でも助走をつけて
なぜ廃屋の写真を撮るようになったのか、と言われれば、別に廃屋じゃなくてもよかった、ということになると思う。
子供の頃から「及川美月は天才的に頭が良い」ということになっていた。もちろん、頭が悪いということはなかったのだけれど、たとえば小学生の間は(普通の公立小学校だ)ほとんどのペーパーテストで100点を取ってはいたし、中学に上がってからもだいたい80点以上の点数は取りつづけていたから、人並み以上には勉強に適性があったことはあったのだろうと思う。でも、それが天才的と言えるかというと別にそんなことはないし、事実わたしは別に天才ではなかった。実際、わたしよりもテストの点数が良い子はいくらでも、いくらでもってことはないけれど、いくらかは居た。それでも他の子たちは別に「天才的に頭が良い」とは言われはしないのに、なんでわたしに限ってそんな評判が立つかというと、要するに見た目の問題のようだった。
背中まで長く伸ばした黒髪は量も多いしくせがあってまとまりが悪いから、ふたつの三つ編みにして垂らしていたし、病的に色白で分厚いレンズのぐりぐり眼鏡をかけていて、あとは白衣を羽織って変な色の液体が入ったフラスコを振っていれば、みんなの思い描く理想的な「頭のおかしい天才」そのものの見た目だった。だから「頭のおかしい天才」ということになった。そういうことらしい。
頭のおかしい天才には頭のおかしい天才なりの所作というのが求められるのだけれども、わたしは別に天才ではなかったから天才方面で真正面からその期待に応えることは難しかった。それで、「頭のおかしい」のほうに救いを求めることにした。だから廃屋の写真を撮り始めた。廃屋が好きだからとか、廃屋が気になったからとかではなく、誰も廃屋になんて注意を払っていなかったから、それを写真に撮ることにした。他の人たちと一緒にやるような趣味だったり、競い合ったりするような趣味ではなく、自分ひとりで逃げ込める趣味が必要だったのだ。もともとは、ただそれだけの話だった。
わたしはイワシの缶詰です。
「おはよー美月!」
美容師さんにガシガシ梳いてもらってストレートパーマをかけてボリュームを抑え、生活指導の先生に怒られない程度に適度に微妙に染めたダークブラウンの髪を春風に揺らせながら、目一杯の度のコンタクトレンズを入れてもそんなに遠くは見えない目で後ろから飛びついて来たクラスメイトの顔を見る。今日もすごくかわいい。
「おはよう唯」
わたしも快活にあいさつをかえす。唯は高校に入って以来の一番の友達で、わたしが思い描く理想の女の子の要素を全部詰め込んだみたいな最高の女の子で最高にかわいい。
「昨日のドラマ見た?」
「見たけど、あれはないわ」
「だよね。面白くないを通り越して痛々しくて一周回って面白くなってきたもん」
「それは分かる」
女子高生らしい、科学にも政治にも社会にも一切関係がない、頭のおかしい天才だったら絶対にしないようなどうでもいいような話をしながら並んで歩く。
そう、及川美月は見事に高校デビューを果たしたのである。
中学での成績は良かったから当然のように志望校は県内で一番の進学校にしたし、まずまず順当に合格したし、そして県内で一番の進学校に進んだわたしの学業の成績は特に見るべきところのない上の下ぐらいのポジションに収まった。入学前の春休み期間中に美容室と眼科に行って主たる装備を整え、スカートを腰のところでクルクル巻いて短くするテクニックとオーバーサイズのラルフローレンのベストを手に入れたわたしを「頭のおかしい天才」扱いする人はもう誰も居なかった。唯と同じクラスになって、すごくかわいいなー、ああいう子と友達になれたらいいなー、と思っていたらいつの間にか友達になっていた。誰もわたしと唯が友達同士であることに疑問を抱かないようだった。
唯はわたしの隣に居そうな女の子で、わたしも唯の隣に居そうな女の子になれていた。イワシだって缶詰にしてピーチってラベルを貼ってしまえばピーチの棚に並べられるし、誰かに買われて缶を切られるまではピーチだと思われているだろう。つまり、そういうこと。
わたしは炎天下のエアゾールです。
休日になるとわたしは三つ編み眼鏡に、もっさいマキシ丈のスカートと日よけの大きな帽子で地図とカメラを持って、廃屋を求めて町を歩く。
やっぱり多少の無理があるということなのだろう。見た目を整えて晴れて普通の女子高生になれたわたしは、それでもやっぱり心身ともに完全に普通の女子高生になれたわけではないらしく、心のどこかに常に嘘をついているような後ろめたさがあって、それがストレスになって内圧が高まって爆発しそうになってしまう。それで、休みの日には本来の自分に戻って自分だけの趣味の世界に潜ることでガス抜きをしている、ということなのだと思う。でも、その本来の自分だってそもそも嘘だ。
廃屋の写真を撮り始めたのは、わたしの頭のおかしい天才っぽい見た目のせいで生まれた、周囲の及川美月は頭のおかしい天才っていう認識に合わせて作っただけの、頭のおかしい天才っぽい趣味なだけだったはずだ。それでも、やはり鋳型の中に長時間閉じ込められていれば形もそのように変容するっていうことだろうか。
本当のわたしなんてどこにもない。
廃屋探しも何年もやっていると地図を見るだけでだいたいの目星がつくようになってくる。見つけた廃屋を地図に赤ペンで書き込んでいくと、ある程度の傾向みたいなものが見えてくる。流れが滞っているところ、淀んでいるところに廃屋は発生しやすい。廃屋は均一に分布するわけではなく、明らかに地域的な偏りがある。廃屋が決して発生しない地域というのもあるのだ。そういうところは探しても無駄だからスルーして、見込みのありそうなところを歩いて回る。最初は自宅の周辺から始めた廃屋探しも、攻略済みの地域が増えるごとに必然的に遠出していくことになる。電車とバスを乗り継いで、行ったこともない町を歩く。
今回は山手のほうの住宅街を散策することにした。パッと見は100坪以上はありそうな豪邸が軒を連ねてガレージにはメルセデスやBMWが並びまくっている高級住宅街だけど、道の幅員は車二台が離合できないくらいに狭くて、自動車が普及する前からある古い住宅街であることが分かる。急な坂道を登って高いところに行くほどに邸宅が大きく立派になっていく。昔からお金持ちは高いところに住みたがる傾向があるらしい。上り坂と直角に横に進む道も伸びていて、そちらのほうは二車線の新しい道路。横に進んでいくと明らかにちゃんと区画整理されていて50坪くらいの同じような新しめの住宅が並んでいる。その新しく切り開かれた区画と古くからあるらしい高級住宅街の間の細い路地を登っていくと、やっぱりあったっていう感じで、どちらの区画にもなれなかったエアポケットのようなエリアがある。そしてやっぱり廃屋もある。
目見当では築60~70年くらい。外観から推測できる間取りはせいぜい1DKぐらいであろう、かなり小ぶりの平屋。規格も古いから玄関の扉や窓も今の感じより高さがなくて、屋根も低い。実際に小さいというのもあるけれど、すぐ裏は巨大な豪邸だらけなのでますますミニチュアっぽく見えてしまう。雨戸も全部閉じられているし雑草が生い茂っていて瓦にも苔がむしていて人が住んでいる気配はない。でももともとの素性がいいのか、それほど荒廃している雰囲気はなくて空き家以上廃屋未満という感じ。
これはかなり、いい廃屋。
