いよいよ出発です。
「では魔王、お前はどうなのだ?」
フレデリクが腕組みをしてバラサークを睨む。温泉旅行などと言うよく分からないものの為に、これだけの手間を掛けさせられた。その張本人を逃がさないと言わんばかりに、鋭い声で剣士は魔王を追及した。
「お前の設定とやらを語ってみせろ」
魔王は重々しく頷いて一つ咳払いした後、人間に変身しても変わらない燻し銀の声で、自らの設定プロフィールを喋り出した。
「儂は魔王バラサーク。日本が好きで帰化した◯◯◯人。三十九歳。仕事はIT関連の個人事業主。仕事先は主にネットを介しての日本国外。頻繁に海外へ出向いている」
「……名前、そのまんまじゃねーか」
「……うむ。つい成り行きでそうなってしまってな……。今更修正も出来ん。恐らく初見では確実にあらゆる人々から『えっ!?』って言われる事請け合いじゃ……宿泊券の郵送に携わった人も、さぞや宛名を二度見した事であろう」
「……」
フレデリクはやや同情した様子でバラサークを見上げ、それから、もうどうでもいいや、と言う風に肩を竦めた。
「……まぁ、お前なら大丈夫じゃねーか? 一番異世界と関わって来たんだろ?」
「うむ、大丈夫じゃ。何とかなる……いや、する」
「ほう、大した自信だな。ならば向こうの世界で御手並み拝見と行こうか」
「望む所じゃ」
剣士と魔王は顔を見合わせると、互いにニヤリと笑い合った。
二人の様子を見ていた他の者達は、誰とも無く微笑みを浮べ、まだ見ぬ異世界に、それぞれの思いを馳せるのであった。
そんな中で一人、タルケットだけは和室に籠り、クロエが用意していた異世界の物をつぶさに調べてはおもむろに操作してみたり、またテレビ番組を見ては何かを考えていたが、やがて真剣な表情で立ち上がった。
「……なぁバラちゃん、ちょっといいか?」
和室に引っ込んでいたタルケットが魔王の元にやって来た。
「うむ? どうした、タルケット殿」
「一つ疑問がある。聞いてくれるかい?」
「うむ。勿論じゃ」
「ありがとよ。……おいら、さっきまでゲームとかテレビとか見ていて思ったんだけど、おかしくないか?」
「うむ?」
「何であっちとこっちで言葉が同じなんだ?」
「!?」
「この前、お前さんが宿泊券を見せに来ただろ?……まぁその時すぐには気付かなかったけどな、後で説明を聞きながらよくよく考えたら、異世界から送られて来た手紙の文字が、何でおいら達全員に読めているのかって不思議に思っていたんだ」
「う、うむむ」
「お前さん、気付かなかったのかい?」
「……そういうものだと思っていた……」
「おいおい」
「でも、実際そういうものなんじゃない?」
サフィアが助け舟を出す。
「異世界だからと言って全てが異なる訳じゃない筈。わたしが嘗て深淵で見たモノは、様々な異なる『次元』が幾つも重なり合い層を成している有り様だった。そして、わたし達が住むこの世界はそのどれかに存在しているの。仮にこっちとあっちが隣り合う次元同士であるとすれば、互いに干渉し、影響を与え合う関係になっていてもおかしくはない。勿論断言は出来ないわ。でも可能性はある。言語が共通していると言うのは、そういう理由かもしれないでしょう?」
「……サフィアにとっては良い研究対象になりますね」
カルナードが苦笑いで呟くと、サフィアは目を輝かせ、力強く頷いた。
「そうよ! 当たり前じゃない! 早く向こうの世界を見たくて堪らないわ!」
「ははは……でも言葉がすぐに通じるのは便利ですね。そう思いませんか、タルケット?」
「へぇへぇ、その通りでやんすねぇ……おいらとしては、何で通じるのが、おいら達と姿が似てる欧米人の言葉じゃなくて日本語なのか、そこがまた分からないんだけどなぁ……まあ、お前らにはどうでもいい事か……」
タルケットは頭を掻きながらぶつぶつと呟いた。
「……あ、そうだクロエ、金の知識なんかも必要だよな?」
「ええ、勿論よ、タルちゃん」
「そうじゃな、ニッポンの通貨のレクチャーを頼む」
「畏まりました、魔王様」
「まだ何か詰め込むのかっ!?」
フレデリクが目をカッと見開き、悲鳴混じりに叫んだ。それを見たクロエがややサディスティックな笑みを浮かべ、片手に持った指し棒の先端を、もう片方の手の平に軽く何度も叩き付ける。
「今度は知識のお勉強よ、最強の剣士フレデリク」
不機嫌に眉を顰めてじりじりと後退りをするフレデリクを、バラサークが背後に立って退路を塞ぎ、カルナードとサフィアが両側から腕を捕らえ、他の者が逃がさない様に包囲した。
「さあ、じっっっっっくり取り組みましょうねぇ」
その時フレデリクの目には、全員が狂気の笑みを浮かべた悪魔に見えた。
かくして一週間が過ぎ、出発日の早朝。
再び集まった面々は魔王達と向かい合って並んだ。
ついに異世界へと出発する時が来たのだ。若干の緊張と興奮が、その場の空気を熱くしていた。
