話になりました。
翌朝。
すっきりと目が覚めた魔王は、布団から上半身を起こし、思い切り伸びをした。
他の三人も同じタイミングで目が覚めたらしく、それぞれが着崩れた浴衣姿や寝癖の頭でモゾモゾと起き上がり、互いに挨拶を交わし合った。
「うーん、よく寝た……おお、おはよう! 魔王、タルケット、カルナード!」
「フワァァァ〜イおはよーさぁ〜ん」
「お早うございます、皆さん」
「うむ、三人共、お早う。ではカーテンを開けようぞ」
魔王が立ち上がり、カーテンを引いた。窓の外はスカッと気持ちの良い青空で、眩しい朝の日差しが部屋の中に降り注いで来る。
「グワァァァァァーッ! は、灰になるぅーッ」
「お前はヴァンパイアかっ」
日差しを浴びたタルケットが、悶え苦しむフリをして布団の上を転げ回る。すかさずフレデリクがツッコミを入れたが、変な所で冗談の効かないカルナードは「浄化が必要ですか?」と真顔で法術の印を結んだ。
慌てたタルケットが布団から真上に飛び上がって小さく宙返りを打ち、両腕を斜め上にピシッと伸ばした姿勢で綺麗に着地して、「いえ結構です! はいこの通り生者に戻りましたっ!」と声を張り上げる。
魔王はそれを見て思わず盛大な拍手をしてしまい、フレデリクも魔王につられて「……お、おお!」と頷きながら拍手を真似た。カルナードさえも二人を交互に見た後、「え? 何かの儀式ですか?」と少し遅れてパチパチと両手を打ち合わせる有様で、彼らの朝はよく分からない拍手とタルケットのYの字姿勢で始まりを迎えたのである。
一方サフィアたちは昨晩から、クロエの歯ぎしりとサキの寝言とサフィアの寝相の悪さで三つ巴の戦いを繰り広げていた。
「ギリギリギリギリ」
「……かっこいい♡……素敵ぃ〜♡」
ゴロンバタン!
「んーむギリギリギリ」
「……優しい〜♡……面白ぉい♡」
ゴロゴロバタン!
……しかし熟睡していた本人達はお互いその事に全く気が付かず、一切相手の迷惑にはならなかった。その上幸いな事に、旅館の床や壁はしっかりと厚い作りだったらしく、下の階やお隣さんにも聞こえなかった様だ。
そうして無事に朝を迎えた彼女達は、実に可憐な寝起きの表情で淑やかに目覚め、可愛らしく挨拶を交わし合ったのである。
再び魔王達の部屋では、腹の虫の音が元気良く大合唱を響かせていた。
「起きたらめっちゃ腹減ってるわー」
「ああ、俺もだ」
「実は私もです。バラサーク、朝食は何時からでしたっけ?」
「朝食は8時からじゃ。……しかし、何だか恥ずかしいのう」
普段は滅多に鳴らない腹の虫の音に、魔王は困り顔で己の腹部をそっと抑えた。
「魔王様でもやっぱお腹鳴っちゃうんだな。」
「うむ……どうも特大音量で申し訳無い」
「いや、どれも同じだ気にするな」
フレデリクが大らかに笑いながら、魔王の肩をポンと叩く。四人は腹の虫の音と笑い声を部屋中に響かせながら、着替えや片付けを済ませた。
身支度が整った頃にドアが二回ノックされた。
「バラサーク様、起きていらっしゃいますか?」
「おお、クロエか。全員起床しておるぞ」
「お早うございます」
「うむ。お早う。お主達も準備万端の様じゃな。では皆、行こうか」
朝食の場所は昨日と同じ宴会場だった。長い座卓の上に予約者の名前が書いてある。
食事の内容は昨晩の物と比べると少し地味な見た目ではあったが、それでも相変わらず、どれから手をつけて良いか迷う程に品目があり、そしてどれを食べてもやはり美味かった。
真っ白でツヤツヤで、ほかほかの湯気を立てているご飯。熱々の味噌汁。真っ黒い紙の様な味海苔。切り身の焼き鮭。一個丸のまんま置かれた白い卵。黄色、赤、緑の色が鮮烈な漬物。小さな軽い紙カップに入った豆らしき物。
「おい、これ……」
紙カップから微かに漂う、気になる匂い。これは一体何だ?と言いかけて、タルケットは魔王を見た。しかし魔王バラサークはあの頼もしい誠実な笑顔で、深く頷き、勇者四人に説明した。
「これは納豆と言う、大豆を発酵させた物である。良く掻き混ぜ、糸を引かせ、その後にタレとカラシを混ぜ、ご飯にかけて食すのじゃ」
「へー、発酵してんのか……」
「じゃあ食べてみますね」
カルナードが躊躇なく納豆に手を伸ばした。カップから蓋代わりの透明なフィルムを剥がし、納豆に箸を入れ、掻き混ぜ、タレとカラシを入れ、ご飯にかける。他の者達は皆、固唾を飲んで、そのテキパキとした所作を見守った。そして最初の一口。カルナードの顔がみるみるほころぶ。
「……美味しいです!」
それを見て、勇者達は一斉に納豆をかき混ぜ始めた。次の瞬間には各々の顔に納得の表情が広がる。「うん、悪くないぞ」「思った以上にクセになるかも!」「慣れれば大丈夫ね」
しかし、魔王が助言し忘れた事が一つだけあった。納豆は食べる順番に気をつけろ、と言う事である。
「あ、ヤッベェ何これっ」
「は、箸が滑って他のおかずが掴めない……!」
「ぐぬっ急に飯の難易度が上がるとは!!」
「フレデリクも苦戦するほどですか!?」
てんやわんやの朝食が何とか終わり、食後の僅かなひと時を過ごす。