カメラを構えて写真を撮る。正面から、斜めから、アオリで、色んな構図で何枚も撮る。どこか裏に回れるところはないかしら、とウロウロとしていたところで「あれ、委員長じゃん」と声を掛けられて飛び上がるほどびっくりする。
声を掛けてきたのは北島巧。ありていに言うと、たぶんわたしの初恋の相手だった人。
わたしは革のブックカバーです。
中学校の三年間、わたしのあだ名は委員長だった。
クラス委員の選定という話になると、暗黙の了解といったぐあいで特に協議も係争も投票もなくわたしが委員長ということになっていた。なにしろ三つ編みで眼鏡なので、見た目としてはわたしは委員長に最適だった。
北島くんはちょっとクラスの中では浮いているタイプの男の子で、でも顔は抜群に綺麗だった。
「俺は見た目がスポーツぐらい簡単に軽くこなしちゃいそうな感じだろ?」
委員長だったわたしが委員長の業務の一環として、どうしてクラスマッチの練習に参加しないのか、という話を北島くんにした時に彼はそう答えた。
「ところが実はめちゃくちゃ運動音痴なんだ。だからクラスマッチには出たくない」
「そんなこと言ったらわたしだってめちゃくちゃ運動音痴なんだけど」
「委員長はいいんだよ。だって、委員長はどこからどう見ても運動音痴だもん」
北島くんは見た目だけだと社交的で快活で勉強も運動も軽くこなせそうな感じに見えた。それがどういうことかというと、要するに顔が綺麗だっていうことなんだけれど。でも実際にはやや内向的で成績もあまり良くなく、運動音痴だった。それで周囲の人間はイマイチ北島くんをどう扱ったらいいのかが分かりにくくて、それでクラスの中でちょっと浮いちゃうらしかった。
「別に運動が得意だなんて自分では一言も言ったつもりもないのに、勝手に期待して勝手に幻滅されたりふざけてると思われたりするんだもんな。やってらんないよ」
北島くんの言うことはわたしにもよく分かった。北島くんは方向性こそ真逆っぽかったけれども、種類としてはわたしと似た者同士のようだった。でも、解決法は見た目を自分に合わせるか、自分を見た目に合わせるか、どっちかしかないのだ。見た目が社交的で快活そうだったら、それは大声でわたしは社交的で快活ですとアピールしているのと、実質的には同じことなのだ。一般的には、そのようなことになっているらしかった。
そんなわけで委員長のわたしはクラスで浮いてしまう北島くんにことあるごとに声をかけることになり、そのたびに北島くんは文句をたれ、わたしはそれに一方的にシンパシーを抱いたりして、綺麗な顔してるのになーとか思っていたのだけれど、北島くんは中学二年の時になにかの都合でどこかに転校してしまった。北島くんが転校してしまってから、ひょっとしてわたしは北島くんのことが好きだったんじゃなかったか、なんて思う機会がちょっとはあったりしたのだけれど、だからといってそれで転校してからも連絡を取ってみようなんて積極的な情動は起こらなかったし、それに、どこに転校したのかも把握していなかった。
北島くんはバスと電車を乗り継いで30分ちょっとのところに引っ越していたのだ。めっちゃ近所じゃん。
わたしは型で抜かれた動物クッキーです。
「趣味で廃屋の写真を撮っているの」
わたしがそう説明すると、北島くんは相変わらず綺麗な顔でちょっと考えるようなしぐさを見せたあと「心霊写真とかそういうこと?」って言って、「別にそういうわけじゃなくて、ただ廃屋が好きだから撮ってるだけ」とこたえると、「まあ、分かるけど」と言った。
「いい廃屋だよね。コレ」
他人に分かられないために、という理由で廃屋の写真を撮っていたのに、実にあっさりと分かられてしまってわたしはちょっと驚く。そう言われてしまうと、分かられてたまるかという気持ちがムクムク沸いてきて「廃墟じゃダメなんだよね。廃車とか、放置バイクとかならいい場合もあるんだけど」なんて、分からないようなことをわざわざ言ってみせるのだけれど、それにも北島くんは「分かる分かる。廃墟までいっちゃうともうただのミーハーみたいな感じあるもんな。誰にも見向きもされていないようなところがいい」と返してくる。
「俺だけはお前の良さを分かってあげられるんだぜ?みたいなところが最高だよ」
と、わたしがまさに思っているようなことをまさしく言ってみせる。
「そうそう。そうなんだよ」
と言いながら、わたしは「あれ、でもおかしいぞ?」と思っている。そもそも廃屋が好きだから撮っている、というのが嘘なんだから、そんなこと、思っているわけもないのに。ひょっとしたら、自分の変な行動に納得できるような説明付けをしてもらって、それに納得できたから、それがわたしの本心ですと、たった今採用しただけなのかもしれない。自分の本心ってなんだろう。
「この上のほうはわりと宝庫だよ。廃屋とか空き家とかがいっぱいある。たぶん、あっちのほうの邸宅の使用人なんかが住んでいた区画なんだ。いまはどんなに豪邸でも、さすがに使用人を住まわせておくなんて習慣はそうそうないもんな」
そう言って、北島くんはついてきなよって仕草をする。なんでだか、わたしの廃屋さがしに付き合ってくれるつもりらしい。よっぽど暇なんだろうか。
「ちょっと待って」
わたしは地図を取り出して、いま撮影した廃屋を地図に書き込む。赤ペンで点を打って、通し番号とBプラス。
「Bプラスっていうのは?」
「評価。廃屋の」
「へぇ、意外と採点厳しめなんだ。かなりチャーミングだと思うけどな」
「それはそうなんだけれど、廃屋っていうほど荒廃してないから、このままあとさらに10年ぐらい経ったらAになるかも」
「なるほど、そういうこと」
坂道を登りながら、北島くんは「ほら」といって茂みの中を指さす。遺棄された古い錆びだらけのハッチバックに草がぼうぼうに生い茂っている。
「あれの評価は?」
「A」
写真を撮りながらこたえる。
「ほら、あっちの森の中にも古いお社があるんだ」
「Aプラス」
空き家はわりとたくさんあるのだけれど、そういうのは完全にスルーして、北島くんはばっちりわたしの評価が高そうなものを指さす。どうやら、評価基準は共有されているらしい。
「こっち。この先にこのあたりのキングオブ廃屋って感じのがある」
人がひとりやっと通れるくらいの細い路地に入りながら北島くんが言う。わたしひとりだったらさすがに入り込もうとは思わないような小径だ。コンクリート敷きの路地が途中から古い石畳に変わる。両サイドには植え込みの名残みたいなのがあって、草が伸びたい放題になっている。もう誰かの邸宅の敷地内に入っているのだ。門柱かなにかが立っていたらしい礎や、蔦に覆われた大きな石灯篭なんかもあった。手入れがされていたころは綺麗な庭園だったのかもしれない。
「ほら、あれがキングオブ廃屋」
それはまさにキングオブ廃屋っていう感じだった。もとは立派な日本家屋だったのであろう堂々とした居住まいなのに、なんでだかすごく小ぶりで、それが荒廃しきったまさに廃屋の中の廃屋。わたしは興奮気味にカメラを構える。
「これ、たぶん元はもっともっと大きな邸宅の一部だったんだと思うけど、あそこのところでバッツリ切られてるんだよ」
北島くんの言うとおり、建屋は雰囲気にそぐわない無骨なブロック塀にほとんど密着していて、そこで本当にバッツリ刃物で切られたみたいに途切れていた。
「遺産相続の争いとかじゃないかな。本当にお屋敷を半分だか何分の一だかにカットしちゃったんだね。それでお屋敷の一部しか残っていないんだ。たぶんこっちは元々は裏側だったんだと思うよ。だからこれだけの立派なお屋敷なのに、あんな細い路地でしか道路に繋がってないんだ」
