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白女鬼  作者: 幽灯
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《参》-2

「……ケイ、世は変わったな」

「そうですね。人の世は良くも悪くも目まぐるしいです」

「我らモノノケ、いや闇の化生は消えていく定めなのであろう。短い間だったが、人の世を直に見れば納得せざるを得ぬ」

「姫?」

 不思議そうに問いかけ、淹れ終えた茶器を持ち振り返った男は、初めて見る女の表情にうっかり茶器を落としそうになった。

「ケイ、妾はこの数か月ほんに自由じゃった。生まれ落ち、幾ばくも生きぬ内にあの場所へ押し込められ……欲しい物は何でも与えられたが、しかし真に欲しいものは何も与えられなんだ。お主は妾にとって、様々な意味を有する真に特別な存在なのじゃ」

「姫……? いきなり、何を」

「ケイ。嘘は許さぬ、偽らず答えよ。そなたは、この夏を越せるのか?」

「っ!」

 ケイの体が分かりやすく強張る。今までソレは暗黙の了解として避けていた話題だった。しかし女は初めて真っ直ぐに問いかけて来た。真っ直ぐに、目を逸らす事無く迫りくる問題と向き合った。

「姫、私は……」

「言い訳は聞かぬ。今一度問うぞ、そなたはこの夏を越せるのか?」

 真っ直ぐに見つめる黒曜石のような瞳の奥に、女本来の色である緋色を見た気がして……ケイは、それ以上顔を上げていられず、居た堪れなさに力なく頭を垂れた。

 まだ年若い女が片肘をついた正面に座る、力無く頭を垂れた壮年の男。見た者の一体何人が、女の方がずっと年上だと信じるだろうか。

「年月なぞ一々数えても覚えてもおらぬが、蛍の化身たるそなたが妾の元へ来てどれだけ経つ? 妾は長らく幽閉の身であった故、世情に疎く常識も欠けているであろう。じゃが、阿呆ではない。そなたが話すまで黙って待とうと思ったが、妾に黙して消えるなどという心づもりならば話は別じゃ」

「姫、私は決してそのような考えでいた訳では……」

「……いや、今のは言い訳じゃな。忘れよ」

 何か言い募ろうとしたケイを片手を振って制し、冷めてしまったお茶をゆっくりと啜った。もう何度飲んだか分からないケイのお茶。どれだけ高級の茶葉を使おうと、女にとってケイの淹れたお茶に優るものは無かった。

「妾は怖かったのだ。ケイを失う事などついぞ考えた事など無かった故な」

「私は……私は、姫をお一人にするつもりなど」

「そなたに無くとも、時間の流れに干渉する事など出来ぬであろ? これでもな、妾も考えたのじゃ。考えて、今までで一番考えて――出る答えは、いつも同じであった」

『そなたと離れとうない』

 微かな息遣いだけで紡がれた言葉は、明確な音にはならずともケイの耳に届いていた。言いたい事は沢山ある。あるはずなのに、喉がひりついてその一切が出て来ない。体も金縛りにあったように重く、女の顔が見えるようどうにか頭を持ち上げるのが精一杯だった。

「姫……」

 発せられた声は、思いの外泣きそうで情けなく震える声だった。

「いつの頃からか、妾が留まる意味はケイ、そなたになっておった。そなたがおらねば妾が生きる意味など無いに等しいのじゃ。……否、無いと言ってよい」

「姫……姫が、私などをそのように思う必要など無いのです。山間の温泉宿は、宿ではありませぬが本物です。姫が望むならばそこを再び屋敷として住んでいただこうと、そう……思って、おりました、のに……っ」

「そなたがおらねば妾はどこにも行かぬ」

「私のような羽虫を姫様のようなお方が気にかけるなど……本来ならば、許されぬ事……っ、私には、そのような価値などございません!」

 ピンッ、と軽い音と小さな衝撃が走った。ケイは指で弾かれた額を反射的に押さえながら、呆けて女の顔を見るしか出来ない。

「そなたは、誰ぞのものだ?」

「それは勿論、姫の物でございます」

「その言葉に偽りは無いな?」

「勿論でございます」

「ならば、そなたの価値を決めるのは妾じゃ。そなた自身でもなく、な。妾がそなたに価値があると判断した、それに文句など言わせぬ」

 傲慢に言い放たれた言葉に、ケイは少しだけ唇を噛み締めると深く頭を下げた。

 幼い頃から――化身として生まれ落ちるよりも前、本当にただの蛍だった頃から、羽虫と言われてきた。それを否定する気は元より無いが、ケイは化身となってから女に仕えるようになるまで、決して長い時間では無かったが自分に自信が持てないまま過ごしてきた。

 ケイにとって、女は心から『自分を欲しい』と言ってくれた初めての存在であった。絶対の忠誠を誓い、見かけの年齢が逆転してからは変な話だが比護欲も芽生えた。

 そんな女が自分の『終わり』を悲しみ、憤る事に心苦しさと、歪んだ愉悦が浮かぶのを男は自覚していた。自覚しているが故に、より一層の心苦しさを覚えてもいたのだ。

「何を言っても無駄なのですね」

「妾は一度言った事を違えぬ。それはそなたがよく知っているであろ?」

「ええ……十分過ぎる程に承知しております。そして……私の心内も、姫は既に承知の上なのでしょう」

「無論じゃ。ならば、もう一度だけ問おう。そなたは、この夏を越せるのか?」

「――いいえ。蛍の化身たる私は、この夏で短き生を閉じてしまうでしょう」


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