「チェックアウトは十時です。それまでに荷物をまとめておいて下さいね」
「そーかーもう帰るんだなぁ……」
「名残惜しいですね」
「何かやるにしても半端な時間だな」
そこでサフィアがハッと思いついた。
「そうだ、お土産見ていかない?」
「おっ賛成!」
一行は荷物を手に、一階のロビーへと降りた。受付カウンターの向かいには土産物屋がある。
並んでいるのは温泉饅頭や饅頭と同じサイズと形状の黄色いケーキ、チョコレートが挟んであるウエハースと言った菓子から、瓶詰めの山菜や透明な袋に密封された漬物などである。食べ物以外では、ご当地〇〇などと書かれたキーホルダーや三角形を横に引き伸ばした旗の様な物、温泉成分入りの化粧水、といった物が並べられている。
クロエとサキは仲間たちの為に、なるべく入り数の多い菓子を何箱か買い、勇者勢はそれぞれ興味のある物を手に取った。タルケットは魚介粉末が入った薄焼きせんべいや、ミルク味のせんべいの試食を試してから両方とも買う事にした。カルナードは家族への土産にと、温泉饅頭を一箱選んだ。
フレデリクは何故かキーホルダーに興味を惹かれた様で、熱心に吟味した末に、茶色い熊が寝そべっている絵の物を選んだ。単純化された熊の顔は、半開きの口と放心した様な目が何とも気の抜ける様子だった。
「まるでリラックスせよ、と言っておる様じゃな」
魔王が顔を緩ませながらそう言うと、「フレデリクとは一番かけ離れているんじゃね?」とタルケットが笑った。
サフィアは目をギラギラと光らせながら、真っ先に化粧水に手を伸ばした。気がつくとクロエとサキもしっかりとボトルを握っている。彼女達は互いの目を確認し合うと、戦友が交わす様な笑みを浮かべるのであった。
買い物を終えると、一同はチェックアウトを魔王に任せてそのままロビーでくつろぐ事にした。魔王は受付に向かい、宿泊代金の支払いを済ませ、笑顔とともに、心を込めて一言こう言った。
「大変お世話になりました」
「ありがとうございました。またどうぞ、お越し下さいませ」
深々としたお辞儀と笑顔の返礼を受け、一同は旅館を後にしたのである。
「おおっこれ何?」
「それはきなこ棒じゃ」
「これは?」
「これはフエラムネ。笛の様に音が鳴る」
帰りの列車を待つ間、まだ手を付けていなかったオヤツを出して皆で広げてみる。
乗り換え駅の食堂でかけ蕎麦をすすり、始まりの駅に戻って来ると、サフィアは書店へと直行して本を一冊買った。
「色々迷ったけれどこれにしたわ」
両手でしっかりと本を抱え、声を弾ませる。
「私はまだこの世界の事を全然知らない。いきなり高度な物を求めても正しく理解出来ないかもしれない。だからまず、ここから始めようと思うの」
子供百科事典。
「絵解きで字が大きくて見やすいし、色々載ってて面白いわ」
「……一つ、この世界について思った事があるの」
駅を出て街中を歩いている最中、高層ビル群を見上げたサフィアが不意に呟いた。
「この世界の人々は、例え無意識でも、空の上を目指している……そんな気がするのよ」
空は晴れているのだが、どこか濁っている様にも見える。
「上を……天を目指してどうするのだ?」
「どこにでも、神様に近づこうって思う奴はいるさな」
眉根を寄せて疑問を口にしたフレデリクに、タルケットが何かを悟った様な表情で答える。
「ああ、だからかも……この光景、私はあまり好きではありませんでした」
カルナードが少し厳しい表情でそう言うと、魔王が腕を組み、遠くに目をやりながら静かに呟いた。
「あの高層建築は、土地の有効利用と言う名目ではあろうが……無意識下の話であるならば、あながち見当外れでもないかも知れぬな」
そうして彼らは、出発地点であるマンションへと無事に帰還した。
「お帰りなさいませ、皆様」
ウェアウルフがドアを開けて出迎える。
「うむ。ただいま」
「お出迎えご苦労様。変わりはなかった?」
「ああ、大丈夫だ」
「お土産買って来たよぉ〜」
後日、魔王は最深部に巨大温泉施設を作った。贅沢な雰囲気の温泉大浴場から、ひなびた小さな銭湯、はたまた今風のスパリゾートまで完全網羅する欲張りな仕様となっている。
たまに地上の民を招いて賑やかな宴会を楽しんでいると、その噂を聞いた女帝が一度視察に訪れた。何故か悔しがった女帝は、自分の城の、もともとあった豪華な湯殿にもう一つ、和風の湯船を増設したと言う。
サフィアは魔王に頼み込んで、ウェアウルフの使うPCなる物の使用許可を得た。週一回と言う条件の元、ネット検索で異世界ニッポンのことについて色々と調べては、その膨大な情報量に飽くなき探究心を燃やすのであった。
「本当、尽きる事が無い。面白いなぁ……」
ふっと満足の溜息をつき、ウィンドウを閉じる。
「魔導師様、魔王様が晩御飯を御一緒にどうぞ、と……」
奥の引き戸からウェアウルフが顔を出し、サフィアに声をかけた。
「はーい、今行きます!」
サフィアは元気良く返事をして、素早くマウスを操作すると、スリープモードにして席を立った。