「あのブロック塀の向こうはなにがあるの?」
「墓地になってる。分割して相続を受けて、すぐに手放しちゃったのかな」
「道路に面していないから重機も入れそうにないし、壊すにしてもなにをするにしてもまず道を作るところから始めないといけないのね」
「そ、だからどうしようもなくて遺棄されたままなんだろうね」
こんな無茶苦茶な分割しなければまだもうちょっと使い道もあっただろうにって北島くんは言うけれど、たぶん当人たちには当人たちなりの、なにかのっぴきならない事情があったのだろう。
「いろいろとあったんだろうね」
「ま、本当のところは分からないけどね。でも、いろいろと想像することはできる。こういう拡がりがある廃屋って、そうそうないだろ?」
北島くんが自信ありげに「評価は?」と聞いてくる。
「S」
なんだか悔しいけれど、文句なしで過去最高評価を更新である。
わたしはツーストロークディーゼルエンジンです。
河野唯は正しく言葉を使う。
唯が「それいいね」と言ったなら、彼女がそれはいいと思っているということだし、「え~?ヤだ」と言ったとすれば、彼女がそれを嫌だと思っているということだ。まだ普通の女の子になりたてで他の子たちが使う言葉は表面を上滑りするばかりでサッパリ意味の取れないわたしにとって、それはとても助かることだった。そんな唯が「わたしは美月のこと超好きだよ」と言ってくれたから、わたしはそうか唯はわたしのことを超好きでいてくれているんだなと素直に思えたし、そんな唯のことを超好きだなと思ったからわたしも素直に「わたしも唯のことが超好きだよ」と言えた。そんなわけで、わたしたちはお互いのことが超好き同士なのだった。
「美月はいいよね。なんか重心の低い感じが」
「なにそれ。ケツがデカいとかそういう話?」
「そうじゃなくて人格の重心が。多少のことでは横揺れしない安定性というか、回転数低めで安定した馬力が出るっていうか」
唯の比喩は分かりにくくて褒められているのか貶されているのか微妙なのだけれど、唯がわたしを冗談でなく貶してくるなんてことはないから、たぶん褒められているのだろうと思う。
「わたしは全然ダメ。もう感情のジェットコースターって感じで浮き沈みビュンビュンだから」
と、唯は手でビュンビュンのジェスチャーを入れる。
「そうかな?わりと唯も表には出てないっぽい感じだけど」
わたしが見た限りでは、唯は規定された女の子の枠を出ないように常に調整している感じがある。やっぱりわたしたちは若い女の子なのだから、花も恥じらう華の女子高生なのだから、暗かったりおとなしかったりすると全然ダメで、それなりに明るく快活でないといけない。でも、だからといって出力120パーセントでキャンキャンやると煩がられるし、それなりに聡くないといけないけれども賢すぎても鼻持ちならないからほどほどにバカでないといけなくて、いろいろと社会からの要求が厳しいのだ。唯はたぶん、地はもっとお喋りで、賢すぎるぐらいに賢いのだろうけれど、その60~80パーセントぐらいの理想的な水準を逸脱することがないように自分でコントロールしている節がある。
「表向きはね~。う~ん、出さないように気を付けてたらもう出せないようになっちゃって、そのせいで内側で行き場のない感情がビュンビュンしちゃってるのかも」
「ああ、そういうのは分かるよ」
唯が内側でグルグルしているものを表に出さないように出力を絞っているとしたら、わたしは別に内側になにもありはしないのに無理矢理でっちあげて出力しているという感じ。外側から観測される事象としてはふたりとも60~80パーセントぐらいの出力の規定された女の子の枠組みに収まっているから、ひょっとすると似た者同士みたいに見えているかもしれない。
「美月の感情が安定してくれているからわたしも安定していられるみたいなところあるから。スタビライザーなわけ」
唯はそう言うのだけれど、わたしは果たして自分の感情が安定しているのかどうかが分からない。そもそも自分の感情がよく分からない。廃屋の写真を撮るのもただの習慣みたいなもので別に廃屋が好きだったわけじゃなかったはずだし、三つ編みも眼鏡も好きなわけじゃない。サラサラダークブラウンの長髪だって別に好きなわけじゃないし、短いスカートが好きなわけじゃない。必要だから対応して、習慣で続けているというだけ。つまり慣性だ。新しい力が加わらないから慣性が働き続けるわけで、そういう意味ではなるほど、たしかにわたしの心は静的で安定的な物体なのかもしれなかった。
わたしは氷上を滑るカーリングストーンです。
北島くんから「見せたい場所があるんだ」というメールが来たから、また廃屋のお宝スポットを見つけたのかと思ってまた三つ編み眼鏡のマキシスカートで出掛けてみたら、待ち合わせの場所には北島くんの他にもうひとり知らない女の子が居た。
「こっちは俺の彼女のズンズン。こっちは委員長」
そう、北島くんは簡単にわたしたちを紹介した。わたしが「及川です。はじめまして」と言うと、北島くんの彼女は「こんにちは。望月です」と言った。中学一年生のニューホライズンみたい。ハイ、マイク。ハーワーユー?
望月さんはこれまたわたしが理想的って思うタイプの女の子で、とてもかわいらしかった。唯とはまたちょっと系統が違ってもっとかわいい路線に振った感じだけど。かわいいにもかわいい寄りのかわいいと綺麗寄りのかわいいとか、いろいろあって。
「ごめんなさい。なんかお気に入りの場所に案内するって話になった時にコウがどうしても委員長さんにも見せたいって言って聞かなくて。迷惑ですよね?」
「いえ、別にそんなことは。暇ですし」
なんて返事してしまったけれど、ひょっとして望月さんのことを考えたらここは「はい、甚だ迷惑ですね。帰ります」って言って帰ってあげたほうが良かったのではないかと言ってしまってから思い当たる。わたしの頭は低速回転すぎて、咄嗟の突発的な事態に対しての瞬発力が足りない。でも、とりあえずクソダサ三つ編み眼鏡で出てきたのは正解だったかもしれない。気のせいか、望月さんが安心したかのように息をついた気がしたから。思い上がりかもしれないけれど、望月さんを脅かす存在と認識されてしまうのは、わたしも全然望むところではない。つまり、恋のライバルてきな意味で。
「じゃあついてきて」
と言って北島くんはとっとと歩き始めてしまうのだけど、北島くんと、並んで歩く北島くんの彼女である望月さんはいいとして、その後ろをトコトコついていくわたし。これ一体どういうシチェーションなんだろうと思わないではない。でもやっぱりわたしの頭は突発的な事態に対するアドリブ力が低くて、ほとんどなにも思っていないしなにも考えていないような状態で素直についていくことしかできないでいる。
なにも喋らないのも気まずいかと思って、「えっと、望月さんも廃屋が好きなんですか?」と、後ろから声をかけると、望月さんは振り返って「廃屋?」と頭の上にはてなマークを浮かべている。
「あれ?言わなかったっけ?今回は廃屋じゃないよ」
「そうなの?聞いてないけど。見せたい場所があるって」
「うん、俺が委員長に見せたい場所。やっぱり廃屋って言ってないじゃん」
そんな感じで、なんだか北島くん以外はわたしも望月さんもなにがなんだかよく分からないままに北島くんについていく展開。ほんと、なんなんだろうコレ?