「クロエよ、荷物は万全か?」
「はい、魔王様。ただいまチェック致しましたところ、皆様に持って頂いた鞄の中には間違いなく、着替えと下着、お小遣いの入った財布、宿屋周辺地図、携帯食料としてのオヤツ——以上が入っておりました。私とサキは宿屋の代金及びその他の費用を分担し、それぞれ携帯電話を所持しております」
「うむ。……儂も荷物の入れ忘れは無い。特に財布、ケータイ、地図、オヤツもバッチリじゃ」
「では皆さん、準備はよろしいでしょうか?」
黒魔女クロエが勇者達の顔を見回した。
「おう。特に問題はないぞ」
「わたしもよ!」
「はい。大丈夫です」
「いつでも出発できるぜ」
微笑を浮かべたクロエは魔王を見上げた。魔王は頷き、和室の方へ右手を伸ばして声も高らかにこう言った。
「然れば出発するとしよう! 異世界ニッポン、温泉旅行へ!!!」
「……えーとだな……魔王?」
「何であろうか? 剣士よ」
和室に足を踏み入れながら、バラサークは振り返った。
「もしかしてオヤツの事に不満が生じたか? すまぬがオヤツは三百円まで、と言うのが決まりなのじゃ」
「そんな事聞いてねぇよ!! そうじゃなくてだな……出発するのに何でまた和室に入るんだ?」
「うむ?」
キョトンとした顔で魔王が目を見開く。後方からクロエが口を挟んだ。
「申し訳ございません、魔王様。説明を失念しておりました。……フレデリク、異世界に繋がる門は、この奥にあるのよ」
「そうなの!?」
今度はサフィアが声を張り上げた。
「こっこの先にっ!? 何て近い所にあったのかしら……今までちっとも気付かなかったわ……」
「うむ。黙っててすまぬ。さあ、皆、靴を持ったまま上がるのじゃ」
一行は一列に並んでゾロゾロと、いつもの居間から奥の襖を抜け、その向こうにある、木や金属やタイルで出来たキッチンエリアに入った。
「目指す異世界への門は、実はこの台所の更に奥にあるのじゃ」
「うわあ……」
カルナードが苦笑いで溜め息をついた。
「では私が、そうとは気付かずに一番近づいていたんですね……」
「そのとおりじゃ。カルナード殿にはいつも洗い物を手伝って頂いたのう」
「ははは……万が一間違って奥に行っていたら、大変な事になっていましたね……」
「いや、それはない。理由は見れば分かる」
魔王はきっぱりと否定して、キッチンから先へ繋がる木戸を開いた。
木戸の先には、部屋があった。その部屋はキッチンや和室と比べ、全く異質な空間であった。
壁は全て白く、天井には見た事の無い、白くてつるりとした大きな円盤が張り付いていた。床は木目の揃った細長い板が隙間なく並べられている。置いてある家具には白や黒の艶やかな塗装がされており、何で出来ているのか分からない程に変わった形をしていた。
「魔王様、お早う御座います」
奇妙な形の椅子に座っていた男が立ち上がり、頭を下げた。色黒で彫りが深く、目は鋭く、真っ黒で硬そうな髪を後ろで一つに束ねている。顎に生やした無精髭が如何にもワイルドな、がっしりとした体躯のその男は、勇者達が今正に身に着けている、異世界風の衣装を極自然に着こなしていた。
「うむ。お早う、ウェアウルフよ」
人狼……? フレデリク達は顔を見合わせた。さかさずクロエが説明をする。
「人間モードのまま、ここに常駐しているの」
曰く、この部屋には異世界ニッポンに繋がる門がある。門を開くとそのまま、あちらとこちらを行き来出来る。魔王はその門から通販商品を受け取っているのだが、仮にニッポンの宅配業者がドアを開けて部屋を見た時、不自然に見えない様に演出する必要がある為、内装を現代風にし、更に人員を配置しているのだ。
「ずっとここに詰めているなんて、大変ですね」
「いや、そうでもないです。ネトゲとかツイッターとかずっと出来るし、飽きたら本読めるし、昼寝はし放題だし、寧ろ最高です」
「い、意外とインドア派なんだな」
「そうですね。まあ運動不足が気になりますが、その時は誰かに交代して貰って、迷宮内を走ってます」
「部下達には健康に気を使う様、言い含めてあるからのう」
「お前さん、ほんと善い親分だよな……」
「うむ。いつもそうありたいと願っている」
「魔王様は最高のボスです」
ウェアウルフは白い牙を見せ、眩しい笑顔で力強く頷いた後、一枚の黒いドアを手で指し示し、一礼をした。
「では魔王様と勇者様、異世界へのドアはあれに御座います。行ってらっしゃいませ。……黒魔女、サキュバス、頼んだぞ」
「ええ、任せて」
「お土産買って来るからねえ」
それぞれが振り返り、小さく手を振ってから、ドアに向かって立つ魔王の後ろに並ぶ。
「では今度こそ。いざ参らん、異世界ニッポンへ!」
少し小さめの声でそう言うと、魔王はドアノブに手を掛け、異世界に続くドアをゆっくりと開いた。




