A-3
僕はしゃべるのがそれほど得意ではない。だから、人に対して何かを伝えるという機会も少なく、伝える能力もさほどない。
しかしどうしても、はい・いいえの答えや物の名前を言うだけでは対応しきれないコミュニケーションに直面する場は避けられない。例えば授業の発表であったり、授業
そういう時、僕は何とかして必死に言葉を見つけだし、それを人に伝えようと努める。言いたいことはあるのだが、それに相応しい言葉が脳から言葉がなかなか出てこないので、どうしても苦労してしまう。
さて、今ある状況を他人に対して説明しなければならない状況がもし訪れたら、僕はなんと言うだろうか。
状況の説明自体は簡単だ。
学校にいたら、突然身体が女の子のそれに変わってしまった。
そしてそこで意識は一度意識が途絶える。
意識が戻ったとき、目の前には全裸の女の子がいました。そしてそれは鏡に映った自分でした。
慌てて服を着て(それも女物の!)外に出ると、ちょっとチャラい感じのお兄さんにナンパされた。
すると、その内の一人が、突然全身銀色の怪人になって、僕に襲いかかってきた。
襲われている間に、再び僕の意識はフェードアウト。
そして、今に至る。
言葉にすると、実にシンプルだ。
さて、これを伝える際に問題になるのは、この不条理をどう相手に信じさせるかという説得力が鍵になる。
……残念ながら、今の僕にそんな高度なコミュニケーション力はない。
というか、それが出来る人間がいたらお目にかかりたい。今僕が置かれた状況を、僕自身が納得できるように信じさせてくれる、そんな話が出来る人がいたら今すぐ来てください。そして僕に説明してください。
というわけで、僕は自宅の玄関にいた。
身体の感触が、いつもと同じ感触に戻っている。頭にまとわりつく髪の感触はない。
周囲を見渡した後、さらに自分の身体を見回して、別の異変に気づく。身体を包み込んでいた服が、さっきお店で買ったばかりの服が、靴が。嵐の過ぎ去った後の林のように、細切れのボロボロになっていた。
ついでに、公園にいたときは手に持っていたはずの、それまで着ていた服や靴をを詰め込んだ袋もも消え失せていた。
もう驚くほどの心の余裕も無かった。
近くに投げ捨てられていた、梱包材に包まれた固まりを無意識のうちに拾い上げて、僕は家の中に上がり込んだ。
ぼんやりとした足取りで階段を上がり、部屋に入る。
ボロボロの服のままベッドに腰掛けて、これからどうするか一考した。落ち着くいて来ると、頭の中に浮かんできたのは、学校の光景だった。
異常事態のことは考えたくなかった。当たり前のことを考えたくなったのだ。
部屋の片隅に表示されている時計は、11時30分を示していた。今からなら昼休みまでには学校に戻れる。
デバイスは持っているが、他の荷物は全て教室に置いてきてしまっている。
今戻ったら何を言われるだろうかと思うと怖い。でも、このまま学校に荷物を置きっぱなしにすることもできない。
考えながら、自然に動いていた僕の手は、部屋に入る時に抱えていた荷物の開封に勤しんでいた。
中から出てきたのは、梱包材の中にぎっしり詰め込まれた、服と靴だった。折りたたまれた服を開くと、それは二時間ほど前まで僕が着ていた服、男性用の上下アンダーウェアに、男性用の学生服だった。学生服は僕の通っている学校指定の制服そのものだった。
一体誰がこんなものを送ってきたのか。僕が着ている服をボロボロにし、学生服まで無くしてしまった絶妙なタイミングで、どうしてこんなものが送られてきたのか。
……考える気力はなかった。僕はこれを、学校に戻れという一種のお告げであると思うことにした。
ボロボロの女物の服をさっさと脱ぎ捨て、荷物の中から現れたそれらを次々に身に着けていく。どこから、どうして送られてきたものかも分からないそれらを着る以外に、僕がなすべき選択肢はないように感じられたのだ。
着替えを終えると。誰に見られるわけでもないのにそうっと家を出て、こそこそとしながら学校への道を急いだ。
荷物を何も持っていない状態の制服姿で外を歩くのは、どうも気恥ずかしく感じてしまったからだ。
学校の正門は開いていた。遅刻者が入ってこられるように一応門は解放されているようだ。
警備員の人に話しかけられたので、忘れ物を取りに行ってたのだと誤魔化した。そして前庭を突き抜け。校舎へと急いだ。
窓から生徒たちの話し声が漏れているのが聞こえた。校舎に掲げられた時計を見上げるとちょうど昼休みの時間だった。これなら問題なく教室に入ることが出来る。
教室にいくと、学生たちが好き放題に騒いでいた。僕はその喧騒に紛れるようにして教室に入り込む。
誰にも気づかれることもない、誰の気に留められることもない。
授業中に突然声を上げ、席を立ってしまった異常な行動も、とっくに記憶から消し去られてしまっているだろう。
透明で空っぽでよかったな自分の存在は、こういう時に本当にいいものだと思う。
「白石くん……!」
席に着こうとした僕を呼び止める声。
