異世界に来ました。
異世界へのドアの先には、不思議な光景が広がっていた。
まず目に入ったのは、灰色の建物の床と壁。そしてガラスが張られたバルコニーの様な構造の通路から見下ろす、ほぼ灰色の街。
見渡す限り、灰色もしくはくすんだ白――もしくは銀色の、妙に角張った背の高い建物が乱立し、微かに曇った空を貫いているかのようだった。建物群の隙間から見える、僅かな木々の緑や道行く夥しい数の人々、それ以上に多いと思える謎の物体の往来が勇者達の目を奪った。
その謎の物体——自動車はそれぞれが様々な色で光沢を帯び、道を一列に並んでびっしりと埋め尽くしていたかと思うと、物凄い早さと滑らかな動きで、建物の間を縦横無尽に駆け回っている。
自動車が走る地面に注目してみれば、遠目からでも土色の部分がほぼ無いのが分かった。人々が歩く道は濃淡の違いがあるだけの灰色で、所々に白い梯子の様な図形が描かれており、その上を一定の時間毎に、一斉に移動している様子が見て取れた。
「何だこりゃ……すげぇな」
「うん……」
フレデリクが呆然と呟くと、タルケットが同じく呆然としたまま同意した。
魔王とクロエとサキは既にこの様子を知っているらしく、冷静に彼等を見守っている。カルナードは眉を顰めて無言で天を仰ぎ、サフィアもまた無言だったが、こちらは明らかに興奮していた。
「ここはとあるマンションの十二階です。下に降りて駅へ向かいましょう」
クロエが勇者達に声を掛け、通路を先に立って歩き始めた。そのまま付いて行くと、四角い扉の前で止まる。クロエが扉の横にある上下二つに並んだ小さいスイッチを押すと、しばらくして甲高い短い音と供に、扉が横にスライドして開いた。扉の先は小さな何も無い個室で、壁の一部が鏡張りになっている。
「エレベーターです。少し浮遊感があるので御注意を」
一同がエレベーターに乗り込むと、クロエがまた縦に並んだスイッチの一番下を押した。するとその小さな個室は微かな音をたてるだけで、何も変化は見られない。勇者達には何が起こっているのか分からないまま、にわかに胃が持ち上がる様な感覚がして、扉横の小さなスイッチが上から順に光っては消え、大した時間も掛からないうちにまた音が鳴り、扉が開いたのだった。
マンションの一階には誰もいなかった。
魔王達は静かなエントランスを通り、自動で開閉する硝子戸を抜け、地上の外へと出る事が出来た。
マンションの入り口を出て立ち止まった一同の目の前を、自動車が横切り走り去って行く。その瞬間、ひんやりとした外気に嗅いだ事の無い匂いを感じ、全員が一瞬だけ押し黙った。
「……何の臭いだこれ?」
「嗅いだ事が無いものですね」
「うむ……これは恐らく排気ガスじゃな……確か自動車から出ているものじゃ」
「自動車! さっき通った、あの馬のいらない四輪車ね!?」
魔王の言葉にサフィアがはしゃいだ口調で反応した。
「あれは四輪車だったのか。足元までは気付かなかった……良く見てるな」
「馬がいらないなんて、どうやって動いているんでしょう? 魔法でしょうか?」
フレデリクが感心した様にサフィアを見やり、カルナードが疑問を素直に口にする。
「魔法ではないと思う。魔力が殆ど感じられなかったから」
カルナードの疑問に早口で答えると、サフィアは切れ長の美しい目を大きく見開いて、見える物全てを焼き付けるかの如くゆっくりと辺りを見回していた。時折地面に触れ、建造物の壁を撫で回し、その度に独り言を呟く。
「これは……コンクリート?(古代コンクリートの事を言ってます)似てるけど違うか。この壁は金属かしら……何て巨大な……精錬するのにどれだけの燃料を使ったのかしら……そう言えば、植物や小動物がこれだけ少ないのに人の動きは活発ね。どうやって食物を得ているのかな? ここの環境は始めからこうだったの?」
「いいえ、大昔はもっと緑があった様よ。地面も土の地面だったらしいわ。この地面の素材はアスファルトと呼ばれているの。殆どをそれで舗装されているわ。それと、ここは都市部で、離れた場所にはもっと自然がある筈よ。農業も専用の土地で行われているわ。それは向こうと大して変わらないと思う」