「ここだよ」
って言って北島くんが指さしたのは市内の古いビルで、たぶん普通に誰かが住んでいる集合住宅だと思うのだけど、そんなことはお構いなしで北島くんはどんどん勝手に入ってっちゃう。
「ちょっと。これ入っても大丈夫なところなの?」
「大丈夫でしょ。別に勝手に部屋に入るわけじゃないし」
って、望月さんの言うことにもどこ吹く風でほいほいと階段を登っていく。壁は黒くくすんだコンクリートで、なんのかは分からないけれどむき出しの太い配管が天井付近をうねうねしていて、ちょっと香港映画っぽい雰囲気がある。「なかなかいい雰囲気でしょ」って言う北島くんの、言いたいことは分からないでもない。たしかに廃屋ではないのだけれど、これはわたしの好みに合ったなにかではあった。わたしはカメラを出して撮影しながら、北島くんと望月さんの後ろをついていく。やっぱり二階より上は住居になっているっぽくて、階段からまっすぐに、長くて暗い廊下がずっと続いている。壁には等間隔に鉄製の扉と小窓が並んでいて、住民たちが思い思いに置いたのであろう色々なものが雑然と積みあがっている。天井の蛍光灯が切れかかって点滅しているところもあったり、物陰からぴょんと猫が飛び出して横切ったりしている。ぐるぐると6階ぶんの階段を登ると一番上に大きな扉があって、そこから屋上に出ることができた。
「ここ、俺のお気に入りの場所」
北島くんは「どう?」とでも言いたげに両手を広げてみせる。わたしも望月さんも「はあ」てきな反応ではあるのだけれど、望月さんのイライラのほうが深刻そうだった。わたしはそのへん、かなり鈍いところがあるし、実際まあ、完全な無駄足だったとは思わない程度には、この北島くんのお気に入りの場所をわたしも気に入ってはいた。
「屋上に出れる場所を探しているんだ」
屋上の真ん中に立って、北島くんは両手を腰に当てて誇らしげに喋っている。わたしは勝手にそのへんをウロウロしながら写真を撮影する。望月さんは手をおでこに当てて日差しを遮りながら、まぶしいのかうんざりしているのか、顔をしかめてただ立っている。
「最近は屋上に出れる建物って少ないじゃん。でも俺、屋上って好きなんだよね。ここは特にお気に入り」
「んー、まあ分かる」
わたしは写真を撮りながら適当な相槌を打つ。屋上は高架道路と高いビルに囲まれていて、全然開けた感じでもないし見晴しも全然よくない。主に住民たちの物干し場として使われているらしくて、錆びた物干し台と物干し竿がいくつも並んでいる。誰かの洗濯物も干されている。あとはプランターがいくつか。わりと熱心に手入れをしている人が居るらしくて、昼顔と立葵が花を咲かせていた。あとは給水塔。これもバグダットカフェのジャケット写真みたいな感じで、味がある。端にはいちおう、蹴れば吹き飛びそうな金網のフェンスが張ってあって、実際に誰かが蹴って吹き飛ばしたんじゃないかみたいな大穴も開いている。
「高ければいいとか、景色が良ければいいとかそういうわけでもないんだ。もっと高くて出れるようになっている屋上も他にあるんだけど、一番気に入ってるのはここ」
「うん、そうねー」
わたしは北島くんのことなんかそっちのけで、あちこちでシャッターボタンを押す。押す。押す。ほとんど地面に這いつくばったり、ラジオ体操第一みたいに反り返ってみたりしながら色んな写真を撮る。ぞんざいに扱われていても北島くんはなんだか満足そうな顔をしているし、ぞんざいに扱われて望月さんはもう爆発寸前みたいな顔をしている。
「ねえ、これだけ?」
と、望月さんが北島くんに言って、北島くんは当たり前じゃんみたいな調子で「うん、これだけ」とか言っている。北島くん、たぶん顔が綺麗じゃなかったらとっくに許されていないだろうなーなんて思いながら、わたしは黙々とシャッターを切る。
「ねえ、もう行こうよ~」って、望月さんがとうとう本当に我慢の限界っぽい感じで、北島くんも「委員長、もういい?」とか言ってるから、別にわたしが見せてって頼んだわけでもないしわたしが待ってって言ったわけでもなんでもないんだけど、まあ事実どうやらあのふたりはわたしの写真撮影が終わるのを待っているだけっぽかったので「うん」って返事して、三人で階段を降りる。帰りはわたしが先頭で、後ろから降りてくる北島くんと望月さんがなんかコソコソ言い合ってるような気がするけど、そんなのはわたしは知ったことではない。
三階まで降りたところで突然「美月?」って声を掛けられたから、なにしろたぶん住居不法侵入中で、しかも名前まで呼ばれるってどういうことだろうってすごく驚いたら上下グレーのスウェット姿の唯だった。
「え、まじで?美月こんなところでなにしてるの?」
「唯のほうこそ……」
「いや、なにしてるもなにも、わたしんちここだから」
「ここが?唯んち?え、まじで?」
「まじまじ。ほぼほぼ生まれたときからここに住んでるから」
「へー、シティガールじゃん。ていうか、唯、よくわたしって分かったね」
「え?そりゃ分かるよ。美月だし」
「でも眼鏡とか、ほら」
「そんな、眼鏡ぐらいで変装できるのなんか漫画の世界だけだから」
と、唯は顔の前でパタパタと手のひらを振る。
「んで美月はなにをしてるのよ」
「いや、ちょっと屋上で写真撮影を」
それから唯は後ろのふたりを見て、ただ首を60度くらい傾げたから、わたしは「えっと、中学の時の同級生の北島くんと、その彼女の望月さん」って、なんだか場違いな気がしないでもない紹介をする。ファインサンキュー。ハーワーユー?