それは、透明で空っぽな僕を見留めてくれる、この教室でただ一人の存在。
「やっと戻ってきた……!どうしたの、何があった」
黒川さんが、壊れそうなものを見るような心配げな目で、僕のことを見つめていた
「いや、えぇと……」僕は必死に言葉を探す。
「ちょ、ちょっと、体の具合が悪くなって……」
「でも、さっき保健室見に行ったけど、いなかったよね……」なかなか鋭いところをついてくる黒川さん。
「う、うん。あー、実は薬をもらってるんだけどさ、家に忘れちゃってさ、それを取りに」
完全な嘘は言っていない。体に異常が起きたから家に戻った。うん、完全な嘘ではない。そう自分に言い聞かせた。
黒川さんはほっと息を吐いて顔を上げた。その顔には心底嬉しそうな表情が浮かんでいた。
この人はいつもそうだ。僕だけじゃない、クラス中のどんな生徒のことでも
色に染まっていないという点では、僕と同じようなところがあるのかもしれない。
もっとも彼女は無色なだけで透明ではない、クラスの誰の心にも残るような存在だ。僕もこんな存在になれればよかったのだけど。
「……余計なお世話かもしれないけど、困ったことがあったら言ってほしいな。私でよければ相談にも助けにもなるよ!」
「……うん、ありがとう」
最後まで心配そうな顔つきを絶やすことのないまま、黒川さんは席に戻っていった。僕も席に着く。
ちょうど時間は昼時。空腹であることを思いだして、僕は慌てて弁当を取り出した。
自分で作った弁当を一人で食べる。寂しいことなのかもしれないが、それが当たり前になってしまえば特に何も感じることは無い。僕はさくさくとご飯におかずをかき込んでいった。
食べ終わると、僕はさっさと教室を出ていく。
学校中を歩き回り、人が少なくて静かな、一人でいられる場所を探して回る。
やることといえば、端末で音楽を聞くか映像を見るか、ゲームをするかだ。教室にいても問題はないけれど、余計なものまで入ってくる騒がしい場所よりかは、落ち着ける場所がいい。それだけの理由だ。
外に出て、校舎の裏の方を目指す。ブロックの花壇が並んでいる場所があって、座るのにはちょうどいいのだ。
そこでは数人の女子生徒が一つの端末を囲んで、こそこそと声を上げていた。僕は慌てて
大方、教室でするのが憚られるような話をしに来たのだろう。
僕は校舎の壁に寄り掛かり、そのまま座り込んだ。彼女たちがいなくなるのを待っていてもいいし、それがダメならこの場所で過ごそうと思った。
いつも通りの昼休み。午前中に起きた異常なんか、夢のことであるかのように思えそうになった。
そんな、時だった。
「あれ……何これ?」
女子生徒の一人が、疑問の声を上げた。他の二人も各々疑問を口にしていたようだったが、僕は気にせず休みの支度に入ろうとした。
しかしそれに続いて
「え、嘘、なん……ぁ……」
女子たちの声が徐々に細くなり、消えた。
ピキ、ピキ。そして代わりに、あの乾いた音が聞こえてきた。
僕の脳裏に、あの時の恐怖がよみがえった。僕はまさかと思いながら、音の聞こえてくる方に視線をやった。
そこには、あの光景があった。あの異常な光景。
三人の女子生徒が頭を抱えて立ちすくんでいた。そしてその全身が、ピキピキという乾いた音と共に、光沢を帯びた銀色に包まれていた。
音が鳴り止んだとき、そこには全身銀色の怪人、滑らかな曲線で描かれた女性の身体のラインを露わにした、メタリックな怪人が三体、そこに並んでいた。
数時間前と、同じ。あれは夢ではなかった。
怪人の無機質な顔が、いっせいにこちらを向いた。目も鼻も口も、その彫り跡だけを残して消え失せた無機質な顔面。それでもそいつらが僕の方を見ているのはすぐに分かった。
僕は数歩後ずさって、逃げようとした。
ビュン!
後ろに下がってなければ、危ないところだった。
三体の内一体が、僕との間合いを一気に詰めて、腕を変化させた刃を大きく震っていたのだった。
その刃の鋭さの中に、僕は明らかな殺意をみた。
死ぬ、このままでは死んでしまう。
いったいどうすればいいんだ!
ブゥン!
僕の発した疑問に応えるかのようなその音が、さっきまで僕のいた場所で鳴り響いていた。逃げるときに思わず手から落としてしまっていたスマートデバイスだった。
こんな時に、デバイスが何の役に立つというのか。
でも僕はそれに縋らずにはいられず、端末に手を伸ばした。
怪人の内二体目が、すでに攻撃態勢に入っていた。
デバイスが振動し、その画面の上では文字が多色の光を放って、自己の存在を主張している。
「Install Me!」
何の話だ。インストール?
刃を手にした怪人は、すでに目の前にいる。あぁ、いよいよ最後なのか。
僕はもうどうにでもなれという思いで、文字の下にあるアイコンに指を叩きつけた。
画面が変化した。円、三角、四角、六角……あらゆる図形が入り混じって渦巻いたかと思うと、画面から飛び出して盛り上がってきた。
そして意識が消える間際に、確かに感じることが出来た。
僕の中に入ってこようとする、誰かの存在を。