クロエの返答にサフィアは真剣な表情を見せた。
「根本は私達の世界と大差無いんだ……。 そういえば、魔素が薄いと言う事は、この世界には魔法が無いのかしら?」
「大昔は普通にあったと記録されているそうよ。魔女や錬金術は今も有名ね。世界各地には神話や伝説が残っているし、書物にも記されている。ただ、今は大半が迷信や空想の産物として認識されているみたい」
「でも占いやおまじないは、生活に根付いているよねえ」
サキが携帯を取り出し、少し操作をしてから皆に掲げて見せる。手の平程の平たい長方形の画面には、『今日のハッピー占い♡』と言う丸っこい文字が踊っていた。
「面白い!」
サフィアは目を輝かせたかと思うと、急に考え事を始め、「だとしたら……」「つまり、これが……」等と、再び独り言を呟き出した。
「取り敢えず駅へ向かいましょう。電車の時間が決まっているから」
クロエは勇者達を見回し、先へ進む様に促した。一同は一塊になってアスファルトの道を行く。
「んー……」
歩きながら、フレデリクが時折腰に手を当て、調子悪そうに唸った。それを見たタルケットが剣士を見上げる。
「どうした?」
「んー。どうも剣が無いと落ち着かなくてなぁ」
「あー分かるわ。ボウガンはしょうがないとしても、流石にダガーは持っていたかったぜ」
「二人とも、すまぬが我慢してくれ。この世界で剣を持っていると大変な事になるのじゃ」
「皆さんの武器は、魔王様に御預かり頂いているから大丈夫よ」
「うむ。ちゃんと儂のアイテムボックスに保管しておる」
魔王の傍らには不可視状態の、異次元収納庫の口が常に付き従っていて、魔王はその口を通して収納庫に仕舞ったアイテムをいつでも取り出す事が出来る。かつての迷宮探索の装備品として、勇者達も似た様な物——『底無しの袋』を持っているのだが、それは魔法の掛かったただの袋でしかなく、透明化が出来ない代物なので置いて来た。
「狡くねぇかお前」
「はて、狡いとな? 何故そうなるのじゃフレデリクよ?」
「えー狡いよねぇー? バラちゃんは次元を操作出来るっつーチートな魔王様なんだもんねー。いーよねぇぇー」
ねちっこく絡むタルケットに、魔王は唇を尖らせた。
「むむ……しょうがなかろう。儂はもともとラスボスと呼ばれる存在なのじゃ。文句を言われる筋合いは無いぞ。それにじゃ、おぬし達にうっかり武器を持たせてみよ、いつ何時ハプニングが起きるか分からぬではないか」
「うぐっ」
「それを言われちゃ自信がねぇわ……」
そんなやり取りをしている間に、一行は無事、目的の駅に到着した。巨大なその駅は広くて明るくて清潔で、大勢の人々が忙しなく行き交っている。幅の広い通路の両側には様々な店が立ち並び、その色鮮やかな外観とそこに並べられた膨大な種類の物品は、勇者達の目を立ち所に奪った。
「やっべ、滅茶苦茶楽しそうじゃね!?」
「物凄い数の店だな」
「あれは飲食店のようですね……あっちは書店でしょうか」
「書店!!」
サフィアの目が爛々と光った。今すぐにでも駆け出しそうな素振りを見せつつ、クロエと魔王を振り返る。
「ねぇっ! そのデンシャの時間って、まだ大丈夫? 少しだけ書店に行っちゃ駄目っ?」
「あっサフィアが行くならおいらも! ねぇーあの店見に行っちゃ駄目ー?」
「ねっお願いっ少しだけ!」
可愛らしく首を傾げるタルケットと、両手を組み合わせて懇願モードのサフィアを見て、魔王は懐から列車の時刻表を取り出した。
「ふむ……確か乗る予定の発車時間は……まだじゃのう」
「ええ、早めに行動したので小一時間程余裕はあります」
「ならば各自、自由行動とするか」
「いえ、何名かで纏まった方が安全かと」
「うむ。そうじゃな、何かの拍子に迷子になるやもしれん。そうするか」
「御意」
そんな訳で一同は、サフィアとカルナードとサキ、魔王とフレデリクとタルケットとクロエ、の二班に別れ、店を見て回る事にしたのであった。




