《参》
「サァサァ寄ってらっしゃい見てらっしゃい! 珍しいもの、奇妙なもの、古今東西の色んなものが揃ってますよ! オ、そこのご夫婦! 何照れてんですか、あなた方ですよ! どうです、旅の思い出に一つ!」
威勢の良い呼び声に思わず足を止めた若い男女。呼び子に夫婦と呼ばれ男の方が大いに照れているという点を除けば、どこにでもいるごく普通の二人組だった。
「すまぬな、夫は少々照れ屋なもので。ふむ……この飾り紐、二つで一揃えの物は無いのか?」
「おや、お二人は姉さん女房ですかい? 旦那、尻に敷かれっ放しは男が廃れますよぅ。こちらはどうでしょ?」
「良い色だな、作りもしっかりしている。ではこの二つで会計を」
「毎度ありい!」
そろそろ中天に差し掛かるだろう時分は、大人しくただ座っているだけでともすればじわりと汗が滲んでくる。茶屋の中、丁度陰になった席に座った男女はしかし、この猛暑の中でも平然とした顔で茶を啜っていた。
女は先程買った飾り紐を気に入りの扇子に付けて、ためつすがめつ眺めたり指で弄んだりと大層気に入った様子。対して男は、そんな女の様子を見て優しげに目を細めていたかと思えば、時折緊張した面持ちで外の通りを見やっていた。
「これケイ、そのように不審な行動をするでない」
「ですが……」
「ヒトに化けよと、そう申したのはお主であろ? 少々窮屈ではあるが、その考えは正解であったな」
ふふ、と上品に笑う女の髪と目は黒だ。滑らかな額にはシミやホクロの一つすらも無い。
男の髪は撫でつけてもなお少しばかり跳ねているが、そこから変に飛び出た物は一つもなく、薄い生地の服に覆われた背筋はしゃんと伸びている。
どこからどう見ても人間の夫婦である二人だが、実際は秘術により人間に化けた白女鬼と呼ばれる鬼の女と、ケイと名付けられた蛍の化身たる男だった。
いっそ清々しいまでに堂々と振る舞う女とは対照的に、ケイは落ち着かなげに辺りを見回しては息をつく、というのをこの町に入ってからしきりに繰り返していた。初めは黙って見守っていた女だが、いい加減に鬱陶しいのか今までとは逆に女から苦言を呈している。
「しかし、姫に何かあっては……」
「何かなど起こらぬと言っておる。そも、この妾に何ぞしでかせる輩がおるならば顔を拝んでみたいものじゃ」
「それはそうなのですが、御身に何かありましたら私は自分で自分を縊りたくなります」
「なれば、そうならぬようそなたが妾を守らねばな?」
そう言った女はしてやったりと、こうして二人きりの旅に出てから見せるようになった表情で笑った。ケイはそうやって笑ってもらえる事を喜ぶべきか、女の無鉄砲さに怒るべきかいつも悩む。いつも悩んで、
「御意に」
結局、何も言い返さず頷くのだ。
「そなたは妾のものであろ? ならば妾の言う事に頷いておれば良い」
傲慢な女の言葉。しかしその言葉とは裏腹に、そう言う女の顔はいつだって少しだけ悲しげだった。ケイがその理由を聞いた事は無い。女が口を開かない時は、誰が何を聞いたところで答えない事を知っているからだ。
それ以前に――ケイが女に抗う事をしない、という理由もある。むしろそちらの方が比重は大きいだろう。
二人は互いが隠し事をし、それでいて互いに何かを隠されているのに気付きながら、何も気付いていないフリをしたまま旅を続けていた。その時間はどこか歪ながらも、何物にも替え難いほどに甘やかで――苦しい程に幸せな時間だった。
女を封じていた座敷牢は随分と北に位置していたようで、そこから西へ南へと気ままに旅を続けてもう何日経っただろうか。
雨を乞う祭り、大雨を避ける為に祈る祭り、天帝に川で別たれた男女の伝説とそれにちなんで笹に願い事を吊るす祭り。書物でしか知らなかった祭りに女は大層はしゃいでいた。
祭りだけでなく、その地に生きる人々の日常を垣間見る事を女は好んだ。以前ならば『短き時しか生きられぬ哀れな生き物』と、そう評していたヒトを見つめる目に慈愛と羨望が映るようになった。
そんな女の変化に男が気付かないはずもなく、何も言わなかったがどこか嬉しそうに、けれど少しだけ寂しそうに笑って、ただ女の肩を抱いていた。
女が『終わり』の訪れに気付いたのは春の頃だった。それからケイに気付かれないよう、けれど綿密に準備を重ね真綿のような牢を破ったのが初夏の頃。そうして今、長いようで短かった夏が次第に終わりへ向かっていた。
「さすがに、川辺まで出ると夜風は冷えますね。姫、お寒くはありませぬか?」
「大事ない。ケイ、次はどこへ行く?」
女の問いかけは残酷だ。何も知らない幼子ならまだしも、全てを知ってなお問う言葉にしては酷すぎる。けれど、それは優しさでもあった。
「そう……です、ね。もう一月もすれば山々が鮮やかになりますので、山間の温泉などはいかがでしょう。私は少しばかり所用がございますので、しばしの暇を戴かねばなりませぬが……」
ケイは、女の残酷さも優しさも分かって、分かってなお何も気付かぬフリで笑みを浮かべた。それに女は少しばかり不機嫌そうに唇を尖らせたが、茶の支度をする男は気付かない。もしかすれば、こちらも気付かないフリなのかもしれないが。