決断の春
ーー桜視点ーーーー
よお〜し、今日もがんばるぞ!
学校終わりに養成所に通うことは、もう日課になった。歌とダンスのレッスンは大変だけど、アイドルになる夢があるから続けていける。
それに、先生たちといっぱいお話しできるのはとっても楽しい。先生は優しくて、ダンスもうまくて、歌もわたしよりすっごくうまいから尊敬してるんだ。
「こんにちは! 今日もよろしくお願いします!」
養成所に入るときには”まずは挨拶”だよね。元気よく挨拶をすると、とっても気持ちがいい。
あれ?
先生のところに初めて見る男の人がいる。スーツをビシッと着こなしていて、ぱっと見は25歳くらいに見えるかな?
2人ともこっちには気づいていないようで、先生はうれしそうな表情をしている。あんなにうれしそうな顔は初めて見たかも。
業者……の人じゃないだろうし、いったい誰なんだろう。
……
…………
………………
ハッ! も、もしかして先生の彼氏さんだったり……
もう一度見てみると、そう見えなくもない気がする……ううん、そうにしか見えないよ!
あ、あれは『恋をしてる乙女の顔(?)』ってやつだよ、きっと! 先生の彼氏さんて年下だったんだ。
ど、どうしよう……もしそうだったら気付かれてない内に出た方がいいよね。やっぱりこういう場面を見られるのって嫌だろうし。
わ、わたしは彼氏さんができたことがないからわからないんだけど、二人っきりでおしゃべりしたいって思うもの……なんだよね?
うっ、でも大人の人の恋ってちょっと見てみたいかも……
わたしがああだこうだと悩んでいると、先生とバチッと目が合ってしまった。そのまま先生は笑顔を浮かべたまま近づいてくる。
や、やってしまった……いまからでも出て行きますって言わなきゃーー
「あ、あのせんせーー」
「桜ちゃんおめでとう!」
予想もしていなかった先生の一言がわたしの言葉を遮っていった。
えっ……一体なにがおめでとうなんだろう? わたしの誕生日……はもう過ぎちゃったよね。というかわたしのことだったの?
想像もしていなかった内容にわたしが困惑していると、先生の隣の男性が一歩前に出て名刺を差し出してきた。
「芸能プロダクションReStartのプロデューサーをしています、柊 佑助と言います」
「三春さんに、先日のオーディションの合格をお伝えに来ました」
わたしにとって、この日は一生忘れられない日になりました。
ーー柊プロデューサー視点ーーーー
「あ、あの……三春さん?」
どうしよう……
俺が喋った途端に目の前の”少女”は、いつぞやの時のように固まってしまった。あの時と違うのは俺が営業モードなところだろうか。
今日は養成所の先生への挨拶と、運が良ければこの子に会うつもりでここに来た。
先生にある程度の説明を済ませて”さあ帰るか”と思っていたら、ちょうど良いタイミングにこの子が登場したわけだ。
三春 桜、第一回オーディションの唯一の合格者だ。
『今日の俺はついてるぜ!』とテンションが上がってたんだけど、なにかミスったのかもしれない。
「あ、あ……」
少女は口を開いたかと思うと、下を向いてしまった。そのまま顔を上げようとする気配もない。
顔を合わせてくれない……もしかして、俺の顔が怖いのだろうか……
自覚はないが、武田プロデューサーにいろいろなことを教わっている内に、顔の怖さまで移ってしまったのかもしれない。
今までは喧嘩の時でも『それで睨んでるつもりかよ』って煽られまくった俺にも威厳が出てきたのかもしれない……ちょっとうれしいな。
それにしてもこんなことになるなら、愛ちゃんについてきてもらった方が良かったのかもしれない。飴ちゃんをあげて、留守番をお願いしたのは悪手だったか。最初は普通に来ようとしてたからな。
「み、三春さん? どうかしましたか?」
つい慌てて、様子を見ようと顔を覗き込むようにしてしまった。ラブコメだったらここで顔がぶつかってキスしたりするんだろうが、通常体質の俺は何も起きない。
ただーー少女は泣いていた。
「えっ! あっ、すいません大丈夫ですか!?」
しゃくりあげながら泣く少女を見て、俺は慌てながらハンカチを差し出した。
「あ、ありがとうございます……つい……うれしくて……」
少女はハンカチを受け取り涙を拭うが、新たに涙が流れ落ちていてしばらく乾くことがないように見えた。
”うれしくて”
その言葉は俺の心に刺さった。
俺にとって初めてのスカウトだったわけだが、今になって責任の重さを実感することになった。
ファンがアイドルに夢を見るように、彼女達はアイドルになることを夢見ていたのだ。他のどこかではオーディションに落ちたことで涙を流している子もいるのだろう。それだけ彼女達は今回のオーディションに賭けてきてくれていたのだ。
そして今回、アイドルになれるかどうかを決めたのは”俺”だ。彼女達のアイドルとしての道を摘んでしまった可能性すらある。
俺は少し自分の仕事が怖くなった。
「も、もう大丈夫です! ハンカチありがとうございました」
涙で目を腫らしてしまった少女は、恥ずかしがりながらお礼の言葉を述べた。
「いえ、こちらこそいきなりで……すいませんでした」
「そ、そんなことないです! ちょっとびっくりしちゃっただけなので……」
少女はそう言ってくれたが、俺はもう少しゆっくり伝えるべきだったと後悔している。夢に見ていたであろう、アイドルの道が開けたのだから。あまりに気が利かない自分が嫌になる。
「そう、ですか……」
うまく言葉が出てこない。
「えっと……今更聞くのもなんですが、ウチでアイドルをやっていただけませんか?」
結局、気の利いたセリフは出てこず、俺にはプロデューサーとしての仕事を全うするしかできなかった。
「はい! こちらこそよろしくお願いします!」
それでも『三春 桜』はおじぎをした後に、『あの時』と同じ素敵な笑顔を見せてくれた。
この瞬間、俺は”彼女を全力でサポートしよう”ともう一度心に誓った。この想いだけは絶対になくしてはいけない。
ーー今日、俺がスカウトした1人目のアイドルが誕生した