「それで美月はもう用事は済んだの?暇ならうち来る?」
「え、どうだろ」
なんて唯と話していたら、また後ろで北島くんと望月さんはコソコソなんか言い合ってて、「じゃあ、俺たちこれから映画観に行ってくるからこれで」ってそそくさと帰って行っちゃう。まぁなんにせよ、これでデート中の男女の後ろをひとりついて回るっていう謎シチェーションからは解放されたっぽかったので、ここで唯が出てきてくれたのは渡りに船って感じではあった。
「なんだったの?いまの」
唯は本当にわけが分からないって顔しているんだけれど、残念ながらわたしのほうにしたってわけが分かっているわけでは全然ないので、なにをどこから説明したものかと思いながら「えっと、趣味で廃屋の写真を撮っているんだけど」ってところから話をはじめたら、唯に「いや、うちは廃屋じゃないから」って言われて。
わたしはつつましやかなあなたのヴァーチャルアシスタントです。
それから数日たったある夜に、知らない番号から電話があって出てみたら望月さんだった。用件は簡単で、もう北島くんには会わないでほしいってそういう内容だった。もちろんわたしのほうにしたって異存もないので「はい、分かりました」と返事して、それですんなりと話は終わった。今後、及川美月は北島巧に二度と会いません。オーケイ。特になにも問題はないように思える。廃屋探しだってもともとずっとひとりでやっていた趣味なのだし、北島くんが居なくて困ることなんかなにもない。
そう思っていたら今度は北島くんからメールが入ってきて、「次はいつ廃屋を探しに行くの?」なんて聞いてくる。
━望月さんに北島くんにはもう会わないようにお願いされたので、もう北島くんに会うことはありません
━大丈夫。ズンズンとはもう別れたから
はあ?って感じになる。あんなかわいらしい女の子と別れたって、そんなのぜんぜん大丈夫じゃないだろうに。わたしにメールしている場合ではない。
━大丈夫じゃないでしょそれ
━なんかあの後すごく怒っちゃってさ。もう無理だから別れた
いや、そりゃあ怒るでしょう、普通に。謝りなさいよ、そこは。
━あのマンションで会ったすごく可愛かった子、友達?
━だったらなに?
━紹介して
━ぶっ飛ばすよ
━お願い。聞いてみてくれるだけでいいからさ
まあ決めるのは本人だし聞いてみるぐらいはいいかと思って、学校でお弁当食べながらなんてないふうに唯に北島くんが唯を紹介してって言ってるんだけどって話してみたら、思いのほか唯はノリノリだった。
「え?まじで?あのめっちゃカッコイイっていうか、綺麗な顔した人でしょ」
「まあそうね、顔はね」
「でも彼女居たんじゃないの?」
「あのあと別れたって」
「えーそうなんだ?ヤバいかな?」
「個人的にはあまりオススメではない」
「なんで?あ!美月も狙ってるとか?」
「それはない」
「そうなの?」
「うん。ないない」
なんて話で、まあなんかもやもやはするけれど、そうなったらそれを北島くんに教えないわけにもいかないしでメールで段取りして、そしたらなんか北島くんのほうもひとり友達を連れてくるとかいう話になって、これはいわゆる合コンとかいうやつなのではないか、みたいな感じになった。休日じゃなくて放課後にしたのは、制服のほうがなんかよっぽどによっぽどのこととか起こりにくいだろうから安心かな、とか、そういうわたしなりの配慮ってやつで。
唯とふたりで待ち合わせ場所に行ったら北島くんたちはもう待っていて、でもぜんぜんこっちに気付かないからわりと至近距離で北島くんって声をかけたら、なんだかすごくびっくりしていた。
「え?委員長?」
「なにか?」
「いや、なんかいつもと雰囲気ちがうから」
そういえば北島くんはわたしの高校デビュー状態は見たことなかったか、とは思ったけど、同じように高校デビュー状態しか見たことなかったはずの唯はダサ眼鏡モードでも一発で見抜いてきたのだし、なんだお前この体たらくはって気もする。
「あ、こっちは青木ね。俺の同級生」
北島くんが連れてきた青木くんは、見た目てきにはなんだかすごく普通な感じで、北島くんと並べるとちょっと不思議な取り合わせではあった。まあ、どっちも文化系っぽい白くてヒョロっとした感じではあったけど。
「唯です。先日はどうも、みっともない格好で」
「いや、全然。そんなことは」
唯のほうがわりとガシガシ北島くんに話しかけていてふたりで会話が弾んじゃって、青木くんはわりと静かなタイプっぽくて、そうなるとわたしもわりと聞き役に回るって感じで、今度は北島くんと唯のデートにわたしと青木くんがトコトコついて回るみたいなシチェーション。もう毎度、なんだこれ?
マクドナルドでそれなりにお話したあとで、じゃあみんなでプリクラ撮ろうなんて、実に正しく高校生っぽいノリで商店街をゲーセンのほうに向かう。前を並んで歩く北島くんと唯の後ろを、わたしと青木くんが並んで歩くってなフォーメーションで、形式だけはダブルデートっぽいけれど、青木くんとわたしは全然話が弾んでない。
「俺はてっきり、コウは君のほうを狙ってるんだと思ってたんだけどな」
この人は喋らない人なんだな、ってわたしの中で納得しかかったころに不意に青木くんが喋りはじめて、ちょっとびっくり。胸の中で響いているような低い落ち着いた声で、いい音だなって思う。
「え?なんでです?」
「君のほうがコウの好みっぽい」
「そんなことないでしょ。前の彼女の、望月さんも、どっちかっていうと唯みたいなかわいい感じだったし」
青木くんはアゴに手を当てて一拍置いてから「たぶん、自分で自分の好みをよく分かってないんだよ、あいつ」って言った。「だから毎回、長続きしないんだろ」
「青木くんは……」わたしはなんだか、にわかに青木くんへの興味が沸いてきて 「どういう子が好みなの?」とか聞いてみる。
「俺?そうだな、俺が好きな女は美しいよ」
ずいぶんと情報量の多い一言だった。たった一言で、青木くんに好きな女の子が居るってことと、その女の子が美しいってことと、なおかつ、青木くんがその女の子にゾッコンであることが分かってしまう。
「青木くん、なんか意外とカッコイイんだね」
「そうか」
プリクラの機械に入って、わたしと唯が前で男の子ふたりが後ろって配置で、ちゃんと女子高生らしくイエーイって感じにする。撮影が終わって出ようとした時に後ろに居た青木くんにドンとぶつかっちゃって、おっと、って肩を支えられる。
「あれ?ひょっとして青木くんってなにかスポーツやってたりする?」
「やってるように見えるか?」
「ううん、全然見えないけど」
なんか、思ったよりも胸板と肩幅がしっかりあるんだなって。
わたしはアンドロイドの夢を見る電気羊です。
唯と北島くんは付き合うことになった。
唯はよく北島くんの話をする「コウがね~」「コウがさ~」って、唯と北島くんがいつどこでなにをしたのかほとんど全部把握している状態。北島くんの一番のお気に入りの場所が唯の住んでるマンション?(アパートって感じでもないけど、ビルって言うのがややっぱり感触としては一番近い)の屋上なものだから、必然的にふたりはよくあの屋上で話をしたりするらしい。
「なんかあの感じが好きなんだって。わたしは古臭くてしみったれたマンションで、どっちかっていうとコンプレックスだったからあんまり家に人を呼んだこととかもなかったんだけど、あれがいいんだって。変わってるよね」
ちょっとアーティスト気質なところがあるっていうかさー、みたいな感じにノロケてて、あの普通に考えたらただのすごく迷惑な性質でしかない変人っぷりが長所に見えてしまっているらしい。これも恋は盲目っていうやつ?
「でもちょっと、美月に似ているところがあるよね。だからわたしコウとも気が合うんだと思う。だってわたし美月とすごく気が合うもん」
わたしと北島くん、似ているんだろうか。たしかに、廃屋とか屋上なんかに関する美的感覚の部分では似通っているかもしれないけれど、そもそもわたしのそれは偽物なのである。変人っぽい見た目だったから、見た目に合わせて変人っぽい趣味を作って変人っぽく振る舞っていただけだ。そうやってクラスの中で変人っていう安定したポジションを獲得していただけの話なのだ。北島くんは、普通っぽい見た目なのに見た目に合わせて普通に振る舞おうとしなかった変人、ということなのだろう。見た目だけは普通っていうか、だいぶ綺麗だし、アーティスティックではある。
「北島くんとわたしが似た者同士なら、北島くんは唯のこと超好きだよね。だって、わたし唯のこと超好きだもん」
「ええ~~~。そうかな~~~?」
「そうだよ」
そんな感じで唯の「コウがさ~~」を「うんうん」って延々聞いていたら、ある日突然「青木くんがライブやるっていうから美月も見に行こうよ」なんて言われる。え?なに?ライブ?
「青木くんバンドやってたの?」
「そうみたいだよ。それも、コウが言うにはかなり本格的でかっこいいやつだって」
「は~、人は見かけに依らないものなんだね」
見かけ、というか、普通っぽいっていう印象しかなくて、もう具体的にどういう見かけだったかも全然思い出せないのだけれど。
そんな感じで、土曜日の夕方に唯と北島くんとわたしの三人で待ち合わせて青木くんのライブに行くことになった。
「あれ?今日は眼鏡なんだ」
そう唯に言われて、あ、そういえばっていう感じに、わたしは自分がお下げ眼鏡バージョンで出てきてしまったことに気付く。なんでだか自然とこっちのほうで準備してしまって自分では特になんとも思っていなかったけれど、なんでだろう?北島くんが居るからだろうか。北島くんにはお下げ眼鏡バージョンみたいな自分の中での使い分けがあるのかもしれない。
「わたしライブって初めてだから全然分からないんだけど、マズイかな?ダサすぎる?」
「いや、大丈夫じゃないかな。そんな混む感じじゃないらしいし」
ライブって言うからわたしはてっきりライブハウス(それも現物がどんなものかは知らない)みたいなところでやるのかと思っていたのだけれど、会場はバーっていうのかな、普通のお店みたいなところで、普通っていうか地下に降りる階段の時点でオシャレ感が漂っていて全然普通ではなかったんだけれども、とりあえずちゃんとテーブルと椅子がある感じの会場だった。
「青木はトップバッターで7時からだって」
「なんかわりと、お客さんまばらだけど大丈夫なのかな?」
「この手のお店だとまだ全然早い時間帯だからね。これからなのかもしれない」
北島くんは前にも来たことがあるのか勝手を分かっている感じだけれど、わたしは馴染みのない雰囲気に完全に呑まれて借りてきた猫状態。
7時ちょっと前の曖昧な時間帯にプラプラ~って何人かがステージに登っていて、その中に青木くんも混じってて、ドラムセットの前に座るとちょこっと叩いたりなにかを調整したりしてる。へえ、青木くんドラムなんだ~なんて思っていたら唐突に曖昧に曲が始まった。
バンドの構成は青木くんがドラムで、あと普通に若い日本人のエレキギターとエレキベース、それに黒人のギターみたいなちょっと変わった民族楽器みたいな人がひとり、それからヴォーカルの女の人も、たぶん黒人。ハーフとかかもしれない。ブレイズって言うんだっけ。髪の毛を全部細かく編み込んでいて、後ろでひとつに束ねて垂らしている。形容するなら「美しい」が一番適切だなって感じがして、わたしは、ああ、この人が青木くんの好きな人かって思う。
正直、音楽のことは全然分からないんだけど、肚に来るって感じのすごく力強い音だった。あと全然聴いたことないような種類の音楽。ヴォーカルの声もすごくてすごい。人間の身体ってこんな声出せるんだなって。
青木くんは激しくドラムを叩いているんだけれど、体幹のところはほとんど揺れもしない。ぼーっと見ていると青木くんはただ座っているだけで、その前でドラムが勝手に鳴っているような気さえしてくる。ちょっとわたしが知っているようなロックバンドのドラムとは、なにかは分からないけれどなにかが違うって感じがする。
始まったと思ったらなんかあっという間に青木くんの出番は終わってて、やってる間中ずっとビリビリしてたわたしはなんだかすごく脱力してしまう。ステージではまた別のバンドがスタンバイを始めている。
すっかり呆けていたらテーブルに出演を終えた青木くんが来ていて、北島くんと唯に挨拶したあとで「委員長も来てくれてたんだな」って声をかけてくれる。
「すごかった」
「そりゃ光栄」
「どうやったらその身体であんなに肚に来る音出せるの?」
そう聞いたところで次のバンドの演奏が始まった。青木くんは椅子を引いてわたしの隣に座って「肚に来たか?」って顔を寄せて言う。バンドが演奏してるから、そうしないと聞こえなくて。
「きたきた。すっごい肚に来た」
わたしも青木くんに顔を寄せる。
「それ、一番言われたい種類の言葉だ」
そう言って笑う。そういえばこんな風に素直に笑う青木くんを見たのは初めてかも。演奏の後でハイになっているのかもしれない。
「どうやって……そうだな。エネルギー保存の法則ってあるだろ?」
「うん」
「エネルギーは限られているんだ。その限られたエネルギーを効率良く全部音にする。そういうことを考えながらやっているかな」
「効率」
「そう、効率。熱とか力とかに無駄に発散させてしまうと音が弱る。だから熱くなってもいけないし、無駄に力んでもいけない。最適な熱量で、最適な力で、最も良い効率でエネルギーを音に収束させる。ベクトルの内積ってあるだろ?ああいう、一本の矢印に音を束ねて、それで観客をぶっ刺してやるんだ」
正直、それがエネルギー保存の法則の話とかベクトルの内積の話なのかどうかはちょっと疑問に思わないではなかったけれど、まあそのへんはどうでもいい。
「わりと色々と考えてやってるんだね」
「なにしろ他のプレイヤーに比べると圧倒的に経験が足りていないからな。経験の差は、理屈で埋める。ベンデレなんかには、ああ、ベンデレっていうのはコラ弾いてたマリ人なんだけど」
言われてもわたしにはマリっていうのがどこにある国なのかさっぱり分からないのだけれど。コラっていうのはあのギターみたいな民族楽器のことだろうか。
「ベンデレなんかにはハジメは難しく考えすぎ。もっとグルーヴに身を任せろとか言われる。でも、あいつらは生まれつき身体に音楽が流れているからな。あいつらと同じようにやったって、俺じゃあいつらと同じようにはなれない」
「青木くん、下の名前ハジメって言うの」
「あれ、言わなかったっけ」
「うん、ていうか、このあいだもそんなに喋らなかったし」
「そういやそうだな」
「わたしの名前覚えてる?」
「委員長の?美月だろ?」
「じゃあもうその委員長っていうのやめて。別に委員長じゃないし」
「悪い悪い、委員長っていうのがあんまりにもシックリくるもんだからさ」
「ああ、もう。こんな格好で来ちゃったから」
「なにがだ?すごく似合っているよ」
なにか頭に血が上る感じがあって、んー!ってなってフーって息をついた後で、「わたし、青木くんの好きな人分かったよ」って言う。
「美しいだろ?」って青木くんは笑う。
「うん」って言って、わたしも笑う。
「どうなの?脈アリ?」
「いや、サッパリ。弟みたいに思われているよ」
わたしは恋する充電プリウスです。
二番目のバンドが終わったぐらいの時間からお店のほうも混みはじめてきて、ぶっちゃけ三人が三人とも難しい音楽のことはよく分からないから早めに引き上げることにした。お店を出る前に青木くんのほうに手を振ったら、青木くんも軽く手を挙げて返してくれた。
帰る道すがらわたしはひたすら「青木くんすごかったね~」「青木くんかっこよかったね~」って言ってて、なんでか知らないけど北島くんは無口だからそれに合わせて唯もわりと無口だし、仕方ないからわたしはまた「ね~青木くんすごいね~ワールドワイドなんだね~」とか言う。
学校の授業中なんかでも、ふと青木くんのことを考えていたりもする。こりゃひょっとしてわたし青木くんのこと好きかな?なんて思ってみたりもするけれど、青木くんがあの黒人っぽいヴォーカルの女の人のことが好きだっていう気持ちは素直に応援してあげたい気がする。ぜんぜん、あの女の人に嫉妬したりなんかしない。ていうか、到底かなうわけない。太刀打ちできない。それになんていうか、あの人のことを素直に美しいって言える青木くんのことが好きだなって思うから、たぶん恋とかそういうのとは違う。ただすごいと思うしかっこいいと思う。
唯とお弁当を食べながら「青木くんってさ~」みたいな話がふと口をついて出て、あれ、そういえば唯があんまり「コウがさ~」「コウがね~」って言ってないなって気付く。
「ねえ、そういえば唯は北島くんとどうなの。ちゃんとうまくいってる?」
って聞いてみたら。唯はう~んって唸って。
「ひょっとしたら、あんまりかも」なんて言っている。
「コウが好きなのはね、たぶん美月のほうなんだよ」
「え?なにそれ。ないない」
「あるよ」
そう言って唯は机に突っ伏して、もう一回「あるんだよ」って言った。
わたしはまな板の上の鯉です。
休日、久しぶりにお下げ眼鏡で廃屋探しの散策に出かけたら北島くんに会った。
「よ、委員長。奇遇だな」
「つけてたの?」
わたしがグリグリ眼鏡ごしに睨み付けると北島くんは明らかに狼狽した様子で「いや別にそういうわけじゃ」なんて言っているけれども、そんな奇遇がそうそうあるわけがない。
「廃屋を探してるんだろ?一か所見つけたところがあるんだってば」
「唯と見に行けば」
「唯がじぶんはそういうの分からないから委員長に言えって」
「唯にそう言われてノコノコわたしのところに来たってわけ?馬鹿なんじゃない?」
「なんでだよ。唯がそうしろって言ってるんだから……」
もういいや、って思ってわたしが勝手に歩きだすと 「あ、委員長。そっちじゃなくて、こっちこっち」とか言ってて、結局北島くんはわたしが一緒に廃屋を見に行くつもりで居るらしい。
「あのね。趣味を誰かと分かち合いたいなら、ちゃんと誰かと分かり合える趣味を作りなさいよ。誰にも理解されないようなことを趣味にしたのなら、ちゃんと誰とも共有せずに自分ひとりで黙々とやってなさい」
「でも委員長なら分かってくれるじゃん」
「あ~もう」
なんだろう、この通じなさは。暖簾にドロップキック、ぬかにボーリング工事って感じ。
「どう?」って自慢げに胸を張られると、まあ「Aプラス」って評価をせざるを得ない。なにをどうやっているのか知らないけれども、何年にもわたって地道に自分の足で探索の範囲を広げているわたしよりも、北島くんのほうがこと物件を発見するセンサに関しては優れているようだった。
今回のは人家から少し離れた藪の中にある、こじんまりとした洋風の廃屋だった。白い壁に緑の窓枠、オレンジの屋根とポップな色彩で全体的におもちゃっぽい。まあ、ポップっていうのは当時はたぶんポップだったのだろうっていう意味で、今ではすっかりくすみきっているのだけれど。
「こういう木造西洋建築っていうのは初めてだわ」
草木に覆われて鬱蒼としているけれども、建物自体の損傷はほとんどないように見える。家としての機能はあまり失われていなさそうな感じで、かなり程度がいい。もともとの建材がよくないとこういう朽ちかたはしないものだから、たぶんこれも素性の良い家なのだろう。ただ、お金持ちが住むにしてはちょっと規模がささやかすぎるような気もするけれど。
「たぶんだけどね、牧師か司祭か、そういう人が住んでいたんだと思うよ。昔はすぐ近くに教会もあったんだ」
なるほど。それで仕事は堅実だけど、規模としては小さくて質素なおうちってことか。聖職者だからあまり派手すぎるのはよくないって話。
わたしがポイントを変えながら写真を撮りまくっていると、北島くんが裏のほうから「委員長!こっちこっち!」って呼んでいる。北島くんは別に写真を撮るわけじゃないから暇なのだろう。
裏に回ると北島くんがデッキに上がって窓を開けて「ここから中に入れそう」なんて言ってて、わたしは「いや、ダメでしょたぶん」って止めるんだけど、北島くんは全然聞いちゃいない。スルッと中に入って見えなくなる。
「なんか思ったよりも中ぜんぜん綺麗。委員長も入ってきなよ」って中から声がして、わたしはダメでしょって思っているんだけれどもここまで来ると好奇心も抑えられず、右を見て左を見てスルッと中に入る。
「やっぱり聖職者だったんじゃないかな。中に物があんまりなくて、生活感があんまりないよね」
入ったところの部屋は小さなダイニングキッチンで、埃を被ってはいるけれども荒らされたような形跡は見られなかった。本当に、家から人だけがスッと消えて、そのまま何十年か放置されていたみたいな感じ。
「新聞紙がある。平成12年だって。意外と新しい」
「15年前」
「思ったよりも廃屋ってわけでもないのかもな。普通に売り物件なのかも。表に看板とかなにもなかったけれども」
たったの15年でこんなって思っていたら、北島くんも「たったの15年でこんなんになっちまうもんなんだな」なんて言ってる。
「ちゃんと手入れされていた素性のいい建物でも、たったの15年人が住まないだけでこんな風になっちゃうんだから、案外、人間の文明なんて、思っているよりもずっと簡単にスッと滅んじゃうものなのかもしれないな」
それはたぶん、いまわたしが考えていたようなこととほとんど同じで、まったく同じで、なんというか嫌になる。唯が言っていたように、やっぱりわたしと北島くんは似た者同士なのかもしれない。
「階段がある」
「ねえ、もう出ようよ。聖職者の家なんか、それこそなんか、良くないことあるよ」
「祟りとか?」
「この場合は、罰じゃないかな」
北島くんはもう階段の一段目を踏んでいて、何度かグッグッと踏みしめて強度を確かめている。ギッギッと板が鳴りはするけれど、踏み抜いてしまうということはなさそうだった。北島くんが階段を昇りはじめる。わたしもさすがにこんなところに置いていかれるのは心細すぎて、仕方なく北島くんの背中に張り付くみたいにして階段を上がる。
階段を上がった先には部屋がひとつしかなくて、その窓辺に逆光になった人影があったから、わたしは叫び声を上げてなりふりかまわず北島くんにしがみついてしまう。ギュッと目を閉じる。
「大丈夫だよ、委員長。ただの像だ」
北島くんにそう言われて薄目を開けてみると、それはたしかに像だった。等身大とまではいかないぐらいの、大人よりは二回りぐらい小さいマリア像かなにか。それでも不気味であることには違いないけれども、心底驚いたわたしは急に身体から力が抜けて、北島くんにすがりつくみたいになってしまう。
「委員長」
北島くんがわたしを引っ張り合あげて立たせようとするけれども、わたしはどうしてもダメでぐったりしている。
「委員長」
なんでか知らないけれども、北島くんはわたしの身体を壁に押し付けている。
唇になにか触れる。心のどこかで、なにかが内側からドンドンと壁を叩いている。ああ、缶詰のイワシだ。イワシがここから出せと缶詰を内側からめちゃくちゃに叩いている。眼鏡が外される。
眠ってる場合じゃねえ!起きろ!しっかりしろ!って声がする。もうしない。声が遠い。わたしは押し込まれる舌を受け入れている。熱でエアゾールの内圧が高まっている。爆発するぞ!
「委員長」
声がする。ブラウスのボタンが外れていて、胸に手が触れている。ディーゼルエンジンがレブリミットを超える。ヴァーチャルアシスタントは答えない。
「やめて……」
全ての摩擦係数が高く、ギアは噛み合わない。カーリングストーンは氷上をどこまでも滑っていく。
電気羊は夢を見ない。
わたしは怒れる十二人の男です。
北島くんはごめんって言ってた。
わたしはもうずっと、ベッドでただただ横になっている。別になにも考えていない。すっかり散らかってしまった頭の中を「ああ、散らかっているな」と思って眺めているだけだ。
電話が鳴る。わたしは出ない。電話が鳴る。ディスプレイを確認する。唯だ。
そうだ、唯が居たな、とわたしは思う。頭の中を整理したり考えをまとめたりせずに、思いつくままに気の向くままに、なにもかも全部唯に話してみるのはどうか、という議題をわたしの頭が検討する。
わたしは電話に出る。唯は泣いている。また先制攻撃をもらっちゃった。
「どうしたの?」
わたしはベッドに横になったまま、静かにそう言う。わたしは散らかった部屋の真ん中に立ち尽くしたまま、静かにそう言う。唯は泣いている。
「わたし、コウと別れることにしたから」
コウ?コウっていうのは、北島くんのこと。北島くん、ごめんって言ってた北島くん。
「コウね。わたしとなにをしてても、わたしとなにを見ても、委員長だったらどうかな、委員長だったらどう言うかなってね」
「そうなんだ……」
わたしはベッドに横になったまま、静かにそう言う。わたしは壁際の本棚を引き倒して中身を床に全部ぶちまけながら叫ぶ。
「コウが好きなのは、美月なんだよ。ずっと前から、そうだったんだよ」
「そうなんだ……」
わたしは寝がえりをうって横を向く。わたしは電気スタンドを窓の外に放り投げる。
「わたし、美月のことが好き」
「わたしも、唯のことが好きだよ」
わたしはあなたのつつましいヴァーチャルアシスタントです。
「だから、美月がこのあと、どうしたとしても、わたしは別に、大丈夫だから。わたしは美月のことが好きだから」
「どうする?」
わたしは静かに言う。どうするつもりだ!とカーテンを引きちぎりながらわたしは叫ぶ。
「美月は、ただ自分の気持ちに素直に、したいようにすればいいから。それで、大丈夫だから」
「したいように」
わたしは静かに言う。お前はどうしたいんだ!とわたしはめちゃくちゃに拳を振り回しながら叫ぶ。
「今から、コウがうちの屋上に来るの。それで、ちゃんとお別れして、わたしはそれで、ちゃんと終れるから」
「そうなんだ……」
「うん、それじゃあね」
「うん、それじゃあね」
電話が切れる。
わたしは仰向けになる。
「わたしのしたいように?」
わたしはどうしたい?と自問する。お前はどうしたいんだ!とわたしは叫ぶ。
たしかに、わたしはむかしむかし、北島くんのことが好きだったことがあったと思う。
今は?
分からない。
わたしには自分の気持ちが分からない。
わたしは二本のベクトルの内積です。
不意にそれは、天啓のように降りてきた。
シンプルに、極々シンプルに、わたしはいまなにをしたいのかと自分に問うた時、どう考えてみても答えはひとつだった。
それでなんになる!と私は弱々しく叫ぶ。
どうしてなんとかする必要がある?とわたしは静かに力強く問う。
わたしとわたしは一致している。
わたしは放たれた弾丸です。
ベッドから起き上がる。眼鏡をかけて、机の上の小銭だけを握りしめて家を飛び出す。駆け出す。
わたしは限られたエネルギーです。
駆け抜ける。6階ぶんの階段を一気に駆け上がる。扉を押し開ける。
わたしは最も効率よく変換された力です。
屋上に北島くんが居る。唯も居る。わたしは声を出さない。今は、音は無駄なエネルギーだ。
わたしは収束する一本の矢印です。
熱や音は無駄だ。わたしは冷えている。北島くんに一気に駆け寄る。そこにあるエネルギーを全て、最適に、前方への推進力に変換する。
北島くんの表情が揺れる。最初は驚愕、それから安堵、次に疑問、最後に驚愕。わたしは北島くんの顔を、その中心を見ている。
わたしは持てる最大の速度そのままに、小銭を握り込んだ拳を北島くんの顔面にブチ込んだ。ブチ込んで、振り抜いた。振り抜いて、そのまま立ち止まらずに、さらに二歩駆け抜けた。
渾身の感触!!!!
わたしは拳を振り抜いたままのポーズで、しばらく残心。
北島くんは顔面を殴られた上に倒れた拍子に後頭部でも打ったのか、鼻と後頭部を抑えてうずくまっている。
唯と目が合う。唯は最初泣いていて、次に驚いて、それから堪えきれずに吹きだして、とうとうゲラゲラと下品に笑い始めてしまう。
わたしもつられてゲラゲラと笑う。イエーイ!イエーイ!なんて言って唯とハイタッチを決めている。
どうしたいかって?
そんなの、ぶっ飛ばしたいに決まってるじゃない。
わたしと唯は鼻血をダバダバ流して目を回している北島くんをそのままにして、ふたりでゲラゲラ笑いながら階段を降りる。
「あー笑った。やっぱ美月って最高だわ。大好き」
「わたしもねー、まさか本当にあんなにきれいに振り抜けるものだとはねー」
「めっちゃくちゃ勇ましかったよ。もう最高。ほんと最高」
「ねー、なんか走ったらすごいお腹空いちゃったんだけど、どっかご飯でも食べにいかない?」
「あ、いいね~?なに食べる?なに食べたい?」
そこで、あっ、と、わたしは気付く。
「わたし、小銭しか持ってないや」